今日もまた、携帯電話のお話です。
病室の夫と私を結びつけてくれた、この電話の恩恵は、計り知れないものがありました。
まだ夫が割と元気な頃も、入院中、私は頻繁に夫に電話をかけました。
一方、Yさんから私にかけてくる頻度が異常なほど増したのは、亡くなる一月ほど前あたりからだったでしょうか。
ところが、夫が亡くなる一週間くらい前の事。
その見守り携帯が、突然故障してしまったのです。
コードを差し込む箇所が具合が悪くなり、充電ができなくなってしまいました。
私は、とてつもなく慌てました。
今の二人にとり、携帯が使用できない暮らしは考えられませんでしたから。
私の声を聞くことが、旦那さまの心の安らぎ、気力を奮い立たせる原動力になっているように感じられたからです。
故障の箇所を販売店で即日修理してもらえるのなら、その手立てを取るべきだったのかもしれません。
しかしその時は、大変なことになってしまった、と思いが強い余り、性急な対処をしてしまいました。
その後の不都合を知るすべもなく・・・・・・。
翌日病院に出かける前に量販店によって、すぐ新しい見守り携帯を購入しました。
お店の方が、
「古い携帯は処分してもいいですか?」
と問われたので、そのようにお願いしてしまった私です。
想い出品として、取っておくべきでした。
処分しなければよかった、と後悔しきり。
今も悔やまれます。。
眼の悪い旦那さまの視界に入りやすいように、と派手な色の物を選びました。
ところがです。
時々頭が繊毛状態になり、的確な判断が難しくなっていった旦那さまにとっては、新しい携帯の操作は、不可能でした。
今までの携帯のように一回のワンタッチでは、すぐつながりませんでしたから。
私も扱い方を戸惑うほどでしたので、無理もありません。
悲しい事に、それ以来、Yさんから電話が一度もかからなくなりました。
今でもその不運を思うと、悔し涙が溢れそうになります。
それは、亡くなる一週間ほど前からの事でしたから。
おそらく携帯の故障が、夫の死期を早める原因の一つになったのではないか、と思えてなりません。
亡くなる前日の日曜日の事です。
私は週末は休養日にしていましたから、その日は長女が夫に付き添っていました。
長女に、お願いしました。
「新しい携帯は、パパが操作するのは無理のようなの。
だから、看護師さんに、病室に来たときは必ず携帯をかけて、夫に手渡すようにお願いしてね」
と。
けれど結局、新しい携帯に替えて以後、夫からの電話で、私の携帯のメロディーが鳴る事は一度もありませんでした。
長女のMちゃんは頼んでくれたのかもしれませんが・・・・・・。
土曜日から、モルヒネの投与量が増やされ、ほとんど眠った状態で、食事も水分も受け付けなくなってしまっていたのです。
次女の話によると、
「痛みを楽にするために、そのような対応を採った」
との担当医のお話だったようです。
画像は、すべて我が家の周辺にある、二つの公園の桜です。
家族への説明はいつもほとんどなく、治療法を勝手に変える先生。
私の抱く疑問と不信感は、常日頃相当なものがありました。
モルヒネの量が増えたことを娘から聞かされた時は、憤りを感じました。
相変わらず、家族の承諾も取らないままだったからです。
その週末は、私の先生への苛立ちは、頂点に達しました。
この翌々日、最悪の事態を迎えてしまった夫です。
私のこの苛立ちが、虫の知らせだったのかもしれません。
明日に続きます。
ご覧下さいまして有難うございました。
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