河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

補助金のためのどたばた

2013-09-27 | 大学
大学教員をしていて、誰もが陥りたくない最悪の状況は、学内の校務に絡め取られることである。
要領のいい教員は、あえて無能の振りをしてこのわなを避ける。
教育と研究だけして生活していけるのであれば大学教員生活は天国である。
しかし、そこには校務という厳しい現実が立ちはだかっている。

何でもストレートに反応する性格はこの様な状況の中では最悪の結果をもたらす。
私は生まれ変わらない限り、要領よく世の中を泳ぎ渡るようなことはできない性分である。

かくして、必然的に、陥るべくして最悪の状況に陥っている。


ここのところ、毎日、新しく獲得した補助金のことで右往左往している。

今回獲得した地(知)の拠点整備事業という補助金は、一見地域貢献のための補助金のように見えるのだが、その本質は大学の教育に対する補助金なのである。
その証拠に、執行にあたっては大学改革推進等補助金取扱要領の縛りを受けることになっている。

うかつに地域貢献に役立つのだから良いだろうと、地元のNPOなどに予算を投入するようなことをするとルール違反でとんでもないことになりかねない。

最悪なのは、メンバーとなる大学教員のほとんどが補助金の予算の仕組みを理解していないと言うことである。

きちんとルールを読んでくれれば良いのだが、大方の教員はそんな面倒なことはしてくれない。

何も考えずに、価値判断を大学の担当者にゆだねるのである。

私だってそうできるものなら七面倒くさい補助金ルールのことなど知りたくもない。

ところが、今の私の立場は、逆に頼られる側なのである。

大学生活の長いベテラン教授なら心配ないかというとこれがそうでもない。
なまじ昔の経験を持っているだけに、最近の研究費の取り締まりの厳しさを知らないのである。
悪気なくおおらかに補助金を使おうとするので新米教員より余計心配になる。

また、国立大学から来られた教授などにありがちなのは、何でも事務がやってくれると思い込んでいることだ。
昨今の私学では事務は合理化のため手一杯で、何でも教員自らやらなくては誰も手伝ってはくれない。


なぜこんな心配をする立場になってしまったのか、自分がまいた種と言えばそれまでだが、努力して余計しんどいめをさせられるのは理不尽だ。
コメント
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