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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

わたしはここに

2017年08月23日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

あぁ、そうだったとうなづく自分がいて
そこには 昔そんなこともあったよなと思える自分がいて

時間は刻々と過ぎていくのに
同じようなことが繰り返されて
そのたびに昔の自分を思い出す

どうして同じことを繰り返すのだろう
あのときの自分はちっとも出てこないで
新しい自分となって反省を繰り返す

それがどうにも悔しくて
こんなに年を経ても
治らないんだねと

ある日
思ったの

それもまたわたしに課せられたものなのかなって
反省を繰り返す人間がいる
反省を糧に前に進んで成功する人間がいる
わたしは前者で失敗の権化
それでも生きている意味があるんじゃないの?
失敗していることを見せていることで
誰かが反面教師にしているんだと

なんだか
そんなことを考えていたら
わたしが生きていることもいいのかなと思えてきた

※※※

小さな 小さなもの
それだけでは何も意味をなさないと思えるような

でもたぶん違う

そこに在るだけで
だれかが見つける

それを意味がないと
誰が言えるだろう

※※※


曇り空を眺め、青空を思い出す

2017年08月23日 | ほんのすこし
昨日は雷は鳴るし、土砂降りになるし。
一日中外に出なかった。その延長なのか今朝も曇り空が続いている。なのに部屋は蒸し蒸しと汗が止まらない。
残暑厳しく・・・というか、そんなに厳しくないのに体が汗っかきになってしまった気がする。エアコンをドライにしているが、部屋の湿り気は解消されない。

パソコン画面の先にはベランダへと続く窓が。
薄いレースカーテンの花模様の間から格子状の小さな穴を通り抜けて、通り向かいの屋根が見える。
目隠しになってはいるものの、なんとなくカーテンを開ける気にならない。夕方は早々と遮光カーテンを引いてしまう。昼はレースカーテンでも外からは見えないのだが、室内の照明をつけると外からはレースカーテンでは丸見え。だから照明をつけるときはすぐにカーテンを引く。

それが息子家族がいるときは、カーテンを引くのを忘れることもあった。なんというか人がいるという安心感なのだろう。
本当はカーテンなどひかずに照明をつけてもまだ明るい空を見ていたいという気持ちもあるのだ。だが、長年の習性なのかひとりになった途端、夕方部屋に戻るとすぐにカーテンを引く。

もしカーテンを引かずに照明をつけたまま夜を迎えたら・・・青空の日は煌々とした月が見えるだろう。
月を見つけたら、部屋の照明を消し、窓辺に立つ。
そんなことも思った。
思っただけだ。

やはりカーテンを引く。

だからときどき満月だったことを次の日に知ったりすると、もったいないことをしたなと思ったり。

前の家に住んでいたときは、ひとりでいたときによく夜の月を眺めたものだ。広い芝生が月明かりにゆるく照らされているのを見るのが好きだった。
夜道を歩くときに月が出ているだけでなんとなく嬉しくなることも。
今は夜道を歩くなんてことほとんどなくなった。

時は進んでいるんだな。わたしの人生は後戻りできないからね。最初は二・三年ぐらいここに住もうと思っていたけど、もう13年以上になってしまった。最近のわたしを「なんておバカさん」だと思いながら、これからの自分を考える。おバカさんな自分がいて反省して、またおバカさんになって反省して。それでも懲りないで前に進もうとしている。
「今日はこれだけはやろう」
そう決めたはずだ。
だからね、今日やろうとしたことをこれからやる(笑)。

あぁ、話がシッチャカメッチャカ・・・
蒼空がほしい。