鹿沢・万座パークボランティアだより

鹿沢・万座パークボランティアより皆様へ自然情報等をお届けします。

絹産業遺産群~中居重兵衛~(2)

2014年06月27日 | 日記
3.絹と中居重兵衛
開国・開港間もない横浜で中居が扱ったメインの品は生糸です。
特に群馬県産は「MAEBASHI」としてブランド品でした。
(確かロンドン博物館に記録あり)
明治初期の日本の輸出品のトップ3は生糸、お茶、マッチです。
幕末頃から物流が盛んになり基盤整備が進みます。
その基盤整備と相まって生糸が外国に売れる商品であることを
幕末の横浜開港貿易商として身をもって示しました。
明治政府の生糸を中心とする産業政策の先鞭となったのです。
もちろん中居個人のなせる技ではありませんが、貿易商の象徴として
記憶され、評価されねばならないことです。

4.活躍する絹産業にルーツを持つ企業
 幕末絹貿易~明治政府の絹施策~富岡の流れは「官」=政府主導の側面です。
中居の足跡に触れるともう一つの絹遺産の流れが見えます。
それは「民」=民間の流れです。長野県上田市や(旧)丸子町などには絹産業に
ルーツ持つ企業があります。調べたことはありませんんが、長野県以外にも
あることでしょう。名前をきけばびっくりするようなビッグビジネスも
絹産業もしくは派生産業にルーツを持ちます。
これらのことは遺産という話の中ではまったくふさわしくありません。
けれど、現在にまで、脈々と続くことは記しておかねばなりません。

5.エピソード
 1)雨と風 ふたつにわかる 柳かな
   読んだ句です。政商として覚悟の程が分かるような気がします。
   (辞世の句?)
 2)利をもって利となさず、義をもって利となす「子供教草(おしえぐさ)」
   ビジネス精神あふれたこころの世界がかいま見えます。
 3)出奔のきっかけ
   こんなエピソードが伝えられています。
   馬をひき荷物を運ぶ駄賃稼ぎをしていたあるとき、信州・渋沢(現上田市渋沢)
   からの帰途、川に落ち仮死、里人に助けられ蘇生する。
   これより、心機一転、存命を世のため人のため捧げようと誓い、読書、勉学、
   家伝の火薬製法に専心する。
   母方の祖母を頼って江戸に出奔。時に20才。

明治維新まで6年、上り詰めた横浜開港貿易トップ。
今日我々がある原初の姿をまた教えてくれる。
(投稿:ワイルド三太)

 *資料をいただきました中居重兵衛顕彰会に深く感謝申し上げます。
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