N先生の二月になって届いた年賀状には、次のように書かれていました。
「年末にこのハガキを書き、他のと一緒に箱に入れて多忙で出すのを忘れていました。御免なさい」
私は、それに気付かれた時のご高齢のN先生の驚きのお顔が思わず目に浮かびました。
何だか、とても微笑ましく、心温まる思いに。
その年賀状を抱き締めたい気持ちになりました。
90代になれば年賀状を認めるのは、精神的にも体力的にも、決して楽なことではないでしょうに。
今は、終活の一環として、年賀状書きを辞める方が多いようです。
ですから、年賀状がN先生から届かなかった時、私がまず思ったことは、そのことでした。
それを理解できる私です。
でもその賀状が、最近届きました。
上でご紹介したような先生の失敗談が添えられて。
私は終活の一環として、年賀状を取り止める事に、何の不服もありませんが。
私は、手が動く限り、この作業を続けるかもしれない、と思っています。
遺された家族に迷惑をかけないように、物品の断捨離をすることは。とても大事なことでしょう。
けれど、長年心にかけ、大切に思ってきた友や身内の人たちまで、断捨離するがごとく交信を断ち切るのが、本当にいいことでしょうか。
私には、あまりに寂しすぎる所作に思えてなりません。
写真入りの年賀状を出すことがほとんどですが、今年は雰囲気を変えてみました。
私は毎年50枚くらい年賀状を認めます。
その一枚一枚、いずれも綴る時に、懐かしいお顔が浮かびます。
形式的なものは一枚もありません。
その多くの方は、年賀状のやり取りだけのつながりですが、それでも、忘れ得ぬ想い出が色々ある方ばかりです。
綴りながら、感謝の気持ちが湧いてきます。
夫の喪が明けた翌年の年賀状です。
二通り作りました。
そうはいっても、年賀状を書くシーズンを迎えると、それをとても苦労に感じるのですけれどね。
賀状を作成し書き上げるまでには、結構な時間がかかりますから。
形式的な年賀状では、書く楽しみが半減してしまいます。
ですから、私は葉書きの選択にも時間をかけます。
受け取る方に、私らしさを感じ取っていただけるように、と。
O君に同窓会で会った時、今年受け取った年賀状の中でピカイチだったと褒められたものです。
孫達と夫婦が揃ったこの年賀状が、私は一番好きです。
この年賀状は、カメラ屋さんにとても褒められました。
人間関係まで断捨離すると、何だか認知症が早まってしまいそう。
そんな懸念も抱いてしまう私です。
もし、90代まで生きながらえることができたなら、
N先生のように、私も年賀状を綴る気力を失わないでいたいもの、と願ってやみません。。
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花のように泉のように