心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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仲良し

2017年08月26日 | 母のこと
昨日は弟の命日でした。
午前中にお花を準備して母の所に行ったけど、あまりにも暑いから涼しくなる夕方にしようと言われ、いったん部屋に戻り仕事をしていました。
まあ、仕事といっても集中できたわけでもないのですが。

午後になり、母のところに行くと、テレビの前で缶詰が三個。缶切りが置いてあって。
「あれ?どうしたの?」
「開けれると思ったんだけどね~」

リュウマチの母の手はこういう作業が最も出来ない。でもなんとか出来ると思ったらしい。
出来なかったので、わたしが来るのを待っていたらしい。それならそうと電話してくれれば早めに来るのになあ。いつも遠慮する母だ。

缶を開けると、鍋に移し替えぼた餅用にあずきを温める。
ご飯はすでに炊きあげていて、後はすりこぎでつぶすだけ。そのつぶす作業も自分で出来るかと思ってテレビの前にご飯を入れたボールとすりこぎを持っていっていた。
でもやはりそれも無理だった。
だからわたしがすりつぶす。
そして出来たご飯を今度はぼた餅用に形を整える。それは母にも出来るし、わたしがやると形がかなりいびつ。それを見て母が苦笑いした。
「だって、ご飯が手にくっついてさあ」
「あずきを手に少しつけてやるんだよ」

そういえば、いつも最後の形を作ってあずきをつける作業は母がやっていた。
わたしは別のことをしていた気がする。
ほんとにわたしは「てぼっけ(不器用)」だわ、と確信する。

最初は果物とお菓子、それに花だけでいいと言っていた母。
ここに来て急に、やはりぼた餅を持っていきたいと思ったのだろう。お盆にはお赤飯を用意したから、今度はぼた餅をって。
そうそう、それと庭で採れたキュウリとミニトマトも入れていた。「採れたのを見せなくちゃね」って。

お盆のお墓参りには車で待っていた母だけど、昨日は誰もいないだろうからと痛い足を一歩一歩ひきずってお墓まで歩いた。たぶん今日あたり痛みで苦しんでいるだろうな。それでもお墓まで行きたいと。
「来年にはこうして歩いていけないかもしれないからね」
その言葉を何度も言っていた。毎日、自分が出来ないことが多くなり、体に自信がなくなってきていることを確実に知っているからそう思うのだろうな。
そんな母に、わたしが出来ることはなんだろう。
最初から手助けをすることも出来るけど。出来ないことをやってみて知るのもまたショックだろうし。
それでもいくらかでも自分の手で何かやりたいことがやれたら・・・と思う。最初からなんでもわたしに頼むということは嫌なのだ。

なかなか母の心の中を思い測るのは難しい。
それでもなんとなくではあるが、もしかしたら何かしてもらいたいことがあるのでは? と時々聞く。
「何か頼みたいことなあい?」

自分の足で手を引いてもらいながらお墓にいった。それが満足だったのだろう。
帰ってきたら、ご近所さんの母の仲良しの猫チビが門塀にいた。写真を写せばよかったのだけど、忘れたので古い画像から。

母はそのまま家の中に入らず、チビに話かけていた。
「チ~ビ、チビ! ただいまぁ。」
車を駐車するために会話? は聞こえなかったが、たぶん母は報告していたのだろう。息子の命日にお墓に行けたことを。

近寄ると母が見て見て! とチビを指さす。
おしゃれな首輪をしているとのこと。なるほどカラフルなガラス玉のようなもの(アクリル製だろう)が色とりどりにぐるっと繋がっている。母が
「首が苦しくないのかなあ」とちょっと心配していたが、当の本人は全然しらんぶり。夕方の涼しい空気を堪能していた。
久しぶりに会った仲良しに母の顔がほころんでいた。