心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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『蜜蜂と遠雷』

2017年04月03日 | ほんのすこし
一気に読み終えた。もう熱に浮かされたようにね。
このところずっとミステリー小説ばかり読んでいたので、いささかお腹も満杯になってきていてちょっと別のものも・・・と本屋さんで手を伸ばしたのがこの本だった。
新聞にいつだったか「一気に読んだ」とかあれこれ作家さんの感想が載っていたので、気になっていたのだ。
以前『夜のピクニック』を読んだ気がしたが、あの作家だと後で気がついた。

音楽、それもクラシック音楽に関する内容らしい。とまではわかっていた。コンクールに出場する様々な人間模様だとわかってはいた。
だが、これほど音楽がぎっしり詰まった内容だとは想像だにしなかった。

日本のある場所で開催される有名なシニアピアノコンクール、その一次・二次・三次・本選へと続く出場者や審査員の群像劇。
群像劇という言葉で言い切れないなあ。
どの登場人物も魅力的すぎて。
これほどまで「音楽」というものを言葉で表現できるのだろうか? という驚きが終始つきまとう。

これを例えば映画やドラマにしたいと思う人が出てくるかもしれない。
でもわたしには作者のこの言葉の魅力には到底その媒体を通して表現するのは無理なのではないかとさえ思えてくる。たぶん映像化するなら作者の言葉が作り出したものではなく、単純にストーリーの面白さを追うことが主体になってしまうのではないかと思うのだ。それほど恩田さんが描いた音楽への言葉のアプローチは映像とは一線を画した「言葉で音楽を表現する」という試みを惜しげもなく出していて、圧倒される。
どれほど聞き込んだのだろうか。クラシックの様々な曲をこれほどまでに言葉に増幅させて目の前にあたかも見えるかのごとく、世界を広げて見せている。

わたしはクラシックはほとんど知らない。知らないけど読んでいると目の前に演奏が見えてくるように思える。
恩田さんの言葉が醸し出すなんともいえない極上の音楽の世界に引き込まれてしまうのだ。
映像化できると面白いだろうなと思う。でも音をどう表現できるのだろう。音楽を言葉に凝縮させた後での映像化・・・ その無謀な試みをしようとする人が現れるのだろうかと思うほどだった。
読んでいて感じた。『ピアノの森』や『昴』という漫画がある。読んでいるうちになんとなくその漫画を思い出していた。どこがどうということではないけど。漫画で表現している世界が言葉の中で生きているような・・・ そんな錯覚に陥ることが何度かあった。

既視感。
何度か出てくるが、その感じはたぶん読んでいる読者の側にもあるのではないかと思った。デ・ジャ・ブ どこかでこれから起きる未来で 見えるかもしれない・・・ そんな不思議なことが。音楽にはまだまだ不思議なものがあるようだ。
そして何よりもピアノを演奏する者だけではなく、読者であるわたしにも音楽というギフトはあるのだと感じさせてくれるものがこの作品にはある気がする。
自分が暮らす世界で、自然の中で、感じるものはあるはずだとわたしに問いかけている気がしてならなかった。

久々に読み応えのある作品に出会った。こんな日は何かココロの中に宝物がひとつ入った気がして嬉しい。