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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

楽しんでくださいね

2017年08月05日 | ほんのすこし
朝、4時から起き出して。
約束は11時だからねって・・・
そんなだらだらな気分でいたらどうするのって思うんだけど。
もうなんだか眠りたいな・・・・
今週末、地元でNHKの公開番組があるらしい。知人が出ないかと録画設定した。

自分のことを思い出した。

小学生の頃、同級生が地元にやってくるNHKのど自慢に出演しないかと誘った。で、担任に報告した。担任は快く参加してみたら?って言ってくれた。
だが、難関は母だった。
母は駄目の一点張り。
結局、わたしはその誘ってくれた友人と一緒に行くことは叶わず、公開番組にも行く事は無かった。
だから今でもNHKのど自慢があるとちょっと胸がちくっとする。だって、あのとき出演できていたら・・・、なんてね。人間そうそううまく人生いかないって。例えそこで何かリアクションがあったとしても、その後の人生に過大な影響を望むのは無理だって。
まあまあ、そんなことを考えていた。友人はたぶん予選会で脱落したのだと思う。話題に上がらなかったということはそういうことなんだ。
で、あのとき母が反対したのは、たぶん着ていく服が無かったからではないかと思っている。決して裕福とは言えなかった時代のことだ。母にしてみれば我が子を聴衆の面前で普通の格好をさせてまで登場させるのは無理があったのだろう。
というか、わたし、そこに参加できるだけの実力があったのか?
今思うと笑い話以外の何物でもない。誘ってくれた友人は、沢山いる中のわたしを誘ってくれた。不思議でしょうが無い気分だった。

そんな思い出のあるNHKのど自慢が、今週末に地元で開催される。
前日の土曜日は予選会だそうだ。誰でも自由に観覧できる。次の日の整理券はゲットできていないので、聞くなら前日。
そう、今日!
観覧も自由だというし、見ておくのもいいんじゃないか?
なのになのに・・・
今日の11時にあることを予約してしまった。がっくり。
まあ、いいっか。
出演される皆さん!、楽しんでくださいね~。

冷麺を頂きました

2017年08月05日 | ほんのすこし
友人から冷麺とスープを頂きました。
「お母さんに食べさせて」って。
固いものや噛みにくいものは苦手な母が、冷麺で唯一食べることができるのが、友人が勧める冷麺です。

この冷麺は友人のご主人が生前、麺製造の方と交渉し、自分好みに作っていただいた麺です。市販の麺とは違う食感がとても食べやすく、わたしたちはとても好きでした。亡くなられたご主人の夢は「冷麺の店」を出すことだったと聞いています。
スープもピリッと辛く、夏場には本当に美味しさひとしおでした。

今年三月の末、そのご主人が闘病生活の末お亡くなりになりました。わたしは弟ともに大変お世話になった方でした。残念なことは闘病生活の折に、尋ねていくことが出来なかったことです。痩せたあの方を見てると亡くなった弟の最後の姿を思い出し、不安がよぎってしまうからです。その気持ちを知られるのが怖かったのでした。
それでも、友人は「お母さんに食べさせて」って、持ってきてくれました。なんということでしょう。わたしの矮小な気持ちなど・・・ 友人の顔を見ることができないほどでした。でも友人は明るく笑っていました。いつもそうなのです。周りに元気を与えてくれる(本当は、本当はすごく不安だったり、気持ちが落ち込んでいたりしていることもあるのでしょうけど)人なのです。

あちこちの知りあいに運んだのでしょう。ご主人が交友を結んだ方の所へ。
その中に入れてもらっただけで本当に有り難いなと思っています。
ありがとうございます。ほんとにありがとうございます。
しっかりと母と一緒に食べさせてもらいましたよ。

冷麺は夏の暑さの中でそこだけ白い麺が赤いスープに浮かび上がる、清冽な美味しさをまとっているように思います。
最初食べたときは麺の中にある果物(主にスイカ)を見て、どうしてこんなものが? という疑問がありました。でも食べ進めて行くとそのスイカの甘さがとてつもなく舌に心地よくて。
昔、夫の親戚が違う町で冷麺を出していました。そこに家族で立ち寄ることが何度かありました。夫の姉はその店を切り盛りしていましたが、先代が築いていたお店をなんとか継続していこうと必死だったのだと思います。いついっても大繁盛で美味しかったのを覚えています。でも、今はもうかなり昔にお店を閉めてしまったのでした。先代であるお舅さんが高齢になったということもありました。一子相伝ではないのかもしれませんが、息子が後を継がなかったということも関係あるのかなと今は思っています。お嫁さんに教えるということが出来なかったのかなとも思うのですが、そこは何か他の諸々の事情があるのでしょう。わたしには想像できない昔の話です。というか嫁のわたしにはそういう自分の家族のことを話さない夫でした。蚊帳の外に置かれた人間が話すべきことではない、ということなのでしょう。
で、そのお店で初めて冷麺なるものがこの世にあるということを知ったのでした。

本当に美味しかったです。そのお舅さんが作るスープといい、チャーシュー? といい。
あのときの味はもうどこかへ行ってしまいました。だから、冷麺と言えば、友人のご主人が作ったこの冷麺がわたしの思い出の冷麺です。

友人は元気に色々な活動に参加したり、自分から動いたりしています。
この地元で彼女が生活できる時間も限られてきました。きっと彼女がいなくなったら、手足をもぎ取られた思いのお年寄りが沢山いると思います。それだけ親身に沢山のお年寄りのことを考えて動いていたのです。
残された人生をどう生きるか、人はその岐路に立たされて悩みます。彼女にとっても考えることは多かっただろうなと思います。でも、話を伺うと本当に不思議だなと思えることばかりです。決まるときは決まるのですね。とんとん拍子に行く末が決まって。わたしたち地元の人にとってはとても寂しいものがありますが、それが最良に思える選択に導かれている。
きっと亡くなったご主人が導いてくれたのかなと思っています。

いつもわたしの先で元気を与えてくれた方。
本当にありがとうございます。美味しい冷麺を食べながら、一緒に過ごしてきた数年間を思い出していました。