普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

小学校からの縁

2014-09-10 15:39:07 | 普通な人々<的>な
昨日、小学校時代からの女友達と会った。もう半世紀を超える付き合いだ。

とは言え、彼女は神戸在住で、会える機会を強いて求めたとしても、数年に一度ということになるのだが、その数年に一度の機会を、彼女が今回お膳立てしてくれたわけだ。

ただ、そのきっかけは小学校教員をしていた彼女の、教え子の葬儀。そのために上京するから、会おうということになった。なかなかに切ない思いを抱えての待ち合わせ。

彼女とは、なにか縁があって、ボクが別の女性と同棲をしたり付き合ったりしている時でも、連絡を取り合って話をしたりしていた。

時には夜を徹して飲んだりもした。今でも鮮明に覚えているのが、彼女の寝言だ。

20歳を過ぎて、ボクが高校の同じ部活動をしていた下級生と一緒に住み始めた阿佐ヶ谷の安アパートの部屋に、当時付き合っていた(やがて連れ合いになり、今でも何かおもろい夫婦をしているらしい)大学同窓の彼氏と遊びに来てしこたま飲んだのだが、酔いつぶれた彼女が寝言を言った、それはフランス語だった。

彼女がフランス語を専攻していたのかどうかも分からなかったが、フランス語の寝言だった。

彼氏と顔を見合わせて、あまりにも流暢なフランス語に酔いが覚めたのを覚えている。

そして久しぶりに昨日、面と向かって話したのだが、なぜ連絡をくれたのか尋ねると「色々な人に会っておきたいから」と言った。

それはボクも同じ気持ちだった。人と関わりはじめてから長い人生の中で、常に不義理をしてあらゆる人との関わりを断ってきたボクだが、最近は、許されるものなら多くの人たちと再会したいと思うようになっている。死期でも近づいてきたのかと、ちょっと意外な自分の心根に戸惑いもする。

昨日、半世紀の付き合いの彼女とは2時間を超えて話した。もちろん話しつくせる時間ではないが、今度はボクが神戸に出向いて話をしようと、約束した。要するに、なにかまだ先にも時間がありそうな気がしたのだ。

それにしても。彼女の人生にも耐えなければならない苦慮、苦渋があったのだということを、これまでも薄々は知っていたが、詳しく知った。長く生きれば生きるほど、それは誰でも高い頻度で出くわすものなのだが、耐え難い苦しみでもあったのだろうと、言葉もなかった。

だが、そうした営為は、爺、婆になってそれを口にすることが、少しでも互いに、「癒し」どころではない心の「浄化」に繋がれば良いとは思う。むしろ、そのためだけに人と会って話すのも良いとすら思える。

人間関係とは、それほど大事なものなのだと、思う。