心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

懐かしいもの

2019年10月16日 | ほんのすこし
ここに住むようになってから、色々なことに挑戦してきました。
その中で特に夢中で取り組んだのがクラフトテープで作るバッグや小物。このブログにもいくつか紹介していますが、数えたら100個以上、もっと作っていたように思います。他の方の手に渡ったものが大半で手元にはほんの少ししか残っていません。母のところにもいくつかあり、まだ使用されているものもあります。10年経ってもまだ使えるというのは案外丈夫に出来ているんだなと今更ながら感心します。

残したもののうち、この猫ちゃんがぶら下がっているかごはとてもお気に入りで、今も雑貨を入れて部屋に置いています。残しているものの中でバッグとして使うものは少なく、部屋の小物として使うほうが長続きしているように思います。
やはりバッグというのはそのときどきの自分の流行に左右されるなあと思いますね。あの頃は手作りのクラフトバッグを持ってどこへでも行ったものでしたが。今は持って歩くことはしていません。
そして作ることからも遠のいてしまいました。道具は押入れの奥にしまいこまれ、出す事もなく・・・ときどき思い出して、またぞろ作ってみようか、なんて思うのですが、もう物作りへの情熱が薄れてしまったなと。(でも、それも思い込みなのかも)

何か自分が作ったものが残されている、それを見つけて懐かしむことが出来るというのはほっこりするものです。部屋にはそうしたほっこりできるものがときどき目に止まって、あぁ、これはあの時の自分だなと振り返るのです。次々と新作のアイデアが浮かんできて、夜中でも寝ていられず起き出してテープを切ったり。編みながら途中で頭に浮かんだ図と違うことに気づき、全部ほどいてまた最初から始めたり。それでも思い描いたものと寸分違わぬものに仕上がることはなかなか無く(笑)。結局は出来上がったもので納得するといった自分に甘あまな・・・
納得出来なかったものでも他の方から見れば、気に入ってくれたのかフリマでもお持ち帰りしてくれた方が沢山いました。

来年、狭い場所に引越することになれば、この残っている手作り品もどれかは捨てていかなければならないでしょう。そのときまで飽きるまで使ってあげようと思っています。またテープを手にするときが来るかどうかわかりませんが、道具は処分しないで持って行こうと思います。(やる気十分?)

さあ、懐かしさばかりに浸ってもいられません。今、わたしがやるべきことに目を向けていかなくては!

空を見上げて

2019年10月16日 | ほんのすこし
ここのところ毎日、空を見上げることが多くなりました。青い空にある雲の様子が日々変化していて、それをぼーっと、ただぼーっと見ている、そんなわたしがいます。
空の色もまたいいんです。この青さがいいなあと思います。運転していてもフロントガラス越しに見える空が綺麗だったりすると、見てしまいます。でも運転中は上では無く前をしっかり向かないと危ないですけどね。

そんなに空が好きですが、どこかへ行って空を見るといったことまではしていないのです。ほとんど変化のない一日の流れの中での繰り返しです。行動だけを見れば「なんだ、今日も同じようなもんじゃないの」と思われそうな、そんな繰り返しなのです。
端から見ればそうなのですが、わたしの中ではどの一日も違います。空に漂う雲が一つとして同じものが無いように。

その違いは毎日、顔を合わせる母や叔母との語らいにあるように思います。母とふたりのときも笑いはありましたが、叔母が加わってさらにその笑いにパワーが増した、そんな感じなのです。笑い転げるほど涙が出るほど笑うことが一日に一度はあり、そのたびに「あぁ、笑うってお腹が痛くなるんだな」と。演技派の母の行動、おしゃべりな叔母のキュートな言動、年を取るって素敵だなと思いながら、場を和ませるためのさりげない言葉の数々に感心しきりなのです。

例えば、母はこの頃前にも増して足を運ぶときに痛みが出るようで、本当にそろ~り、そろ~りと足を運んでいるのです。痛いのを我慢しながら足を運んでいるときに叔母が心配して「大丈夫?」と訊ねることが何度かあるそうですが、その何度目かのときに母が大きな声で
「わ、っかりま、っせーん!!」と言ったみたいです。そのときの母は大きな声を出すことで痛みを忘れようと思ったみたいです。でもその様子が笑いながら言うものですから、叔母もついつい笑ってしまったと。

これが「痛くて痛くてたまらない」なんて苦しそうに言われたら、どうしましょう。オロオロ、ハラハラ・・・母にとっては痛みは日常で、そのことをいちいち心配されては適わないといった気持ちが出ていたようです。痛みの度合いは本人でなければわかりません。でも、気に掛けているよという気持ちだけは忘れないようにしようと思います。
わたしも叔母も母の痛みを同じように感じることはできませんが、母の場を和ませようとする言動には大いに笑わせてもらい、明るい笑い声が響くようにしたいなと思います。

今、わたしのお下がりのサマーニットを母が自分用にリメイクして袖を短くし、チュニック風にして着ています。薄いクリーム色なのですが、それがとても母に似合っているのです。昨日は母に何度も「母さん、それすごく似合ってる!」と言いました。そのたびに「そう?」と嬉しそうな顔をします。
「それがさぁ・・・」ん? なになに?
なんでも短くした袖をまたくっつけてもいいかなと見直していたそうな。で、叔母にその袖どうした? と聞いたら・・・仕事の早い叔母がすでにその袖をほどいてまん丸の糸にしてしまっていた・・・
「この糸、ふわふわして気持ちいいから帽子にでも編めるんじゃないかと思って」
「ありゃ~、早すぎるってば!」
と、母も呆れる手際の良さ。わたし
「でも、袖つけなくても今のままですごくいいよ。袖いらないよ~」とフォロー(笑)
「そうかあ?」ちょっと不満げな顔を見せながらもわたしと叔母のふたりから「似合う、似合う」攻撃を受け、袖付けというアイデアを諦めた様子。

こんな感じで母を中心に三人、今日もなんだかんだと一日過ごしていきそうです♪
あ、今日はウクレレレッスン。準備しなくちゃ♪

今日もいい空です。
そして雲もまたいい雲です。