ラジオ深夜便「明日へのことば」で「美しい日本語を未来に引き継ぐ 文語文のすすめ」と題する文語の苑理事長の愛甲次郎さんの話を聴く。部屋の灯りもつけず、いつものようにベッドに横たわったまま寝ながら聴くぐうたらリスナーだけど、ぐいぐい話に引き込まれていく。
欧米語を駆使して仕事をされてきた元クウェート大使だった愛甲さんならではの文語への誘い、日本語の持つ美しいリズムと言語の響きの素晴らしさに改めて気付かされた。文語は歴史と伝統の日本の文化であることは確かだ。
英語教育の重要性ばかりが声高に叫ばれる今の世の中だけど、日本語、文語の響きや美しさを味わう教育が小中高の教育の中でもっと重要視されていい。意味がわからなくても、まずは音読、素読でいい。日本人の情緒とか心が育つことは間違いない。その通りだと思う。
島崎藤村の千曲川旅情の歌を久しぶりに聞いて、あまりの日本語の美しさに朝から酔ってしまう。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす繁蔞は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかにし
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
早春賦もリズム感あふれる素晴らしい詩だ。
春は名のみの風の寒さや
谷の鴬 歌は思えど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず
氷解け去り葦は角ぐむ
さては時ぞと思うあやにく
今日もきのうも雪の空
今日もきのうも雪の空
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる胸の思いを
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か
愛甲次郎さんの話を聴いて、日本語、文語の素晴らしさに改めて気付かせてもらった。