普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

映画俳優は神秘的な存在だった

2012-04-18 22:24:17 | 普通な人々<的>な
ボクは子供の頃から映画が大好きだった。初めて見た映画はヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」だったか、アーヴィング・ラパーの「黒い雄牛」だったか、ディズニーの「ピノキオ」だったか、フェデリコ・フェリーニの「道」だったか、定かでない。

小学校の低学年はほぼ毎週、当時住んでいた上板橋の東映に3本立てを見に行っていた。

当時の東映時代劇スターは、片岡千重蔵、大河内伝次郎、市川歌右衛門といった、戦前からのスターで、中村錦之助(後の萬屋錦之助)、東千代之助、里見浩太郎らが若手のスターとして台頭著しい時代。

他の映画会社には少し後だが日活には石原裕次郎、小林旭、東宝には森繁久弥の一党、大映には勝新太郎、市川雷蔵、松竹には……とスターが並んでいた。
実は松竹だけは余り興味がなかった。だから……。ただ、長谷川一夫は忘れられない。

それでもやはり東映映画が好きだったな。

そして、ことに東映のスターがそうだったのだが、ほとんど私生活は謎だった。

いまとなってはその理由の一分がわかる。

これも殊に東映時代劇スターに顕著だったのだが、実は皆さんスタイルが悪かった。ほとんど5頭身、6頭身。

余り日常的に人目に触れるのを避けていただけだったのだ。

スクリーン映えするのは、顔のでかい、短躯の役者と決まっていたのだ。

だからスターは、私生活を見せないことで自らをただの役者からスターに昇華していたのだ。

と、思うのだが如何?

昔の女優さんはトイレに行かなかった(と信じている人もいた)。日常生活など誰も詮索もしなかった。スターの生活は庶民とはかけ離れていて、想像すらできなかったのだ。そうあるべきだったのだ。

今時は、スターもTwitterで片時も息を継げないような衆人環視の真っ只中にいる。秘密など持ちようもなく、むしろ自分から自分の生活を暴露したりする。

隣りのお姉さん、週末のヒロイン、会いにいけるタレントなどと言っている今とはまるで異なるスターの有り様だったのだ。