心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

泡のようなもの

2017年04月22日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

ふと 思った
わたしにとって泡のようなものってなんだろうって
手にとってはみても
手の中からするりと抜けて
抜けたあとは消えていく
泡のようなもの

人を想った
憧れた人もいた
そっと陰から見つめることで
満たされていく時間があった
振り向いてくれただけで
その日一日が
人生で最高の日のように思えた

人生で最高の日なんて
あのときから何度となくあったじゃないか
何度ときめいて何度失望して
繰り返すたびにわたしに何が残っただろう

泡のようなもの
この手をすり抜けた
想いのなれの果ては
今のわたしのどこにもなく
愛だの恋だのという言葉とは
はるか無縁のところで
くすぶりつづける火種が
泡に囲まれて消えていくのを見ている

※※※

違ったよなあ
前はもっと こう きゅんきゅんしていた
テレビを見ても
食いつくように見ていたし

なんだか
だんだん
ひからびていく

ココロが
ひからびていく

やだなあ
なにか
もっと こう

つかみとりたいものが
あったはずなのに

※※※

こもりがちな冬が終わり、外に出たくなる春がやってきたというのに、なぜかわたしの中でくすぶるものが。
今は少しの潜伏期間か? 元気になりたいのに出てくる言葉は暗いね(笑)。
タイトルの泡のようなものって、わたしにとってはお金かもね。泡のように消えていく・・・(笑)。ほら、あぶく銭って言うし。

※※※

立ち止まる

2017年04月19日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

がむしゃらに前に進もうと歩いていたのかもしれない
周りが何も見えず
周りを見ようともせず
ただただ前にさえ行けばそれでいいと
がむしゃらに進んでいったのかもしれない
それがどんな結果になるかとか
思いもせずに

あのがむしゃらな自分が
今はひっそりと息を潜めて
時を目の前にして
かすかに呼吸する

ただこうして歩みを停めるだけで良かったのに
なぜあのときは気づかなかったのだろう

若いことだけでなんの取り柄もなかった自分が
さも何か出来るような気になっていた
浅ましくもそれが自分だったのだと
時が気づかせてくれる

そうだ
ただこうして立ち止まってみる
それだけで
自分の歩みがどこを向いているのかを
見つめ直す時間がある

※※※

目の前で下りた遮断機
カンカンカンという音が早朝の町にこだまする
始発電車がだれかを運んで南に向かうのだ

遮断機に歩みを停められたわたしは
通り過ぎる電車に乗る人々を見送る
こんなに早い時間に一日の始まりがあるという
その人々の生活はどんなだろうと

どんな生活であれ
好ましく生きていると
なぜか思えてしまう

だって
こんな早い時間だもの
すごいねって
そう思えてしまう

※※※

ブリジット・ジョーンズ見たんだけど

2017年04月15日 | ほんのすこし
レンタルDVD、期限があったので急いで見た。
というか期待しているので後回しにしていたといった感じで見たのだった。でも・・・
あれれ、どこか違う。
『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』

もちろん、最初に見た映画の頃とは皆さん違うだろうなってことはわかっていましたよ。でも、ヒロインがこんなにちがっているって。
あの頃のちょっとおデブなヒロイン、それがかなりの年月でスタイル抜群になっていたってことはわかるけど、顔がね。額の感じがなんか整形したのかなって感じが酷く感じて、見るたびにそこにばかり目がいっちゃって。整形したとは思いたくないけど。
凄く楽しみにしていたのよ。好きな食べ物を取って置いて、後でじっくり食べるような、そんな気分で。
なのに、開いてみたら、がっくりといった気分。
ストーリーとかはいいんだけど、肝心の主人公が。
スタイル抜群になるなとは言わないけど、それにしてもあのふくよかな感じがこうも変わってしまうのかと思うと、映画の最初の印象がいかに凄いかってことですね。

今、わたしの頭の中では、おデブもまたいいもんだという思いと、スタイル抜群は永遠の期待感を持つという思いが、せめぎあっている。
ようはスタイルの上にある顔が、年齢を感じさせるかどうかという問題だろうね。

見終わってなんだかどっと疲れたのは、自分に重ねていた部分があったからかも。
見ながら一緒に叫んだり、笑ったり。それはそれでおおいに楽しんでいたわたしがいたのだった(笑)。ブリジッド・ジョーンズ、やっぱり健在なのかも♪

久々にインスタントラーメン

2017年04月15日 | ほんのすこし
今日のお昼は、久々にカップ麺ではなくてインスタントラーメンを。
以前に生協で注文していた「帆立貝柱だし塩ラーメン」があったのを思い出したので。鍋一つで出来るので簡単でいいねと思って購入した品。




でも、トッピングのネギもチャーシューもメンマも無い!

麺とスープだけって・・・ だめでしょ(笑)。と思って冷蔵庫の中を物色。
これはラーメンに使わないでしょ、という代物ばかりを集めてしまった。

ロメインレタス、赤パプリカ。
先日作っていた鶏ハム。

パプリカとロメインレタスは麺と一緒に時間差で同じ鍋に。
少し指定の分量の水より多めにしてスープが薄くなるようにした。市販のスープは濃すぎて後で喉が渇くから、カップ麺のときもお湯の量は多め。
ラーメンどんぶりに入れたら、鶏ハムをトッピング。
海鮮だしだけど、鶏胸肉で作ったハムはどこか魚介の味がしてこれもあり、かなと思った。もう一個あるから、今度は別のものを入れて作ってみようっと。魚介もの、エビとか使っても美味しいだろうな。
薄味のスープになったけど、ちゃんとだしの味はした。もちろんスープは半分も飲まない。塩分過多にならないようにね。カロリーも考えなくちゃね。

朝のウォーキングは雨で中止。仕方が無いので時間を見てはテレビを見ながら腹筋運動。でもちっとも痩せないね~。

夕飯はなんにしようかな。
なんだか最近料理を考えるのが面倒になってきた気がする。困ったもんだ。
仕事が手に着かず。明日はゴスペルレッスン。練習もしていないし。掛け合い部分がちっとも上手くできない。これもまた困ったもんだ。
ちょっとやる気が弱くなっているわたし。気分を切替しないと・・・ 

始発電車に遭遇

2017年04月13日 | ほんのすこし
始発電車に遭遇


今朝は寒かったのですが、昨日、雨でウォーキングが出来なかったので行ってきました。
やはり寝ている間にそっと雪が。
草原に少し白いものがありました。風も出ていました。歩きの半分は帽子を押さえながらでないと歩けませんでした。ウォーキングの颯爽とした雰囲気からはほど遠い感じで終わってしまいました。
途中で、こんなものが落ちていましたよ。




今度はもぐらとは間違えるはずもなく(笑)。
暖かい帽子を落としていった方は誰なのでしょうね。今日辺りは頭が寒くて大変なんじゃないかなあ。

たどり着く頃に始発電車が駅構内にとまっているのが見えました。数名のお客様が乗り込む様子が遠目に見えました。こんな朝早い時間に電車に乗り込む方がいるのですね。
どこまで行くのか。学校なのか。会社なのか。
すでに朝の時間が始まっているんだなと。わたしはたどたどしい歩きでなんだか世の中の頑張っているものからは離れたところにいるような気がしました。

これがわたしの生きる道。なんて、ね。
めげない、めげない。自分が出来ることをやっていこう♪


介護認定面接でした

2017年04月13日 | 母のこと
昨日は午前中、市の職員さんが母の介護認定面接に来る予定だった。わたしも同席するということで午前中から母のところへ。
来てくださった方は若い(わたしと母からすればね、たぶん20代後半?)男性で、とても丁寧な受け答えをしてくださった。つい母も口がほころび、言わなくてもいいこともあれもこれもと話す。聞かれたことだけに答えればいいんだけど・・・
でも、まあ、家に若い男性が来るなんてこと滅多にないからね。そこは目をつぶってもらって。

沢山項目があって、色々質問されるのだけど、最後にこれは必ず聞かなければならないことですが失礼だとは思いますけど・・・っといつもの質問。
母もわたしも目を合わせて、あぁ、例の・・・と。
そう、最後の最後の質問は「今の季節は?」ということ。毎回、母の言うことは決まっていていつも「春」と答えればいいんだけど、「冬でもないし、夏でもないし、やっぱり春なんだろうね」と言う。
毎年聞いてきたので、もう頭にインプットされた母の答え方。内心笑いたくてむずむずしていた。

そんな職員の方が帰られてから母が言った。
「なんだか男の人のほうがしゃべりやすいな。優しい感じだし。女の人はあら探ししているみたいでなあ」と。そしてふたりとも気づいたのだけど、今の職員さんもケアマネジャーさんもこれまで母のところに介護関係で来てくださっている方がみんな雰囲気といい姿形といい似ているということ。
痩せていて背が高く、顔も面長。おまけに声まで似ている。

とここまで書いてきて、思い出した。母の好きな羽生くんを。バレー選手を。ケアマネさんを。
みんな似ている、雰囲気が。
そうかあ、母の男性の好みはあんな感じかあ。

と思ったとき気がついた。背の高さは普通だったけど、父もあんな感じで痩せていて顔もどちらかというと面長で、優しい感じだったなと。
そうか、そうか。父に似ているからか。

なんだかちょっと嬉しくなった。


本屋大賞にも

2017年04月12日 | ほんのすこし
恩田陸さん、本屋大賞おめでとうございます!

先に書いた『蜜蜂と遠雷』の記事。



本当に一気に楽しんだ本でした。直木賞を取ったのは知っていましたが、いままた本屋大賞にまでなったという、しかも本屋大賞受賞は二度目だとか、二度も貰う方は初めてだそうです。

なんだかわたしまで嬉しくなるような気がして。
読み終えた者が感じる満足感、かな。
もっと早く読んでいたら良かったと思えるような作品に出会えて本当に良かったです。

恩田さん、素敵な女性でした。

でもテレビの中でこの本の内容を紹介するのに登場人物をイメージして役者さんを使っていたのですが、イメージが違ってなんだか・・・
本の良さが伝わっているかなと思ったりもしました。
コメンテーターが「この本を映像化してほしくないかも」と話していた気持ちが分かります。言葉で表現された音楽というもの、その想像の世界を損なわずに作るというのは難しいなと思います。単に背景の説明や人物像ならそれに見合ったものを考えて作ればいいだろうけど、形のない音楽というものが主人公みたいなお話、これを映像化に料理するって難しくないかなあ・・・この本に限ってはね。

考えてみれば、原作と映画やドラマというのは作る側の意図によって全然違うのだと。原作を読んだ者としては原作そのものをどう忠実に描くのか? という視点を持ってしまいますが、作る方は原作の中心にあるものは変えず媒体としての味を出すために原作とは違う設定だったり、登場人物の増減やらがあったりもするのだと。忠実さを求めず、あくまで世界観を表現する、ということもあるのだと最近あるドラマを見て思いました。原作をすでに読んでいたわたしは原作がどう忠実に再現されるのか? といった楽しみで見たのですが、ドラマは違うものがありました。でも見終わって、あぁ、これがドラマでのこの話になるのだと納得できるものがあったのです。
何も原作に忠実に再現しなくてもいい。ドラマという一つの独立したものとして存在するのだと。
忠実にやるなら再現ドラマでいいわけですから。そこに何かしら監督とかの思惑が入り、新たな魅力あるドラマとして生まれるのがいいのだと思います。
今まで、本の映画化とかにあまりいい印象を抱いていなかったわたしですが、そもそも本の魅力と映画の魅力は全然違うものだということを忘れていたような気がします。ちょっと今までの評価を見直してみなくては・・・ と思っているところです。

ところで、話は変わりますが。
昨日の『CRISIS公安機動捜査隊特捜班』久々にアクション満載のドラマで面白かったですね。
小栗旬、西島秀俊ときたらもう、見なくちゃ。
脇を固める仲間も一癖も二癖もありそうな予感だし。
勧善懲悪にならないストーリーもまた今らしいかな。あのどら息子、あんな悪い奴でも救わなくちゃいけない役目って嫌だろうなと思うけど、特捜班はそんな気持ちはおくびにも出さずただ淡々と(いやアグレッシブに)任務を遂行する。変に感情移入されて演出していないところが、この特捜班の存在感を醸し出している気がする。
これから見逃せないドラマになりました♪

行きはよいよい

2017年04月10日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

とかく勢いのあるときは
行きはよいよい で
戻りのことなど考えもしない

ふと立ち止まったときに
不安が広がると
今まで歩いてきた道が
途端に薄く消えかかっていく

あんなにどんどん力任せに
歩いていたのに
ほんのちょっとだけ
ココロの中に
不安の風船があることに気づくと
どうしようもなく歩きが鈍くなる

いつか破裂してしまうのではないか
いつか道が消えるのではないか

いいじゃないか
消えかかった道など
最初からなかったと思えば
もいちど歩き始めればいいよ

膨らんだ風船が破裂するのはいつかと
ハラハラしなくたっていいんだよ
笑った口からハラハラの風船はぽんぽん飛んでいく

行きはよいよい
帰りもよいよい
ちっぼけな不安など吹き飛ばして
新しい道を歩き始めればいい

※※※



ウォーキングの途中、小学校のグランドに相撲場がある。昔通っていた小学校にもあったなあ。
放課後に数人の子供たちが練習しているそばに大銀杏があった。一生懸命体をぶつけているそのそばで、のほほんと樹によりかかってぼんやり見ていた。あれは自分とは違う世界の人たちだと。
スポーツに夢中な人たちとはかけ離れた人間が自分だと。だからスポーツ観戦もしなかった。

それが今はテレビのスポーツ放映を見ている。夢中になって見ることもある。
ふと、あの頃もしかして自分もあっち側にいたら、どんな人生が待っていただろうかと思ってみたりする。
スポーツとは無縁の自分の人生だったな。
それが良かったのか悪かったのか・・・ なんて考えるのはおかしいね。だってわたしぐらい運動音痴な人もいないし(笑)。

※※※


二日目にして早・・・

2017年04月09日 | ほんのすこし
曇天。
今にも降り出しそうな空。
外に出てから「失敗したかな?」という思いが・・・
でも歩き出したからには少しだけでも歩こうと。いつものコースを歩き始めた。そして歩きながら、そういえば町中に絵本が読めるカフェがあると聞いたことがあるなと思い出し。それがどこなのか漠然としていたので探してみようかと思いついた。
朝の6時過ぎに、だ。
そんなことを考える方がおかしいってちょっと考えたらわかりそうなものを。思いついたらまっしぐら(笑)。いつものコースの途中から変更。ちょうど雨が降りそうな予感もあったので、町中のアーケードある場所を歩いたほうがいいなとこれは名案だとばかりルンルンと歩いて行った。
だが、目的地が漠然としているためその周辺に行ってもさっぱりわからない。しかも朝6時過ぎなんてすべてシャッターが閉まっている。看板がある店はいい。でも看板がない店もあるのだということに気がついた。開店中なら外に案内板とかもあるけどそれもしまい込んでいる。
探すのは諦めて戻ろうと思った。
町中には夏の街角アートのなごりがあって、シャッターにこんなものが。
地元の生徒の人文字だ。


「大家族」
町全体が家族だということか。人と人のつながりをイメージしたものだと思う。


「大」


「家」


「族」

生徒ひとりひとりの顔が笑顔だ。これを見ただけでも今日のウォーキングは良かった。

通りがかりの歩道から見えたお寺の境内。


なんとなく不思議な気分。

結構いつもと違うルートで歩くのもいいじゃないか、なんて思いながら信号を渡ると、最近新聞に新規開店の広告があったお店はこの辺だよねとキョロキョロ。
それが間違いだった。向かい側のシャッターを見ながら店の看板も無いじゃないかと体の向きを変えようとした途端、側溝の上に置かれたコンクリートにつまずいてしまった!
前のめりに転んだ。
なんとも無様な格好で。思いがけなかったのでつい大声が。
誰もいなくて良かったよ。
で・・・ なんということ、裏起毛のついた冬用のズボンのひざがぱっくり丸く穴。右ひざと右太ももは打ち身で痛い。左のひざの穴からは赤い血がにじんでみえる。手の平も痛い。

もう二日目にしてこれだ。
しかも曇天とはいえ雨も降らずにいたのに今度はさわさわと細かな雨が。
もう早く家に戻りたい。とぼとぼ、とぼとぼ。
膝の皮がむけて消毒したらまた血が。
あぁあ、朝からテンションだだ下がり(笑)。

でも、その後見た『マザーズ・デイ』(ジェニファー・アニストン、ジュリア・ロバーツなど)が最高に良かったからご機嫌は治ったけど♪


朝のことば 49

2017年04月08日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

いつか会いに行こう
あの歌を歌う人に
いつか会いに行こう
この手の中に見えない何かを置いて
さよならした人に

風がそばを通り抜け
昨日までの匂いをどこかへ連れ去っていく
新しい匂いはほのかに甘く
鼻腔をくすぐる

目を閉じると
まぶたの中で空が光る
わたしの目に映り込む春の空
ギュッと力を入れたら
空が頭のてっぺんから足の先まで
駆け抜けていった

そうだ
まだ間に合う
今日という一日がこんなにも温かく
やさしさに満ちているということを
知っただけでも

いつか会えたら
わたしは口ずさむだろう
傍らにいる人の耳元で
今日生まれたばかりの歌を

※※※

若いときは気づかなかった
時がこんなにも早くて
朝の目覚めをありがたいと思うなんて
いつだって夜眠るなら朝は来ると思って
それが当たり前だと思っていた
若いだけで

当たり前なことなど何もないのに
生まれてここまでまるでひとりで生きてきたような
尊大な気分を抱いていた
今はわかる
どれだけ沢山の人の助けがこの身に降りかかっていたのかということを
今ならわかる
世界でわたしというものを許してくれるものがいるとしたら
親だろうと

人間というのは面白いなあ
年を経てようやく
自分もまた先を歩く人たちの思いを垣間見る
若い頃の失態を若い人に反面教師として足跡を残す
失敗は誰かのために残していい
自分の二の舞をさせないために
そう思ったら
こんな自分でも生きている意味はあるのだろうと
ちょっと思えてくる

※※※

アクリル画の一部

※※※