今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

最終回 手ごわい脚の症状~私の実感 心と体は別の生き物

2019-02-04 07:03:54 | 病気

今日の記事では、過去のある出来事の時と同様に抱いた、私の或る実感について語ります。

その実感とは、自分の心と体は一心同体ながら、全く別の生き物だということです。

 

亡き夫が、肝臓がんを発病した頃のこと。

心配は尽きませんでしたが、私は前向きの気持ちで元気に、入退院を繰り返す夫の看護に明け暮れていました。

その頃、ネット上では、あるトラブルに出遭い、辛い思いをすることに。

福島の原発事故による風評被害が心配でたまらず、ある方のブログに、広島の被爆者としての思いを、誠心誠意、言葉を選んでコメントをしたつもりだったのですが。

私のコメントが言葉足らずだったのか、誤解を招き、怒りを買い、その後数名の方により、激しい非難の言葉を数年にわたって浴びることになりました。

私を個人攻撃する目的だけの掲示板のようなブログまで、立ち上げられました。

ひたすら誤解を解きたくて、私もしばらく言葉を返し続けましたが、虚しいことでした。

 

 

でも心はいつも前向きで元気。

平常心で暮らしているつもりでいました。

このトラブルには、妹は最初、無関心。(そのように装っていただけかもしれませんが)

二人の会話もいつもと変わらない話題のほうが多かったです。

 

私はネット上のお付き合いの仕方を、そのころはまだよく心得ていなくて。

問いかけられると丁寧に応えるのが礼儀だ、と思い込んでいるところがありました。

一方、私への非難が、いかに激しくなっても、くだらない出来事と自分ではどこかで達観していたつもりです。

ですから、いつもと変わらない日常を淡々と送っていました。

そのころ、私のそのような態度が、相手の方々の怒りを益々買うことになったようですが。

 

 

このように、心は平常心で、元気に過ごしているつもりでしたのに・・・・・・。

体が、突然悲鳴を上げ始めました。

四六時中の息苦しさに見舞われ、顔の表情が変わってしまうほどに。

数年、この症状が続き、その時はこの息苦しさに、私は一生悩まされ続けるにちがいない、と覚悟をしたほどです。

 

でも私にはその理由もわからず、ひたすら元気を装って、夫の看護をし続けました。

そのころ、妹が私のあまりに弱々しい声にびっくりして、心配のあまり、我が家に飛んできたことがありました。

娘も心配して、付き添い、私に無理やり大病院の診察を受けさせました。

でも体内の酸素量は正常。

血液検査の結果も、まったく異常はありませんでした。

 

息苦しさが多少治まりほっとしたころ、今度は異常なのどの渇きに襲われ、大量の水を毎日がぶがぶ飲み続けました。

更に味覚障害のような症状にも見舞われ、食欲不振にも。

ところがネットトラブルが下火になってきたころ、次第に私の心配な症状も回復に向かっていったのです。

 

 

そのころ、自己診断で私は心から納得したことがあります。

自分の症状は、自律神経失調症にちがいない、と。

ある病院で、一度だけ精神安定剤を処方されたことがありましたが・・・・・。

他のいくつかの病院やクリニックで、そのような診断を受けたことは一度もありませんでした。

でも自己診断で、心からそのように納得したのです。

そうすると、数年悩み続けた症状はみるみる回復し、夫が亡くなる数年前には、その症状ははすっかり治まっていました

 

心はどんなに平常心で前向きであろうとも、体は誠に正直。

私が平常心を装っているだけであることを、身体は正直に顕しはじめます。

悲鳴を上げ、赤信号を点し続けるように。

 

50代のころ、寝たきりの両親を介護していましたが、その時も同様でした。

近所の方には、大変でしょうと、よく同情されましたが。

私は娘として当たり前のことをやっているつもりで、苦労と思っていなかったのです。

でもこの時も、体が悲鳴を上げ始めました。

 

ストレスが原因になる病に、いくつか罹りました。

メニエル、帯状疱疹、頭皮が白いうろこのようになったり(病名を忘れました)。

娘たちに医者に行くように、その時も度々勧められましたが、楽観的(いい加減)な性分の私は、診察を受けたのは一回だけ。

適当に病気と付き合いながら、両親の介護を続け、いつの間にか回復しました。

病院に行く暇もないほど、昼夜を問わず多忙を極めてもいましたから。

夫の介護の時には、めまいに度々襲われ、一度駅前の交差点で倒れ、救急車で搬送されたこともあります。

 

 

心はいつも平常心で前向きのつもりでも、体は誠に正直です。

この過去の体験から、私は一心同体ながら、体と心は全く違う生き物、と思うゆえんです。

今の私の足の痛みも、多分にその気があるのかもしれませんが。

この症状は、脊柱管狭窄症といった正真正銘の病名がはっきりあります。

 

数日前に受けたMRIの画像でも、その症状は顕著でした。

ですから、今の痛みが精神的なものというのは、不自然かもしれませんが。

その痛みの強弱に波があるのは、精神が影響しているのかもしれません。

 

医師の説明によると、酷い狭窄症ではないようですが。

手術をしない限り回復は見込めません。

せめて心は明るく元気でいましょう。

とは言って心と体は、まったく別の生き物

体が、ご機嫌斜めになりませんように、と祈るばかりです。

 

私の足の痛みの記事に、長い間お付き合いくださいまして。本当にありがとうございました。

何か少しでも参考になれば幸いです。

 

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