心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

どんよりしていますが読書には最高です

2014年01月26日 | ほんのすこし
昨日は帰りがけ 小雨が降っているのを見て 母が
「これから荒れるかもしれないねぇ」と言っていました。例年だと冬の雨降りの後は天気が崩れて荒れ模様になるのが常だったからです。わたしも頷いていました。

今朝 空はどんよりしています。それでも荒れ模様とまではいかないようです。これからどうなるのかはわかりませんが。それでもいつもの年と比べると 横殴りの雪を窓から見ることが少ない気がします。県南では豪雪で大変だというニュースが連日入っていますが、同じ県内でもわたしのところではそんな状態からは緩和されているなと感じます。連日の雪との戦いに体も精神も疲れてはてているだろうことを思うと 県南に降る雪がこれから先少なくなってほしいと願わずにはいられません。

父が亡くなった年は四月だというのに荒れました。雪の話をすると いつもそのことに話が行きます。そしてもう一つは弟が亡くなる年の冬、すでに体力も腰も限界にきていたのか 玄関前に降り積もった雪を寄せるのを母が頼んでも 上を数回なぞるだけで「疲れた・・・」と言っては 自分たちが歩くほんの数センチを確保するだけで 雪寄せをやめてしまっていたという話。父と弟の雪についての話はこれが母の中では一番心に残っているのでしょう。
そこから始まって ふたりの昔についての談義が始まります。

この頃 母はわたしが行くとひとりでずっと昔のことを語るようになりました。前よりもその傾向が強くなった気がします。やっぱり年々衰えていくのだなぁと ふとさびしい気持ちになるときがあります。母をひとりにさせている時間が長くならないようにしなくては・・・と思いながら 家路に戻るのですが、そろそろそういった意味でも 住む場所について考える時期がやってきているなと思っています。まずは暖かい時期になって それからですが。

寒い土地では冬に行動を起こすのはとてもしんどいなと思います。気持ちに強さが求められる 流されることの方が多い これってわたしだけかなぁ・・・季節のせいにしてはいけないと思うのですが、やはり動けないことの方が多いのです。だからか 最近は読書の時間が多くなりました。
『検察側の罪人』、『神さまからのひと言』 どちらも最初の何ページかを読んでそのまま放っておいていましたが、最近になってようやく本を読もう!という気持ちが出てきて、読みかけのものを出してきました。最初の本はなかなか入り込めずにいたのですが、途中からぐんぐん引き込まれていきました。単なる犯人探しものではないところが最後までぐいぐいと読めたように思います。次の本も サラリーマン小説?読んでみるか というぐらいの気持ちで手にした本ですが、同じように最初はなんだか読む気がしなかったのです。でも閑職に追われた主人公がどんどん変わっていく姿に 応援したくなっていました。どちらも通じるものがあるとすれば そこにいる主人公の中にあるゆるぎない強い信念というかこれ以上は容認できないというきっぱりした部分ができているということかもしれません。ともすれば自分の中で これっていいの?と思いながらなんとなくスルーしてしまうものが世の中や会社の中であっても そうじゃないぞ!と立ち上がることは無理だとはなから決めてしまっている部分があります。できることよりできないことをたくさんあげてしまって やる前から諦めている そういう傾向があると思っています。だから今のわたしがあるのでしょう。何事にも中途半端で 立ち向かうこともしてこなかった・・・だからこそ この二つの小説を読んで、自分ができなかったことをよくぞやってくれた♪という気持ちがあったのでしょう。ただ前者の本の場合は もっと複雑な人間の内面を浮き出しているのが後味としてスカッとするのではなく 考えさせられるものが重いという・・・

今度は全然違うものを と思い、『抱擁、あるいはライスには塩を』上下巻、『三十光年の星たち』上下巻、『残るは食欲』を手に取ってきました。どんな内容なのか 楽しみです。阿川佐和子さんのエッセイは雑誌掲載のものですが、彼女のざっくばらんで気さくな人柄が文章ににじみ出ている気がして好きです。だってタイトルからして わたしにピッタリじゃないですか(笑)

母のところに本を持っていきますが、ほとんど読まずに戻ってきます。母の語りを聞くのがまず一番だからです。昔話をたくさん聞くのも 面白いものです。知らなかった大むかしのこととか。幼い当時のご近所の話しとか、今と全然違う暮らしの話を聞くのもまた驚きいっぱいです。
では 行ってきます♪