オージー技研とはちょっとした偶然から一緒に仕事をさせていただくことになったが、その初期の頃、奥田巌社長(当時)に本社でお会いしたことがある。
素朴なお人柄で、オージー技研の名前の由来などおもしろおかしくお話し頂いた。創業の頃、周りの人は誰も(いわお)とは呼んでくれず、(げんさん)と呼ばれていたそうだ。会社の届け出が必要になった時、あまり考えずに、おくだのげんさんの頭文字をとってOG技研と適当に名前をつけたのだとか。その後、病院へ訪問すると看護婦さん達が「おじーさんがきた。」とはやし立てたとかいろいろとおもしろいお話を聞かせて下さった。
社葬というものに初めて参加させて頂いたが、りっぱな葬儀であった。祭壇も新本社ビルを菊や胡蝶蘭で形取った勇壮なものであった。
一人の人間が岡山でこれだけの会社を一代で築き上げ、その会社に私も研究面で助けて頂いていると言うことが不思議に思えた。
素朴なお人柄で、オージー技研の名前の由来などおもしろおかしくお話し頂いた。創業の頃、周りの人は誰も(いわお)とは呼んでくれず、(げんさん)と呼ばれていたそうだ。会社の届け出が必要になった時、あまり考えずに、おくだのげんさんの頭文字をとってOG技研と適当に名前をつけたのだとか。その後、病院へ訪問すると看護婦さん達が「おじーさんがきた。」とはやし立てたとかいろいろとおもしろいお話を聞かせて下さった。
社葬というものに初めて参加させて頂いたが、りっぱな葬儀であった。祭壇も新本社ビルを菊や胡蝶蘭で形取った勇壮なものであった。
一人の人間が岡山でこれだけの会社を一代で築き上げ、その会社に私も研究面で助けて頂いていると言うことが不思議に思えた。