河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

お盆のつれづれ

2009-08-16 | Private
お盆休みになってもいろいろと仕事は舞い込んでくる。
全てこなしていては御先祖様のお墓参りもできない。

昔も今も人はいつも生きるために忙しかったのだと思う。
そんな中で昔の人はお盆と正月だけはどんなに忙しくても休んで家族みんなで集まるという行事を作ったのだろうと思う。

学生の頃、後輩で試験を落第して週明けの再試に合格しなければ留年という者がいた。
ところが彼はクリスチャンで日曜日には教会に行くのだという。
こんな時に教会に行ったとて、勉強しなければ試験に合格しないだろうと諭しても彼にとっては教会に行くことの方が重要なのだった。

ある意味、そのような信仰を持てることは幸せである。
信仰を持たない大部分の日本人にとって、お盆や正月に実家に帰るというのは、クリスチャンが日曜日に教会に行くのと同じような意味合いを持っているのではないかと思う。

私が尊敬する著名な方は、会ったこともない先祖の墓地に参詣するなど愚行であるという。時間は生きている者のためにあるのだから墓参りなど時間の無駄だというわけである。

合理主義からすればそれが正しい。
しかし、私を含めて人間は完全に合理性だけで生きているわけではない。
少なくとも両親や兄弟、親しかった知人のお墓にお参りに行くという行為はそうそう廃れるものではないと思う。

いろいろいいわけを書いてきたが、古いしつけをされてきた私は、やはり時間があればお墓参りには行こうと思う。
霊魂の存在を信じているわけではないのだが、クリスチャンが教会に通うように、そうすれば気持ちが落ち着くのである。

そんな感覚を私の息子の世代は持つことができるのだろうか。
コメント
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