心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

81枚

2016年03月15日 | ほんのすこし
原稿用紙81枚、29334文字。
短編、ようやく形になった。これから縮小、不要な部分を再考しなければ。これでもずいぶん削ったのだけど、まだまだ不要な部分がありそうな気がする。

一番最初に初めて小説らしきものとして完成したものは114000文字だった。原稿用紙300枚超。読み返せば不要な部分がかなりあると思われる。が、今は読み返す気力はない。あのとき書きあげた興奮は今も思いだす。音楽によって変わっていく一人の女性を描いてみたかった。それがうまく書けたかどうかはわからない。
今は書きかけのものがいくつかあるので、それを完成するのみだ。
同時進行で書きかけのものがいくつかあるが、なかなか先に行かない。あっちにふらふら、こっちにふらふらと浮気ココロが出てしまう。そんな中での一つの完成、ちょっと嬉しい。

短編でも冗長な部分を精査したらもっとスリムになっていくだろう。
書きたいものがあるうちはいい。
自分の時間を楽しめる。
完成しようとすると、悩みがふつふつと出てくる。こんなんで書いてると言えるのだろうかと。
自問自答しながら、停滞しながら、それでも書きあげたいと思ってあがく。
書いているうちに、これが本当に書きたかったことなのか?という疑問の穴に落ちる。いったん穴に落ちたら這い上がるのは容易なことではない。それでも何日かして、案外ケロッとまた書き始めたりする。

書くという行為が好きなのかもしれない。だらだらと言葉を垂れ流しにしてしまうが、書いているうちに書くことに慣れて行くのだと思う。昨年、審査員の先生に「とにかくたくさん書くことですよ」と言われたことがいつも脳裏に浮かぶ。とにかく沢山……、う~ん、沢山書いていないなあ。
一日に書く時間を決めてパソコンに向かおう、って最初は決心したものだ。
今ではその決心はあやふやになりつつある。
もっと本を読むこと、良い文章に触れること、それもいいだろう。
だが、それも実行しているとは言い難い。

とにかく今の自分には反省すべきことだらけだってことだ。
でも、まぁ今日は気分がいい。
曲がりなりにも最後を書き終えた気がするからだ。

次はどれを完成したらよいだろう。楽しい悩みだ。

今日は運転手

2016年03月15日 | ほんのすこし
先日から頼まれていた運転手。
昨日、従妹から電話があり、こっちで買い物をしたいと。
そして母のところで一日過ごしたいということだった。その従妹というのは長年遠くで暮らしていて、昨年自分の親のところに戻ってきていた。

昨日連絡が入り、今日ではどうかということになった。
ちょうど昨日、会社に行って用を済ませたばかりだったので、今日一日付き合うのは大丈夫。
ということで今日は運転手。

従妹は私よりも年上で、小さい頃はなんでもできるお姉さんといった感じだった。夏冬と長期の休みには従妹の家(母の実家)に弟ともどもお世話になっていた。砂利道を子供の足で二時間以上てくてくとバス停から歩いていく。そんなことはちっとも苦にならなかった。子供にとっては興味のあるものだらけだったから。

そんな楽しい時期もわたしが小学校の高学年になっていくと、だんだん遠のいて行った。長く田舎にいることがなくなり、夏休みもお盆のときだけ母たちと行く、そんな状態に変化していった。従妹はもちろん成長していて、その成長の度合いがわたしとはかけ離れているように感じたものだ。
大人だ、という思い。
そのうち母から従妹がどうしたこうしたという話をときどき聞くと、どこか遠くの人の話のように思えた。

結婚して北海道に住んでいると聞いたのはいつだったのか。

なんでもできて、話も上手で、どちらかというと人の上に立ってどんどんやっていくそんなイメージだったが、昨年の秋にちらっと母のところに寄ったときにはそのイメージはちっとも変わっていなかった。
相変わらずエネルギッシュで、いる間ずっとしゃべり続けていた。
まるで一陣の突風が通り過ぎて行ったみたいだった(笑)
母もわたしも静かに話す方なので、特にわたしはそうなので、帰った後にちょっとぼーっとしていた(笑)。

その従妹がやってくる。探したい本があるという。読書家の彼女らしい。パッチワーク用の糸も欲しいらしい。午後には母と一緒に絵を描きたいとも話していた。油絵を描くという彼女。多才な彼女らしい。
まあ、母は彼女のおしゃべりに付き合ってみるのもたまにはいいなと思ったらしい。
どんな話が飛び出すやら、楽しみでもあり、怖くも?あり(笑)。

朝早く、ちょっとホットケーキミックスを使ってパウンドケーキを焼いてみた。
美味しかったら母のところへ持って行こう。三人でぱくついてみよう。


永遠へと続く

2016年03月14日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

この道は どこへ続くのだろう
見渡せば広漠とした世界で
ぼくはたったひとりで
とぼとぼ歩いている

昨日までそばにいたきみが
いまはとなりにいない
昨日まで空を飛んでいた鳥が
いまははるか遠くに去った

ぼくはただ歩いている
何を探して歩いているのか
この手をつなぐものはいるのか

今日という一日を
無事に越えられたら
ぼくはまた永遠が見えるような気がして
この道を進んでいくのだろう

たくさんの手に別れを告げて
たくさんの歌を聞き流し
たくさんの言葉を背に受けて

たったひとつが何であるか
ぼくの永遠はきっと
この道に続いていると信じて

※※※

ようやく見ています

2016年03月13日 | 母のこと
数日前に放映された番組『のどじまんTHEワールド 春2016』
わたしも母もこの番組の大ファンです。これまで放映されてきたものもずっと見てきました。
外国の方が日本の歌を歌ってのどじまん、という企画ですが、回を追うごとに上手い方が出てきますね。

今回は録画していました。母はリアルタイムで見たようです。
次の日、母が
「見たか?」と聞いたので
「ううん、録画したから後で見ようと思ってる」というと、
「早く見れ。良かったから」というので
「結果、教えないでよ」と頼んでいました。

昨日、温泉でまた母に
「見たか?」と言われ
「まだ。歌番組だから日中に見ようと思ってるんだけど、なかなか見れなくて」
「そうかあ。良かったんだけどなあ」
「わかった。後で見るね」
といっていたら、有線放送で流れてきた曲が。

川は流れてどこどこ行くの~

「これ歌ってる人だれだっけ」
「夏川りみじゃない?」
「綺麗な声だなあ、なんて歌だ?」
「確か、花ってタイトルじゃなかったかな」
「他にも歌ってるか」
「涙そうそう、とか」
「あー、それだそれだ。すごく上手かったんだよ、のどじまんで」
え~!! 結果教えないでって言ったのにぃ~。

その後、わたしが夜に見た中居さんの金スマの話をしばらく説明していたら、
突然、母が
「中居くんって司会がうまいよな。あれだったら司会でも十分やっていけると思うよ」と。さらに
「さっきから考えているんだけど、最近中居くんが司会やってる番組ですごくいいなと思ったのがあったんだけど、なんだったかなって」
「ふ~ん、なんだろ、世界なんとか? 鶴べえとやるの?」
……
「わかった! のどじまんだった!」
「え~! さっきまで話していたじゃない!」

なんかおかしくて二人で温泉で笑い転げてしまいました。

で、ただいま母に急かされたのどじまんの録画を見ている途中です。とにかく上手い!
しかも涙が出そうなくらい心に響きます。
さて、頂点に立ったのは誰でしょう。
これから続きを見ます。「涙そうそう」はまだ出てきません。一体だれが歌うのでしょうね♪


昨日は……

2016年03月12日 | ほんのすこし
昨日は母の付き添いでした。
天気も良かったのですが、整形外科はとてもとても混雑していました。普段よりもっと多かったように思います。冬って整形外科にかかる人が多いのかなぁっていつも思います。
滑って転んだだけで骨折になりやすいのかもしれません。松葉づえをついている方が何人かいました。

この頃、母は前よりも耳が遠くなってきているみたいで、病院内だから声を押さえて話そうと思い、耳元で話しても返事がかえってこないことがたびたび。答えるときは声が少し大きいので、いつもは沢山おしゃべり楽しみながら待っているのですが、整形の沢山患者さんがいるところでは遠慮しました。

でも長い待ち時間。なんだか眠くなります。うとうとしていたら母が窓の外の大きな樹を指差して
「あれ、なんの樹だ。実がぶらさがっているみたいだけど」というので、振り向きました。
そこには本当に大きな樹があって、葉の落ちた枝枝にたくさんの茶色い実がついているのです。同じようなものを病院の敷地に入ってすぐの舗道脇で見かけた気がして、たしかその木には何か説明が書かれていた気がしました。
「たしかねぇ、プラタナスの木だと思うよ。しかも何か別の名前がついていたような……、ヒポクラテスの木! そうだ、そういう説明があったなあ」
「ふ~ん、なんだかいいよなあ。実がたくさんついて、見ているだけで気分がよくなる」
植物の好きな母らしいなと思って見ていました。

大昔にプラタナスの大きな樹の下で医術とかを学んだのでしょうね、ヒポクラテスさんたちが。

そんなこともあったり。はたまた向いに見える部屋、リハビリなんですが、その部屋のスモークガラス部分にいつも季節のものが貼られているので、それを見たり。
離れたところから見るので、母には黒猫さんはわかるけど、下のものが何かわからない。
わたしがそっと確かめに行くと、折り紙で作った風船のようでした。
しばらくすると母が
「あの黒猫、口先がさっきから動くように見えるんだよ。動いてないか?」と聞きます。
わたしが見てもそれは貼りつけた黒猫なので(よくゼリー状のもので作った貼りつけるもの)動くはずはありません。
「目がおかしくなったのかねぇ」
「そんなことないと思うよ。目の錯覚だよ。心配しなくていいって」
「そうだといいねぇ」
そんなことを言いつつ、待っているとようやく名前が呼ばれました。

先生に「どうですか」と聞かれ
「12月頃からだんだん痛みがひどくなってきて」と答えると、先生はちょっと心配な顔をしました。
体のどこが痛いか訊ね、一番痛いという膝を見ることに。
結果、膝の水を抜き薬を注射するという。
「注射、痛いけど我慢してくださいね」と先生が言うと、母は何度か経験があるのでじっと我慢。
後で母が、以前よりは色も薄かったなあと話していました。
患者さんが沢山いて、看護士さんも次々に呼ばなくてはならず、もたもたしていられないなと思いました。でも整形にかかる方は皆さん動くのは大変なので、看護士さんも内心くたくたなのでしょうねぇ。
先生も看護士さんもなんだか疲れた顔をしていたのが印象的でした。

戻ってきてふたりでゆっくりお昼を食べると、なんだかホッとした気分になりましたよ。

テレビを見ながら「東日本大震災」の報道がどこでも入っていて、ふたりであの時のことをしばらく話していました。弟がまだ健在だったときでした。弟のことにも話が及びました。
震災の日、我が町は電気がストップしましたが、復旧は一日半ぐらいでした。それでも大変だ! という気持ちになったのです。被災地の方々は一体どんな思いで過ごされたのかと思うと、想像もつきません。
母とこうして生きていることがどれだけありがたいことかと何度も言いました。

夜に金スマを見ました。
書道家の翔子さんが台湾からきた高校生と交流する内容でした。台湾の高校生が南三陸の被災地でそれぞれの家庭に宿泊。そこで震災のことを聞きます。その顔は真剣そのものでした。とつとつと語る被災者の言葉に耳を傾ける真剣さが画面の向こうからひしひしと伝わってきます。
台湾と日本の交流がこれから先ずっと続きますようにと翔子さんは『久遠』という文字を大きな紙に書きます。その無欲の姿に筆の勢いに、最後の筆の先が作りだした道に、見ていて涙が溢れてしまいました。
「ハマミズキ」の歌がずっとバックに流れていて、その旋律がまた胸に響きました。
台湾の方々が被災地に送ったすごい額の募金はそのほとんどが民間人からのものだったと言います。ひとりひとりの気持ちが込められた募金なのだと改めてわかりました。

翔子さんの『久遠』が台湾の学校に届いた1週間後に台湾で大規模な地震がありました。
幸い高校生や学校には被害はなかったようですが、南三陸に行ってきた高校生は翔子さんの額を見て、励まされたと言っていました。宿泊先の被災地の方たちからもすぐに連絡が入ったとのこと、心配してくれる人たちがいる、繋がっている人たちがいるということがどんなに安心で嬉しいことかということを感じさせてくれる瞬間でした。
中居さんが「おれは何も行動してこなかったということが本当によくわかった」というようなことを繰り返して話しているのが、とても印象的でした。中居さんはこれまでも被災地にお忍びでいって援助していたと前にネットの記事を読んだことがあったのですが、その中居さんが「何もしてこなかった」という…… それならわたしはどうなんだ? と胸がきしきししました。

母と語った震災の頃の話。
夜はテレビで知った震災の話。

今年の3月11日はこうして過ぎていきました。
今日はまだ終わらない問題でもある福島の飯館村の方のお話を聞きに行く予定です。

春になってきた

2016年03月11日 | 朝のことば&つぶやき
窓の外で白鳥の声がした。
これから帰るのだろう。
カーテン越しの光がまぶしい。
重苦しい冬の空気が軽やかになった気がする。

春に入ったんだな。
と思う。

どこか軽やかな気分が
体をすり抜けていった気がする。
春になったから
きっと何もかも
弾んでみえるのだろう。
白い雪が埃にまみれて
褐色に変わっていくのもまた
春が来たことの証だ。

その下ではすでに
春の芽吹きが待ち構えていて
雪をのけて
顔をのぞかせてさえいる。

さあ、今日は晴れてる。
外に出よう。

今日はなんだかなあという気分

2016年03月10日 | ほんのすこし
やっぱり…… そんな予感が少し前からありました。
最近、いつも母と行っている温泉でなんとなく雰囲気が違う? と思っていたのです。
サウナに入るわたしですが、はっきりと何? と言えないのですが、これまでと違う何かがあるなって思っていました。

サウナに入る人の中で、わたしのことが噂になっているという。誰かがわたしの相手のこととかを吹聴したらしいです。
別に隠しているわけでもなんでもないのですが、家族とか仕事とか、そういうことから離れていることがここに来たらいい気分になるという温泉だったのに、根掘り葉掘り他人のことをみんなで言っているということが、とてもがっかりでした。
わたしのことを周りに言った方がどんな方であったかわかりませんが、話の中身は本当に正しいことだったのか、疑問です。

でも、面と向かって言われていないので反論することもできないし、母に言わせれば、そんな話は無視すればいいと。
あんなに楽しかった温泉が、なんだか怖く感じてしまいました。

サウナに入るのも嫌になってしまった感じです。
でも、母に言わせると12年も通ってきて噂に上がらないほうがおかしいのだということです。
まあそれもそうかと。
仲良し親子で通っていたけど、何をしている人なんだろうという疑問が、周りにはあったのだと思います。わたしたちは周りに自分の職業とか家族とかのことを自慢することも自ら話すこともあまりなかったので、聞かれたら答えれることだけ話すというスタンスできました。
わたしは、人のことをあれこれ訊くのは好きじゃないので他の人のことも聞きませんでしたし、自分のことも率先して話してきませんでした。母もそうです。
温泉では、自分や家族のことを聞かれなくても話す人がいます。それはそれで話したいのだろうなと思います。でもわたしたちは、そういう深い話をする場ではないと思ってきました。
だから、いつも他愛ない話をして笑いあってきたのです。

まぁ、人の詮索をするのが好きなのはわかります。わたしだって仲良しの間ではそうですから。
これまで何もなかったのが不思議なくらいです。

これからはサウナに入るのはちょっと考えようかなと今日は思ってしまいました。
距離を置いていれば、そのうち人の噂も消えるでしょ♪

参りました!

2016年03月09日 | 母のこと
昨日、電気料金の通知がありました。
ひそかに今回は少なくなってるだろうと期待していたのです。なぜかというと2月は1週間不在でしたから、その間の電気代が減っていると踏んだのです。

えっ。なにこれ。
慌てて先回の通知を持ってきて比較してみました。
たった千円しか減っていませんでした。
なんで? なんで?
行くときにはしっかりスイッチを切り、コードを抜くところは抜いたし。今回は結構あれこれと考えて準備して行ったつもりでした。
いない間オイルヒーターは使わないので、その分だって電気代が浮くはずです。

東北電力に電話しようかしらと一瞬思ったくらいです。メーターの故障じゃないの?って。
まぁ、それは止めましたが。

かなり気落ちして母のところへ行きました。すぐに夕飯の支度をする気にもならず、しばらくコタツに入りあれこれとおしゃべり。
そのときふと思い出して母に電気代のことを話しました。
「東京に行っていた間、1週間も家にいなかったのに、電気料の請求が先回と千円しか違わなかったのよ。それっておかしくない?」
「そうだなぁ。いないときは暖房もつけていないしなあ」
「でしょでしょ?テレビだってつけていないし」
憤慨した顔でわたしが言うと、母が笑って
「お前、いない間録画していただろ。帰ってきてから見ていない録画が沢山あるって言ってたじゃないか。お前がいなくてもちゃんとテレビは録画の仕事をやっていたんだよ。電気を食うのも当たり前だな」

ぎゃふん。

テレビ見ていなくても、しっかり連続ドラマは撮っていたし、それ以外の番組も1週間分ちゃんとチェックして、ばんばん予約を入れてから行ったんだったわ。
誰もいない部屋で、おそうじルンバみたいにお仕事していたんだねぇ、テレビとレコーダーは。

それにしても母に言われるまで気付かなかったわたしはなんてお馬鹿なんでしょね。
母の推理に今日は「参りました!」

ドラマの台詞にハッとさせられました

2016年03月09日 | ほんのすこし
ドラマを見ていて、ハッとさせられる言葉に出会うことがあります。
夕べ、録画していた『いつかこの恋を思いだしてきっと泣いてしまう』を見ていました。
このドラマには八千草薫さんも出演されています。
この方の変わらない美しさにはいつも感心します。そして自分の周りにこういう方がいたらきっと憧れるだろうなと思う、そんな女優さんです。

その八千草さんが、有村架純さん扮する主人公・音ちゃんに語っている場面。
「生きてる自分を責めちゃだめよ。音ちゃんを見ていれば、音ちゃんのお母さんがどんな人かわかるのよ……」
音ちゃんは小さい頃に母親を亡くしてしまうのです。母子家庭で自分を育てるために仕事をがんばっていたその母親が亡くなった年齢に自分もなり、それからの母親の姿がわからない(亡くなってしまったので)ことに寂しさを感じているのです。それに対して八千草さんが言った言葉でした。それは今の音ちゃんがこれから年を経ていく過程の中でもお母さんは音ちゃんと共に生きているのだという意味を含んでいたと感じました。

ハッとしました。
わたしを見ていれば、わたしを育ててくれた母がどんな人なのかわかるという言葉になります。そして娘を見ればわたしがどんな人なのかわかるということにもなるのです。さらに、孫を見れば娘がどんな母親であるかわかるということにも。

「育てる」ということの言葉の重みを感じました。
何も正面切って子育て云々で一生懸命になる、ということではなく、自分の生きざまが日ごろの所作が、語る言葉が、一緒にいた時間と共に目の前にいる子に刻まれているのだと。
どんなに人前で繕っても、子の中に重ねられていく素の親の部分があるのだと。

もうわたしの手を離れて、新しい家族を作っている子供たちです。
その子供たちが誰かに「あなたを見ればお母さんがどんな人がわかるね」と言われたときに、そのどんな人という意味が、どうか良いものであってほしい。そう思ったのですが、いかんせん、自分としては子育てにかなり自信がないままの人生でした。
そして、わたしの弱さ、おどおどした消極的な部分を目の当たりにして暮らしてきた日々を思うと、決して子供のためにはならなかったのではないかと思うのです。
もう戻れない過去、過去の自分を修正できない。
でも、今やこれからの自分を見て子供たちが何かを感じていけたら…… まだ修正の余地はあるのかもしれない。

人間は悩みを抱えつつ自分が弱いものだと知りつつそれでも前を向こうとする。
その姿が痛ましく思えたり、潔く思えたり、何かをじっと見据えて立っていることが必要なのだと思いながら、今の自分にまだできることがあるのではないかとドラマを見終えて考えてしまったのでした。

今でも使っている物

2016年03月08日 | ほんのすこし
ここで暮らすようになってから12年が過ぎ、最初の頃は手づくりに燃えていました(笑)。
こまごまとしたものを考えては作り、母にあげたり。
手づくりの物に囲まれている満足感を味わっていた気がします。でもここ数年その手づくりからは遠のいています。むしろこれまで作った物を処分することもあったりして。

そんな中で、この猫の入れ物はまだ現役で活躍しています。このときは携帯を入れていますが、今は文房具を入れています。
空きパックを利用し、綿をくっつけて古布(紬)を切り貼り。猫に見えるかどうか。
猫の顔は逆になっています。なんとなくこの猫の顔が気にいって、その時に何個か作った空きパックで作った小物は処分しましたが、これだけはまだ健在です。

いまだに活躍している小物が少しだけあると、それを作った頃の自分を思い出したり、ちょっとした感慨にふけってしまうときがあります。
なんといっても、「わたしはここまで生きてきたんだなあ」という思いが浮かんできます。自分の人生を振り返ったときに後悔することだらけで、タイムマシンがあったら戻って修正したい! なんて気持ちになります。でも過去に戻ることはできませんからね。
案外、戻っても何もできずに終るなんてこともあるかもしれませんね。

そんな後悔だらけの自分ですが、そこそこ手づくりを楽しんできたというのは自分の生活に潤いを与えてくれたなあと思うのです。手づくり、イラスト、エコクラフト、ほんとに色々と手を広げていました。ちょっと楽しんで、あっこれは自分には無理だなと思ったものもあります。ステンドグラスがそうです。あれは一回体験しただけでもう無理! って諦めました(笑)。

長続きしたのはエコクラフトだったでしょうね。パソコンのマウスで絵を描くというのも長かった気がします。今は全然ですが。もしパソコンを変えることがあったらまた絵を描いてみようかなと思ったりもしています。いつかは自分のイラストとポエムを合わせた本を作りたい、その夢はまだ捨てていません。
そんな自分が描いた夢を今は遠ざけていますが、コツコツと計画を練っていこうと今年のやりたいことの中に入れて、手づくり本をまた作ってみたいと思っているところです。

手づくり大好きで、作るのよりも見るのが好きです。世の中にはすごい方がたくさんいて、こんな物をどんなふうに作るのだろうと感嘆する品物に出会うときがあると、見ているだけでしあわせな気分になります。時間があったら、手づくり作品を見て回ることもしてみたいなぁと思っています。
ここで、やってみたいことを書きとめておくのもまた記録として残せるので、gooを使って良かったと思えることの一つです。
さて、これからは作ってきた物をさらに精査して処分するものは処分し、これだけは…… と思える物だけにしたいと思います。