心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

5445

2019年10月21日 | ほんのすこし
こういう数字が気に入っている。
きっぱり5000とかより、どっちから見ても・・・とか、1234とか、ちょっとどこか繋がっているような、そんな数字。

今日はgoo開設から5445日目にあたるようだ。
だからといって何があるというわけでもないけど(笑)。わたしの中ではなかなかな数字に見える。あ、そういえばこの「なかなか」という言葉には母と叔母とわたしにとって流行めいたものがある。
母が昔、少し若い頃(笑)失業保険をもらう手続きにハローワークに行っていたときのこと。毎回、職探ししているかどうかの欄に「なかなか見つかりません」と書いていたことを話した。「あの当時は職員さんも鷹揚で、長く勤めたんですね~と言って書き方とか教えてくれたものだよ」と、その時どう書けばいいのか悩んでいた母に「なかなか見つかりません」と伝授?したのだとか。
その話を聞いたあと、わたしも叔母もその言葉を多用する。母が
「あ、ほら、あれあれ、どこへやった?」ふたりで
「なかなか見つかりません」
「さっき出したはずの服、何処に置いたかな」
「なかなか見つかりません」

母も呆れて、「いらないときに使わなくてもいいだろ」と苦笑い。
そのうち「なかなか見つかりません」から「なかなか出来ません」「なかなか」をくっつけて話すことも。この「なかなか」は案外くせもので、「お主、なかなかやるな」と言えばお褒めの言葉、でも母が使っていたのは否定の意味、使いようによってはプラスにもマイナスにもなるという、なかなか面白い言葉だなと思う。

あれ?
5445はどこへ行ったの?
例によって脱線してばかりだ。
まあ、5445というプチ記念の数字の日、夜はひとり乾杯でもしようかな(笑)

なんであの人が?

2019年10月18日 | ほんのすこし
予約録画していた科捜研の女をさっき見た。
最後まできて・・・え? なんで? 頭が真っ白に・・・
だってだってお気に入りの土門さんの部下の蒲原さんが爆発? そんなあ!
ショックでベッドに来たけど眠れそうもないわ。

なんであんなストーリーにしてくれたのよ。
と、文句たらたらのわたし。

ここまで入力するのにかなり時間がかかっている。タブレット入力なかなか慣れない。スマホよりはいいかと思ったけど、そうは問屋が卸さないってことだね。
ああ、それにしても蒲原さんにもう会えないの?
寂しいよ・・・
ぐすん、泣きたいよ・・・


偶然出会う

2019年10月17日 | ほんのすこし
ここ一週間の間に、偶然に知り合いと出会うことがありました。
スーパーで。それもその方達のことをずっと気に掛けていて、最近もまたどうされているのかと思っていたところだったのです。会いに行くからと連絡してからそのままになっていました。会いたいなと思って連絡したのに、その後わたしのほうで数々のことが出来て、会いに行くことが出来ずにいたのです。でもいつも心のどこかに「会いに行けなかった」ことが残っていたのです。でも「会いに行けずにごめんなさい」というメッセージすら出せずにいたのでした。
こういうお詫びの言葉というのは、時間が経つとなかなか出来ないままズルズルとしてしまいがち。自分の中ではこれではいけないと思っているのに・・・

そういう方でしたので、気になっていて、その方のことを思い出してどうされているのかなと思ったほんの数日あと。いつもの行きつけのスーパーに買い物に。母のところに行く前にたりないものを買おうと思って寄ったのです。それが一週間前のことでした。スーパーに入って(その日は目の調子が悪くコンタクトではなく眼鏡でした)すぐ、野菜を見ていたわたしの肩をポンと叩く人がいました。振り返るとそこに、気に掛けていた当の本人がいました!
思わず、「わぁ!久しぶり!」と二人で人目もはばからずハグしていました。脇でご主人がニコニコ笑っていました。

そしていつものことなのですが、彼女はわたしの手を握り、しばらくぶりね、どうしていたのと柔らかな笑顔を見せてくれたのです。わたしはご無沙汰をしてしまったことに後悔の念があって、ごめんねという気持ちを言ったのですが、彼女はそんなことはちっとも構わないとばかりに、隔たっていた時間を埋めるかのように嬉しそうな顔で握った手を離さず話始めました。スーパーの通路で話すには周りの迷惑になるなと思いながらも、本当に嬉しくてついつい・・・

ご主人も気さくで楽しい方です。免許の更新試験の話をされて、ギリギリの点数で認知症検査をせずに済んだこととか笑い話にして教えてくれました。いつも通りの素敵なご夫婦です。これまで何度も素敵なふたりだなと思ってきましたが、こうしてしばらくぶりでお会いしてますますそう感じました。
またゆっくりお話できたらなと思いつつお別れしましたが、なんだか気に掛けていた人に会うという不思議な偶然に嬉しい気分でした。
なかなかゆっくり訪問することができずにいますが、ぜひおふたりを訊ねていきたいなと思います。今のゴスペルサークルではなく、昔入っていたゴスペルサークルの仲間だった方です。わたしも彼女もそのサークルを脱退しましたが、その後それぞれ色々試練がありました。彼女はそれこそ生死の境を彷徨った経験もあります。その彼女が元気に目の前に現われた、本当に嬉しかったです。

それにしても・・・気に掛けていると偶然にも出会うことがあるのですね~♪



お弁当作りのお手伝いを

2019年10月17日 | ほんのすこし
先日1週間ほど子供達のところをはしごしました。
最初は息子の家に。初めての幼稚園の運動会参加ということで、ぜひに! とお誘いを受け、当日のお弁当作りのお手伝いもお願いされました。運動会のお弁当作りなんてもう何十年も昔のことです。普段は沢山の量のおかずを作ることも何品も作ることも遠ざかっているので、戸惑いはありましたが。
お嫁さんと相談しながら、幼稚園の子が好きそうな感じで、大人もつまめるものを・・・と考えて。残念ながら当日の三段重ねの写真を写すのを忘れてしまい、あれは忘却の彼方に行ってしまいましたが(笑)
結構、見栄えは良かった様に思います。味の方もまあまあ皆さん(お嫁さんのご両親も来てくださって)楽しんでいただけたようです。久しぶりにお会いする向こうのお母さんもお弁当を持ってきてくれましたので、結構豪華なお昼になりました。お母さんとはおかずレシピについてあれこれと話に花が咲きました。

一番の主役の孫ちゃんが大勢の大人にかこまれて嬉しそうにパパが作ってくれた猫のおにぎりをほおばっていたのが印象的でした。そうなんです。お弁当作りではパパが子供のおにぎりを担当してくれて、可愛い動物のおにぎりを三種類作ってくれたのでした。これには孫ちゃんも大喜び♪

お弁当といえば、揚げ物かな? と思って出かけたわたし。買い物では冷凍の大きなエビを手にしました。戻ってからお嫁さんに聞いたら、どうも揚げ物はしていないようで・・・わかるなあ、その気持ち。揚げ物って後処理も大変で、わたしも年に数回ほどしか作る気になりませんから。それならば、と揚げ物無しでエビを使おうと。
予めタマネギをソテーし、エビも下処理した後、軽く塩を振り小麦粉を振り、フライパンで焼きました。最後にタマネギとエビをオーブントースター用の器に小分けし、上からシュレッドチーズを振りかけて焼きました。
小分けにしたのは、それぞれ自分用にとりやすいようにと。
お嫁さんが作ってくれた玉子焼、「お母さん、こうすれば ♥型になるんですよ。ママ友から聞きました♪」なるほど、綺麗なハートになっていました。これはわたしも真似したいなと思いましたよ。

こうして息子が加わった三人合作のお弁当作戦は功を奏して、暑い暑い(この日は猛暑日!)一日が楽しい時間になりました。孫ちゃんも両親が心配していたダンスを最後までしっかりやり遂げて、最高に可愛いダンスになりました。

4日間の楽しい時間が終わり玄関で「ばあばが帰るから駅までお見送りしよ」と言われた孫ちゃん。思わず「えー!!もう会えないの!」と泣きそうになりました。慌ててわたしが「大丈夫、大丈夫。これからも何回も会いに来るからね!」と言うと安心したのか素直に従っていました。ばあばはまだまだ長生きして会いにいかなくちゃね~。今度はばあばのところに来てちょうだい♪

その後は娘のところに二日お世話になりました。それもまた楽しい時間を味わいました♪

懐かしいもの

2019年10月16日 | ほんのすこし
ここに住むようになってから、色々なことに挑戦してきました。
その中で特に夢中で取り組んだのがクラフトテープで作るバッグや小物。このブログにもいくつか紹介していますが、数えたら100個以上、もっと作っていたように思います。他の方の手に渡ったものが大半で手元にはほんの少ししか残っていません。母のところにもいくつかあり、まだ使用されているものもあります。10年経ってもまだ使えるというのは案外丈夫に出来ているんだなと今更ながら感心します。

残したもののうち、この猫ちゃんがぶら下がっているかごはとてもお気に入りで、今も雑貨を入れて部屋に置いています。残しているものの中でバッグとして使うものは少なく、部屋の小物として使うほうが長続きしているように思います。
やはりバッグというのはそのときどきの自分の流行に左右されるなあと思いますね。あの頃は手作りのクラフトバッグを持ってどこへでも行ったものでしたが。今は持って歩くことはしていません。
そして作ることからも遠のいてしまいました。道具は押入れの奥にしまいこまれ、出す事もなく・・・ときどき思い出して、またぞろ作ってみようか、なんて思うのですが、もう物作りへの情熱が薄れてしまったなと。(でも、それも思い込みなのかも)

何か自分が作ったものが残されている、それを見つけて懐かしむことが出来るというのはほっこりするものです。部屋にはそうしたほっこりできるものがときどき目に止まって、あぁ、これはあの時の自分だなと振り返るのです。次々と新作のアイデアが浮かんできて、夜中でも寝ていられず起き出してテープを切ったり。編みながら途中で頭に浮かんだ図と違うことに気づき、全部ほどいてまた最初から始めたり。それでも思い描いたものと寸分違わぬものに仕上がることはなかなか無く(笑)。結局は出来上がったもので納得するといった自分に甘あまな・・・
納得出来なかったものでも他の方から見れば、気に入ってくれたのかフリマでもお持ち帰りしてくれた方が沢山いました。

来年、狭い場所に引越することになれば、この残っている手作り品もどれかは捨てていかなければならないでしょう。そのときまで飽きるまで使ってあげようと思っています。またテープを手にするときが来るかどうかわかりませんが、道具は処分しないで持って行こうと思います。(やる気十分?)

さあ、懐かしさばかりに浸ってもいられません。今、わたしがやるべきことに目を向けていかなくては!

空を見上げて

2019年10月16日 | ほんのすこし
ここのところ毎日、空を見上げることが多くなりました。青い空にある雲の様子が日々変化していて、それをぼーっと、ただぼーっと見ている、そんなわたしがいます。
空の色もまたいいんです。この青さがいいなあと思います。運転していてもフロントガラス越しに見える空が綺麗だったりすると、見てしまいます。でも運転中は上では無く前をしっかり向かないと危ないですけどね。

そんなに空が好きですが、どこかへ行って空を見るといったことまではしていないのです。ほとんど変化のない一日の流れの中での繰り返しです。行動だけを見れば「なんだ、今日も同じようなもんじゃないの」と思われそうな、そんな繰り返しなのです。
端から見ればそうなのですが、わたしの中ではどの一日も違います。空に漂う雲が一つとして同じものが無いように。

その違いは毎日、顔を合わせる母や叔母との語らいにあるように思います。母とふたりのときも笑いはありましたが、叔母が加わってさらにその笑いにパワーが増した、そんな感じなのです。笑い転げるほど涙が出るほど笑うことが一日に一度はあり、そのたびに「あぁ、笑うってお腹が痛くなるんだな」と。演技派の母の行動、おしゃべりな叔母のキュートな言動、年を取るって素敵だなと思いながら、場を和ませるためのさりげない言葉の数々に感心しきりなのです。

例えば、母はこの頃前にも増して足を運ぶときに痛みが出るようで、本当にそろ~り、そろ~りと足を運んでいるのです。痛いのを我慢しながら足を運んでいるときに叔母が心配して「大丈夫?」と訊ねることが何度かあるそうですが、その何度目かのときに母が大きな声で
「わ、っかりま、っせーん!!」と言ったみたいです。そのときの母は大きな声を出すことで痛みを忘れようと思ったみたいです。でもその様子が笑いながら言うものですから、叔母もついつい笑ってしまったと。

これが「痛くて痛くてたまらない」なんて苦しそうに言われたら、どうしましょう。オロオロ、ハラハラ・・・母にとっては痛みは日常で、そのことをいちいち心配されては適わないといった気持ちが出ていたようです。痛みの度合いは本人でなければわかりません。でも、気に掛けているよという気持ちだけは忘れないようにしようと思います。
わたしも叔母も母の痛みを同じように感じることはできませんが、母の場を和ませようとする言動には大いに笑わせてもらい、明るい笑い声が響くようにしたいなと思います。

今、わたしのお下がりのサマーニットを母が自分用にリメイクして袖を短くし、チュニック風にして着ています。薄いクリーム色なのですが、それがとても母に似合っているのです。昨日は母に何度も「母さん、それすごく似合ってる!」と言いました。そのたびに「そう?」と嬉しそうな顔をします。
「それがさぁ・・・」ん? なになに?
なんでも短くした袖をまたくっつけてもいいかなと見直していたそうな。で、叔母にその袖どうした? と聞いたら・・・仕事の早い叔母がすでにその袖をほどいてまん丸の糸にしてしまっていた・・・
「この糸、ふわふわして気持ちいいから帽子にでも編めるんじゃないかと思って」
「ありゃ~、早すぎるってば!」
と、母も呆れる手際の良さ。わたし
「でも、袖つけなくても今のままですごくいいよ。袖いらないよ~」とフォロー(笑)
「そうかあ?」ちょっと不満げな顔を見せながらもわたしと叔母のふたりから「似合う、似合う」攻撃を受け、袖付けというアイデアを諦めた様子。

こんな感じで母を中心に三人、今日もなんだかんだと一日過ごしていきそうです♪
あ、今日はウクレレレッスン。準備しなくちゃ♪

今日もいい空です。
そして雲もまたいい雲です。

さよなら、夏

2019年10月14日 | ほんのすこし
タイトルが遅すぎやしないかと思うタイトルなのだけど・・・
わたしの中では今年はこんな感じなのです。10月に入ってからも日中の暑さに閉口し、半袖を着ていたし、汗がまだまだ止まらなかった日々が続いて大変だったし。
だからいつまでこんな状態が続くのか、長袖はいつ着たらいいのか、と頭を傾げてしまう日々だったから。

それが、ようやく、本当にようやく夏がどこにも見えなくなったなと思える日がやってきました。
でも、その「やっと」の前にとんでもない事態がやってきて、今、日本のあちこちで台風の爪痕に驚きと悲嘆の声が。ずっとテレビの画面を見続けていました。寝ようと思っても注意報や東京や神奈川に起きた注意報がどんどん入ってきます。結局、眠れなくてまたテレビの前に。
そんな台風の二日間でした。

とんでもない置き土産をしていった台風、自然の猛威にはなんと小さい存在だろうと毎回感じさせられます。幸い、自分が住んでいるところは大雨注意報だけですみましたが。それでもいつも以上に外の物とか気を配りました。被害にあってからでは遅い、そんな気持ちが以前より強かったように思います。今までは台風が来るといってもどこかピンとこない感じで、かなり昔にあった台風19号の通り道にあって被害が甚大だった年ものど元過ぎればなんとやら・・・で、ずっとのんきな気持ちでいました。
でも、地震と違って、台風は事前予測、情報が沢山あるので備えることはいくらかできます。
地震も今後予測可能な時代になってくれればなと思うのですが。

さよなら、夏。夏は台風が根こそぎひっさらっていきました。
令和元年の終わらない夏は自然の脅威を見せつけて消えました。

被災された方々のこれからを思うと、今は何よりも先に国が支援を万全にしてほしいと願うばかりです。経済成長が第一ではなく、この災害大国に住む人々が被った後の生活を一刻も復興させるのが一番の優先事項のように思います。

目が覚めちゃったよ

2019年10月03日 | ほんのすこし
『手紙』
あなたを久しぶりに出しています。
あなたはわたしの所に来る前はどこにいたのですか?

フランスからやってきた、リトグラフ?ではない技法に惹かれたけど、それがどうなってこうなるのかはわからない。
ただ、手紙を受け取ったあなたの心を思い図ること、それが今のわたしに出来る事なのかなと。で、その思い図るという行為さえ全然かけ離れた行為なのかなと。

あなたは遠い場所からやってきた。
芸術のなんたるかも知らず、ただ「いいな」と思ったわたしの気持ちに添うように。
ありがとう。
あれからずっとここにいた。最初はただむき出しで、後で額を調達した。額を調達したお店のご主人が「いい絵ですね」と言ってくれた。そのとき「これはリトグラフとも違うようですが」と言ったので「なんでもミクスメディアという画法らしいですよ」と言った。わたしにとっても初めてのものだった。

たぶん、芸術を極めようとしている人にとっては当たり前のことがあるのかもしれない。
でもわたしは素人だ。ただただ自分が気に入ったものが欲しかった。それだけにすぎない。その気持ちが今、手元にあるものの全てなのかなと思う。
それを来年にはあれこれと取捨択一しなくてはならない。宝の持ち腐れにしないようにね。というか、そもそも宝なのかどうかもあやふやなのだ(笑)

なんだか眠れなくてこうして夜中に起き出した。
今日の電車に乗れるのか?

う~ん。
一眠りしたいのだけど、眠ったら目が覚めたときには昼! ってことになりそうな予感(笑)

またお出かけします

2019年10月02日 | ほんのすこし
更新が滞っているのですが、またまた更新が遅れそうです。
明日からしばらく不在です。
いつものことながら、明日の出発なのにまだ荷物が全然まとまっていません。というのも、イレギュラーなほどの暑さ!
連日の蒸し蒸し日和と半袖でも汗が止まらないというひどい暑さに、持って行く着替えや着ていくものが決まらないのです。旅慣れしていないので、いつものではありますが、悩むことは着るもの。

明日、ギリギリまでに入れるものを並べて、入るバッグを決めて・・・
今夜はもうやる気がなし(笑)
晩ご飯食べすぎて(食材を残さないようにしようと思って)、明日のゴミ出しに出せるようにして。と思ったら、あれもこれもと食べ過ぎ。

叔母が来てくれたので、母のことは任せて子供達のところに行ってきます。
しばらく行っていないので、行き方忘れてしまいました。今からかなり不安。なんといっても方向音痴のわたしには、都会の駅が苦手中の苦手。駅の中で右往左往すること毎回。
一応、乗り換え案内のアプリでメモしているから、めざせ○番線、なのだけど。

なるべく荷物は軽くしたい。重いと乗り換え時間に間に合わなくなるかもしれない。なんてことを今から考えては不安になったり(笑)。行ってみなきゃわからないのにね。
母曰く。
「あんまり間を置いて行くとそうなるんだよ。しょっちゅう行っていれば慣れるもんだ」
まあ、そうなんだけど。どうもお尻が重いのよ。
今回は叔母がいてくれたから行けるんだけどね。だんだん弱くなっている母をみれば、なかなか重いお尻も上がらない。なるべくそばにいてあげないとって。
最近「あと二年は生きないとな、せっかく来年新居ができるんだから、ゆっくり新しい家で過ごしたいよなあ」と言うようになった母。叔母とわたしが慌てて
「いやいや、二年だなんてそんなこと言わないでよ」と言うことも。
11月で87歳になる母にとって思うことは「亡くなった父さんの年よりも長生きするとは思わなかった」ということらしい。病気持ちではあるけど、まだまだ頭もしっかりしているし、アイデアも豊富だし、わたしには母が生きていてくれるその姿がもう嬉しい極みだなと思っています。

「おみやげなんて買わなくていいからね」はい、これも毎回言われますね。
それでもやっぱり母の好きな「ひよこ」は買おうかなと思ったりするのです♪