心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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今日の夕暮れ

2019年10月21日 | ほんのすこし


母のところから戻ろうとしたら、南西の空が赤くなっていた。見送りに出てきた叔母に
「ねぇ、見てみて! 空が綺麗だよ」と教えた。
「綺麗だね~」
「電柱がなければもっといいんだけどね~」
「電柱がなければサバンナの夕焼けみたいに見えるね~」と二人でしばらく見ていた。映したかったけど、叔母が言うように電柱が邪魔だった。だからそのまま車に乗った。
でも、すぐに近くの土手のそばに車を止めることにした。このまま帰ったらもったいない。土手にあがり、もう赤みが消えそうな感じだったけど、急いで映した。土手から見えた景色は叔母と一緒に見た景色とは違い、サバンナとは言えがたかったけど、それでも今日の夕暮れはいつになく綺麗な色だなと思った。



それにしても画像がブレブレだわ・・・へたっぴー。



5445

2019年10月21日 | ほんのすこし
こういう数字が気に入っている。
きっぱり5000とかより、どっちから見ても・・・とか、1234とか、ちょっとどこか繋がっているような、そんな数字。

今日はgoo開設から5445日目にあたるようだ。
だからといって何があるというわけでもないけど(笑)。わたしの中ではなかなかな数字に見える。あ、そういえばこの「なかなか」という言葉には母と叔母とわたしにとって流行めいたものがある。
母が昔、少し若い頃(笑)失業保険をもらう手続きにハローワークに行っていたときのこと。毎回、職探ししているかどうかの欄に「なかなか見つかりません」と書いていたことを話した。「あの当時は職員さんも鷹揚で、長く勤めたんですね~と言って書き方とか教えてくれたものだよ」と、その時どう書けばいいのか悩んでいた母に「なかなか見つかりません」と伝授?したのだとか。
その話を聞いたあと、わたしも叔母もその言葉を多用する。母が
「あ、ほら、あれあれ、どこへやった?」ふたりで
「なかなか見つかりません」
「さっき出したはずの服、何処に置いたかな」
「なかなか見つかりません」

母も呆れて、「いらないときに使わなくてもいいだろ」と苦笑い。
そのうち「なかなか見つかりません」から「なかなか出来ません」「なかなか」をくっつけて話すことも。この「なかなか」は案外くせもので、「お主、なかなかやるな」と言えばお褒めの言葉、でも母が使っていたのは否定の意味、使いようによってはプラスにもマイナスにもなるという、なかなか面白い言葉だなと思う。

あれ?
5445はどこへ行ったの?
例によって脱線してばかりだ。
まあ、5445というプチ記念の数字の日、夜はひとり乾杯でもしようかな(笑)