心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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ギターを弾いていた名残

2018年03月09日 | ほんのすこし
高校生の時、溜めていたお小遣いと修学旅行のお小遣いの残りを足して、ギターを買った。
音楽に関係していたのは中学の途中から入部したブラスバンド、それも中学時代だけで終わったので、それからのわたしの人生では楽器を演奏するという機会はこのギター以外はほとんど無かった。
あっ、違った。独学のピアノ、学生の頃教員免許の副免選択科目を音楽にしたものだから、習ったことのないピアノをやる羽目になった。バイエル終了が単位修得となっていた。音楽棟には一台一台ピアノが置いてある小部屋が並んでいて、夜の11時くらいまで使用することができた。
教則本を買って、一から練習。見よう見まねで練習。
寮にもピアノがあったので、それでも練習。

まあなんとか単位を取ることが出来た。おかげで小学校の分も取得することが出来て。就職氷河期における世代にとってはかなり役に立った。だが、その後の人生でその役に立ったことを投げ出すことになったのだけどね。

そんなピアノ経験だったけど、ギターは高校時代から自分のそばにあった。教則本を見ながら指使いやら、慣れないギターの譜面を勉強した。学生になってからはますますギターが好きになった。一年の時、同じ研究室の先輩がギター研究会なるものがあるというので、行ってみた。そこには一年上の先輩がいてフラメンコギターを弾いていた。初めて聞くフラメンコギターにわたしはもうびっくり。
その情熱的な演奏に、普段物静かな先輩のどこにその力が潜んでいるのだろうかと危ぶんだものだ。
その先輩は途中でギターを極めたいと退学したのか、姿を見ることが無くなった。彼は今頃どうしているのだろう。名前すら忘れてしまったのだけど。

その研究室にわたしと同じく入学した医学部の方がふらっと尋ねてきた。そしてギターを手に取り、「アルハンブラの思い出」をつま引き出した。
その上手いこと上手いこと!
しかも平井堅似のイケメン(その当時平井堅はまだ現われていなかったけど)、もう女子が放っておかないって感じだったね。

あぁ、でもでも。声が・・・ごめん。
わたしの苦手なキンキン声だったの。

あれ、なんか違う。こんなこと書くつもりじゃなかったのに。

で、なんか違う研究会には入らず(笑)、ひたすら寮の仲間とギターを弾いて歌うという暮らしに落ち着いた。
その頃の名残が先日の母の棚整理で出てきた。山崎ハコの楽譜。



その中でも良く歌っていたのが「気分を変えて」だった。
今はもう演奏なんてできないだろうけど。
あの頃が無性に懐かしく思える。なんでだろう。最近こんなものに出くわすというのは、何か意味があるのだろうか。いや、意味を持たせたがっている自分がいるのだろう。