普通な生活 普通な人々

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音楽遍歴<その2>

2010-10-31 12:11:34 | 音楽にまつわる話<的>な
 ロッキンF以前の話を少々。
 1970年、ボクは20歳になっていた。学生運動と、カウンターカルチャーとしてのヒッピー的なるものとで、若者の意識はそれまでのものとはまったく別物になっていた。
 当時芝居をしていたのだが、芝居の世界も海の向こうのアメリカでは、60年代後半には舞台ミュージカルの王道であるブロードウェイ・ミュージカルから逸脱した、オフ・ブロードウェイ、オフオフ・ブロードウェイの舞台が批判されながらも脚光を浴びていた。「ヘアー」「ジーザス・クライスト・スーパースター」などの舞台はその代表格だった。
 日本では唐十郎の赤テント、佐藤信の黒テント、早稲田小劇場、変身、天井桟敷、自由劇場などがいわゆる小劇場運動を展開していた。
 映画でもハリウッドから逸脱したアメリカン・ニューシネマの潮流、ヨーロッパではゴダールなどの気鋭の監督が新しいムービー・ムーブメントを創りあげていた。
 当時のそうした文化的なるモノ、ことにヨーロッパでのバックボーンには、哲学があった。サルトルを筆頭とした実存主義哲学。アラバールなどの舞台脚本は、この実存主義の表象化だった。
 音楽の世界も同じようなバックボーンを抱えていた。実存主義哲学というのではなく、ベトナム反戦といったもっと具体的な政治課題、新しい宗教観といったテーマを抱えていた。
 ビートルズを筆頭とするブリティッシュ・インベンジョンの影響もあったのだろう、後のニューヨーク・パンク誕生に大きな影響を与えたヴェルヴェット・アンダーグラウンドや、やや遅れてニューヨークドールズなどが活動を開始していた。
 この時代の日本のロックは「日本語でロックは歌えるか」といった、海外とはレベルの違うところで進行していた。ただ、すでに60年代後半にはジャックス(掲載したジャケ写は彼らの1st『ジャックスの世界』1968)、70年にはハッピーエンドといった、突き抜けた存在はあった。
 この当時は、混沌だった。言ってみればなんでもあった。未分化のままに生まれてくるものがただただあった。
 カルチャー本流には触れていないが、若者は当然のように混沌の側にいた。ボクもまた混沌の側にいた。