心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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あのフィル・ウッズが亡くなったって?

2015年10月01日 | ほんのすこし
今朝の新聞を読んでいたら、思いがけない人の訃報を知った。
29日に肺気腫で亡くなられたという83歳だった。アルトサックス奏者のフィル・ウッズ。わたしの青春時代(学生時代)を代表するジャズ奏者のひとりだ。『IMAGES』をかけて追悼。

独身時代、初めてジャズ喫茶というものを知った。それがここでもたびたび登場する「MINTON HOUSE」だ。あの当時は昼もランチとか営業していて、昼夜営業をしていたので、わたしも入ることができた。大学二年の夏休みに帰って来ていた私は、栗盛図書館の帰りにふと思い立ち、裏道を歩いてみた。そこで見つけたのがかのお店だったというわけだ。こげ茶色の全面に入口は真ん中で、右側の窓が開かれていた。ちょっと見はアンティークっぽい雰囲気の佇まいに乙女の雰囲気を感じて好奇心を隠せずに入ってみたわたしだったが、その先入観はとてつもなく違うものだということに入口のドアを開けて、さらにその奥の扉に手をかけたときに気がついた。

何これ?
今まで聞いたことのない音楽。耳にがんがんと響いてくる。
ドアに手をかけた手前、戻るに戻られず(笑)初めてのジャズに遭遇する。
それがわたしとジャズとの馴れ初めで、ジャズのなんたるかも知らずにただただ乙女チックでおしゃれなお店だと勘違いしたお店の表に惹かれ、そのギャップというか店内のこげ茶色で統一され白い陶器のようなカウンターに惹かれ、音楽もわからないまま通い続けてしまったのだ。

初めの頃は、カウンターなど恐れ多くて座ることはできず、あの外から見た右側の窓(開放されていると思ったが違った)側の席(4人掛け)を陣取って、たまに珈琲のお代わりをしたぐらいにしてノートに好きなことを書き連ねていた。今思えば、カウンターに腰掛けたほうが店にとっては助かるのに、そんなことにも考え及ばなかった浅薄な若者だったわけだ。

ここに通うようになり、コンサートに行くという楽しみも知った。マスターは当時の精鋭、駆けだしでも力量のあるミュージシャンを見つけるのが上手かった。今では大御所と呼ばれジャズ界で大活躍している面々を幾人も呼んでくれたものだ。秋田の小さな地方によく来てくれたものだと思う。この街よりも日本全国でお店の名前は有名だ。
前置きが長くなったが、その店であの頃すごく好きだったのが、フィル・ウッズだった。特に「風のささやき」や「おもいでの夏」がかかると目をつぶってその音に酔いしれたものだ。
どういうわけか、わたしが入口の中のドアを開けるとこのアルバムがかかっていることが多かった。わたしの聞きたいものがわかるのか?と不思議に思ったものだ。

そのフィル・ウッズが青森でライブをするというので、人生初のひとりでライブに行くということを決めた。昼のライブなら秋田から電車で行っても間に合う。どきどきしながら青森に向かった。お目当てのジャズ喫茶を探し当て、始まるのを待った。
開演時間になり、トリオでの演奏が始まった……
だが、なんだか様子がおかしい。
どうものりがいまいち。
しまいにはサックスを置いてピアノを弾き始めた。
結局、わざわざ聞きに行ってサックス演奏は思ったほどの曲数ではなく、そこが残念だったが、それでもすぐ目の前で彼の演奏が聞けたことに満足して戻った。夜の演奏は良かったようだと人づてに聞いた。まぁ、長旅でお腹でも壊していたのかもしれない(笑)
地元に彼が来たときも行った。こっちの方は凄かった。もうバリバリノリノリで、ウッズ節がそこかしこに溢れんばかり。会場は割れんばかりの拍手・拍手だった。
そういえばあの頃はライブやコンサート三昧だった気がする。秋田でキース・ジャレットのソロコンサートを聞いたのも学生の頃だ。今はほとんどそういうコンサートに行くことがなくなってしまった。

フィル・ウッズは亡くなってしまったが、こうして若い頃の思い出と共にあの頃の演奏をする彼を思い出すことができる。これから先も彼はいないが、彼の演奏を聞いて彼のことをもっと知りたいと思う若者が出てくるだろう。音楽が延々と続いていくのは、リアルタイムでその人の演奏を聞く感動もあるが、亡くなってからもその演奏を聞くことができるという現代の利器の賜物だ。科学の発展に感謝したくなるのはこういう時でもある。
今日はしばらく彼の演奏に浸って若い頃を振り返りたくなった。

フィル・ウッズさん、素晴らしい演奏をありがとう。ご逝去に際し、追悼の意を表します。