渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

飲んだら乗るな

2020年09月23日 | open








飲んで運転したら危ないすよ。
自分だけでなく、人身事故など起こしたら
相手に申し訳なさすぎる。
保険さえ下りないのだし、万一怪我や死亡
でもさせたら取り返しつかないよ。

バイクの代行屋って無いもんなあ。
そら、40年程前はゆるゆるだったよ。
バイク屋に行ったらビール振る舞われた程
だし、日帰りバーベキューなどでもみんな
飲んでた。ツーリング途中でも、へーきで
みんなビール飲んでた。
昔から飲酒運転は禁止されてたのに。65年
あたりから。社会的な責任意識が希薄な
時代だったのでしょうね。
今の時代、飲酒したら運転は絶対にダメ。
自分も社会的に制裁されるけど、人に危害
を加える事になるから、飲酒運転は駄目。

山口さん、芸能界復帰はもう消えたも同然
だけど、なんでやったらいけないことをす
るのかなあ。
法律がどうのより、万一事故を起こして、
人身被害者を出したらとか考えないのか
なあ。
まあ、考えないから、この結果なんだろ
ね。

飲んだら翌日さえ体内にアルコール残って
いる可能性あるから、バイクに乗る前日に
はバイク乗りは飲まないのに。
そして、普通、電車通勤ではない車両利用
の社会人は、通常は毎日痛飲はしない。
休みの日の前に飲む。
それは、危険だからだ。
自分だけでなく、人を車両で脅かす事を
起こしかねないからだ。
ま、休みの前は酒好きは飲むんですけど
ね。しこたま。
でも、酔う酔わない、酒に強い弱い関係
なく、運転するなら飲むのはダメっすね。
人様の人生終わらせかねないから。

酒ねえ。
別に絶たなくてもいいのよ。
己を律することができるなら。
できなければ、断酒したほうがいい。
宗教的戒律のように自己を律して。

ところで、なんで仏教坊主って、酒飲んで
刺身食ったりしてんだ?
なんか意味わからん。

今回の山口さんは、芸能界復帰も、もしか
すると免許も消えたかも知れないけど、
人が死ななかったのが幸いだよ。
どれくらいの追突かはわからないけど。
コツンくらいではなく、結構ドガシャンと
やったのかも知れないが、憶測はよくない
のでやめとく。
事故は朝だから、前日の酒が残っていたの
かも知れないなあ。憶測ではなく注意すべ
きケースとしては。
そういうのホント注意しないとなのよね。
寝て起きたらオッケーじゃないから。
あと、アルコールチェッカーは、モンダミ
ンなどの口内洗浄液を使うと反応したりす
ることがあります。

巨人軍~闘魂こめて~

2020年09月23日 | open

巨人軍~闘魂こめて~


作詞:椿三平、補作詞:西條八十
作曲:古関裕而

巨人軍の歌の歌詞は一般公募だ。
それを大家西條八十さんが手直
しした。
1番の守屋浩さんは千葉県出身だ
が、東京
墨田区の安田学園中高
卒なので、東京
弁の巻き舌が歌
に出てしまっている。
江戸で慣
らした癖が出ている。
そして、「闘魂込めて」ではな
く、
「闘魂こんめえて」と歌っ
ている。
これは江戸弁だ。
このように歌にも方言が出てし
まう
ことがある。
この守屋さんのケースは言い回
しの
伝法な言葉の癖だが、歌謡
曲などの
作曲は、歌詞が先行し
た場合は、
曲のメロディには作
曲家は気を遣う。

有名なフランク永井の『有楽町
で逢い
ましょう』は、出だしの
「貴方を待てば
雨が降る」の
「雨」は標準語ではない
イント
ネーションとなり、作曲として

当時はドボンとされていた。
あれでは「飴」だと揶揄されて
いたようだ。
これは標準語を全国基準として
の判断
だ。
その後の三善英史さんの『雨』
は、出だし
の「雨に濡れながら
佇む人がいる」
の「雨」の部分
は標準語のイントネーションで
あるばかりか、全編が標準語の
音階で
曲が構成されており、秀
逸な曲とされ
た。
歌謡曲は特定地方の為の地元曲
ではない
ので、全国区の言語に
違和感ないよう
な音階で作るこ
とが基調とされていた
時代のス
タンダードというものが存在

していたのだ。
その日本の音楽の常識的メロディ
ライン
と歌詞との連鎖を恒常的
に崩したのは
桑田佳祐からだった。

2番の三鷹淳さんは『帰って来た
ウルトラ
マン』や『ウルトラマン
タロウ』の
歌も歌っていたボイス
トレーナーだ。
潤いのある美声が特徴だ。本田路
津子
さんの男性版のような声質。
ボイストレーナーらしくピッチは
正確だが、演歌歌手のようにタメ
を作らず、コンマ秒ほど伴奏より
も早く発声してしまうのが特徴。
この歌い方は沢田研二がその歌唱
方法を採り入れていた。

3番の若山彰さんは広島県三原市
出身で、
『加藤隼戦闘隊』などの
軍歌を歌って
いた。1950年代に
紅白に4回出場して
いる。
ちなみに阪神タイガースの六甲
おろし
も若山さんが歌った物が
最初のオリジナル
だ。
『闘魂込めて』では、軍歌調に
勇ましく
歌い出して、途中の
「おおジャイアンツ」
の「おお」
では「うぉおお」とまるで
バック
コーラスのように単独で盛り
上げ
る。

そして「その名を高く いや高く
上げるナインの頼もしさ」の「さ」
スッと音の勢いを抜く優しさを
出す
歌い方で表裏を表現していて
かなり秀逸。

緩急の表現力が高い歌手だ。

この『闘魂込めて』は1962年製作
当時、三人の優れた歌手で代わり
ばんこ歌わせるというゴージャス
なことを読売はやってのけた。
そうした湯水の如き投資をするか
ら阪神や他球団ファンから「商魂
込めて大金で」と揶揄ソングを歌
われたりするのだろう。
この巨人軍の歌のソノシートを
私は
持っていた。巨人ファンでは
ないの
だが、一応1950年代ラスト
生まれなので(笑)。

B面は五月みどりの『巨人はでっ
かいよ』
だった。昔からエロっ
ぽいおばちゃんだった。なぜ妹
の芸名もみどりなのかは七不思
議だった。

後楽園球場にはバックネット裏に
よく観に行った。阪神巨人戦だ。
よくチケットが手に入ったなとは
思うが、父が勤めた会社が年間契
約していた。
結構ネット裏で見た。父は広島
ファンだが、伝統の一戦のチケッ
トを何度も持ってきてくれて後楽
園球場まで観に行った。
巨人の投手がネットへの暴投を
投げた時、すぐそばの学生服の
おにーさん二人組が「拳闘見に
来てんじゃねーんだ!馬鹿野郎!」
と怒鳴ってた。
夕焼け番長みたいな恰好をして
いたのが印象的(笑)。
1960年代中期のことである。
「ボクシングではなくケントウ
ですか?」とかガキの私は思った
記憶が強く残っている。
それと売り子の「おせんにキャ
ラメル」と言うオセンとは何だ?
と。
単なるピー煎だというのは父が
教えてくれた。名作金字塔のア
ニメ『巨人の星』はまだ放送さ
れていなかった。
江川卓さんはじめ80年代の巨人
軍の名選手たちは、少年時代に
「巨人の星」があったからジャイ
アンツに入ったと一様に語って
いる。
そうした劇画やアニメが社会的
な影響力を持ったのが1960年代
の特徴でもあった。
サブカルを超えてメジャーカル
チャーとして「日本の漫画」が
確固たるジャンルを打ち立てた
のが1960年代だ。
それまでは漫画は「子どもの物」
だったのだが、大学生がむさぼる
ように漫画を読み始めたのが1960
年代だったのである。
ちなみに1960年代中期~末期に
大学生だった刀工小林康宏は無類
の漫画好きで、寝所には多くの書
籍と共に漫画単行本がドワ~ッと
ある。

今年ジャイアンツ強すぎ。

2位阪神が10ゲーム差はちと厳しい。
しかしまあタイガースは出だしの
どん尻からよく這い上がったよ。


【関西弁】関東人がイラっとする大阪弁

2020年09月23日 | open

【関西弁】関東人がイラっとする大阪弁


ああ。
このおねーちゃん、関東と関西で括ってる
けど、ネイティブ江戸弁と大阪弁とかの
対比ではないんだなぁ・・・。
ネイティブ江戸弁は方言なので関東弁
というかNHK語とも違うんだけどなぁ。
江戸弁では「女郎屋」を「じょろや」と
は言いません。「じょうろうや」です。
そうした江戸語は標準語に残っている
言葉もあって、「女王」は「じょおう」
ではなく「じょうおう」と呼ぶ。
「女王陛下の007」は「じょおうへいか
の~」ではなく「じょうおうへいかの~」
なのよね。

東京言葉を話して地方で私が奇異に思わ
れた
経験の表現としては「~かしら」と
いうのがありました。
標準語では「〇〇かしらん(かも知れ
ない)」というやつ。
「なんで女言葉使うの?」てな具合
地方の人には奇異に思われるよう
です。
もっと伝法な江戸弁だと「~か知らねえ
けどよ」とかになりますが、「あれは
そうなのはもしかすっとこんなんかしら
ね」などと通常で東京では男も使ったり
します。仮定の表現ですね。

ま、いろいろあら~な。

長年中国地区に住んでいますが、元来
の言葉が私は東京神奈川なので、中国
地方のネイティブ表現が今でも時々
分からな
いことがあります。
機転が利く方は、私が「?」となって
いると標準語で言い直してくれたり
します。すまんこってす。
今だから分かりますが備後弁の「そん
ぎゃ~なんいたしかろうて」とか、
「もってきい」とかは関東の人「?」
だと思いますよ。さすがに「机のその
角かいて」とか「とらげて」とか
「こけえへたりんひゃあ」とかは
今の備後の若者は使わないでしょうが。
最近では男子も一人称の「わし」は
使うことは絶無のようですし。
ちょっと前までは、幼稚園児の男子
までもが「わしのんじゃいやあ!
(僕の物だと言っているでしょ!)」
というように「わし」を使っていました。
日常の話し言葉で「僕」や「俺」や
「おいら」は存在しなかった。
これは関西でもそうで、島田紳助さん
が「オレとか言う奴は映画の中だけ
やと思ってた」と言ってます。
今では関西人がごく普通に言葉尻に
「さ」を付けたり、関東人が「めっ
ちゃ」という単語を使ったりして
います。大阪人が「だからさぁ」など
というのは、チョイ前までは考え
られへん事なのでした。あり得へんわ、
というやつ。
大学の時、北九州の小倉出身の奴が
夏休みに東京の大学から地元に帰省
して、地元の中学の時の仲間と飲ん
でいる時、「だからさぁ」と言ったら
「なんか、きさん!東京もんか!
ゴルァ!だからさぁち、なんか!」と
胸倉掴まれたという実話あり(笑)。

それでも、残っていて通常使用されて
いる表現は備後地方にも多くあります。
敬語で「ちゃった」を使うとか。
「先生来ちゃった」とか。関東では
「先生が来てしまったとは何という
言いざまか!」とかなりかねない。
亡くなられたことを「死んじゃった」
とか。死んでしまったではなく、惜しく
もお隠れになってしまわれた、という
意味なのですが、そうした中国地区の
言葉はほかの地方の方言と同じく、
全国版の日本語ではありません。
私の地元の友人が、道の駅で横浜の
女の子に「きょうはバイクでどこ行っ
ちゃったんですか?」と訊いた。
横浜の子は「?」となってきょとんと
している。友人は丁寧にまた「どこ、
行っちゃった、のですか」と尋ねる。
よけいきょとんとなってる。
私が横から「きょうはどこ行ったの?」
と尋ねなおしたらその子は笑顔を見せて
「~ですぅ」と答えていたことがあり
ます。
その地元の友人もハマでの生活長かっ
たし、普段は私との会話では標準語を
話しているのに、地元の場所で会った
人だからと地元語を使ったら、横浜
から来た横浜育ちの人だったので
ちんぷんかんぷんだったというオハナシ。

こうしたことは、地元言葉というのは
狭いコミュニティの地元民同士では通じ
ても、全く全国的に日本人同士のコミュ
ニケーションの言語としては通用しない
ということの現れです。
岡山県で車いすを押す看護師の女の子
が車いすの老人に「はよしねえ」と
言って聴いた人から病院に「早く死ね
とは何事か」とクレームが来たという
のは実話ですが、女性看護師は「早く
なさいませ」と言っていたのよね。
荒っぽい岡山弁の地言葉で。

要するに、てめえんとこの言葉が
世界標準だとする性根があると、いろ
いろ人との交流では齟齬を来たすの
ではなかろうか、と。
そのために標準語を明治政府は作った
訳で。
標準語は東京弁でもありません。
見知らぬ日本人同士の会話では、
相手に意思を伝達しよう、相手の
意思をくみ取ろうとするのである
ならば、俺様大将の田舎根性は捨て
て、誰とでも標準語で話すのが
まともな人的交流を求める姿勢では
ないでしょうか。特に初対面や仕事
などのシーンでは。
特に「おる」は標準語では謙譲なので
相手さまが在席の時に「おる」は
使いません。「いらっしゃる」が
正式な日本語の標準語です。
くだけた気の置けない間柄でも
「~君はおる?」というのは方言で
あり、標準語では主客逆転した失礼
な言い方になるので、西日本地区の
方々は注意が必要です。「~君はいる?」
が標準語。丁寧な言葉では「~さんは
いらっしゃいますか」です。「おられ
ますか」も間違った用法です。

地方に行ったり住むと嫌な事あんだ
よね。
公共放送がモロに方言で、あえて
方言でアナウンサーや出演者が
話しているの。
それさあ、大阪人の大阪弁しか話さ
へんという文化への対抗心というより
も、歪んだ地元国粋主義の押し出し
なのではなかろうか。
大阪はあれでええのよ。大阪民国
(だいはんみんこく)なんだから、
大阪は。
その言語を介さない奴は人間として
も視聴者としても認めない、という
果てしない傲慢さが前面に出てます
よ、特に中国地区の地方局の人たち。
広島県では「カープを応援せんと
いけんじゃろう」とかCMなどでも
やるし。ああいうの、東京でやった
ら大変な問題になります。
「巨人の応援よろしく」ではなく、
「巨人を応援しないと許さねえよ」
みたいなのは。
人がどこの球団応援しようが、自由
じゃないのよ。
俺なんて東京横浜時代もずっと
阪神ファン一徹だよ。
タイガースファンのあの差別的な
野次や応援歌は嫌いだけどね。
「江川の耳はロバの耳」とか「商魂
込めて」とか、あの大阪兵庫の空気
はいかがなものかと思ってる。

そうそう。巨人軍の歌の「闘魂こめて」
のオリジナルは3番まであって、1番、
2番、3番でそれぞれ別な歌手が歌っ
てるのね。
それの3番の一番盛り上がる最後の
パートは広島県三原出身の歌手が

歌ってたのよ。それが1963年の
制定から1980年代の合唱に替わる
までオリジナルだった。


まあ、なんにせよ、地方の地元を絶対
とする俺様絶対主義はダメよ。
やめよう!イナカモン根性!



流されやすい日本人 〜軽佻浮薄〜

2020年09月23日 | open


日本人の若いニワカたちは、己の長い経験
から得た知見や高度な識別力から生まれた
独自所見を持たず、人気ユーチューバーの
独断判断で明らかに誤ったことを広められ
たその誤認に乗って劣化コピーを拡散させ
る。
ナイフのマイクロベベルは何がなんでも
落とすのが良いことだとするレベルの低い
行動とあたかも自分が刃物のオーソティー
であるかのようなレビューを書き連ねた
り、ネット動画でその誤認論を展開する
連中がそれだ。

なぜ、メーカーがわざわざ手間のかかる
マイクロベベルを付けているのか。
また、日本の刃物研ぎには、どんな刃物の
研ぎでも「止め刃」の技法があるのは何故
なのか。
その軽佻浮薄な物真似劣化コピー者たちは
そうした事への洞察は皆無だ。

そして、おおいに笑止であるのが、マイク
ロベベルを落として使ったら刃まくれした
とか切れ味がもたなかったとか、マイクロ
ベベルの意味を理解できていない落とし信
者は平気で口にしたりネットに書いたりす
る。
もうね、宇宙の物理法則を知らないのか
と。
さらに、もっと薄刃にしたら余計良くな
かった、などともつづる。
呆れ果てて言葉も出ない。

バカすね。多分。
雨で路面が濡れて危険だからスリックを
はかせましょうとか言ってるようなもん
だ。
てんで駄目。

要するに、何がどうであるのか、まったく
初歩的な事を一つも理解していないのに、
人気ユーチューバーに乗せられて自己見識
を持たぬからそうなる。
あの鹿ドクターは断定的な物言いはする
が、あくまで「私の見解です」と釘を刺し
ている。
その実、刃物に関しては間違っていること
が山程ある。
研ぎについても、あれほど雑な研ぎなどは
あまり見ない。
そうしたレベルの人が、自分の未熟な技術
に呼応させる対応としてマイクロベベルを
落とすことをやっているのだ。
では、逆にミクロン単位のマイクロベベル
を彼が研ぎ出し出来るのか?となると、
多分十中八九は出来ないだろう。あの乱雑
な動きの研ぎでは100%無理。
それに、刃物の歴史と製法や研ぎ技法に
ついて見識が低すぎる。

それを鵜呑みにしてネットで拡散させて
いる人たちがあまりにも多い。
数は正義でも真実の体現でもなんでもな
い。
世の中、正しい事が正しいのであり、
物理現象は不動なのである。
薄刃のトンガリ刃にしたら、刃物は欠け
たり刃まくれし易くなったり、切れ味が
即落ちるのは当たり前の事でしょうに。
全く、ほんとにトホホだよ。

「その切り味が好きだから私はトンガリ
研ぎにする」というのならまだ分かる。
それは好みの問題だからだ。
しかし、宇宙の物理現象を無視するような
観点で薄刃トンガリ刃先が最良と考える
その思考法のお粗末さは、本当に救われ
ないなあ、と感じる。
最近、新しいナイフの書籍で、マイクロ
ベベル落としの風潮に警鐘を鳴らす記述
がみられたが、さすが刃物研究者だと思っ
た。
正しい事を正しいと認識できる人たちは
いる。

私は用途によって刃先の研ぎを変えるが、
マイクロベベルを付ける事のほうが多い。
これは、「切れ味」を維持しつつ、刃もち
を継続させる為だ。行為には目的がある。
カッターなどは、刃先が欠けたりまくれて
切れ味が落ちたら折って未使用の刃を出す
設計なのでマイクロベベルは存在してい
ない。
しかし、刃を折り進める事ができない
定刃であるナイフなどの場合は、刃物に
対しての思想がカッターとは異なるため、
トンガリ刃では刃こぼれしました、刃ま
れしました、すぐに切れなくなりまし
た、はてなぜだろう?などという間抜け
な事を言ってはいられないのだ。
常に現場で使うのであるから。

マイクロベベルを付与させた刃先の研ぎ。




アルミニウム

2020年09月23日 | open


このタイプのアルミ鍋は、昭和世代の人
たちには懐かしいのではないでしょうか。
人類史上、鉄の発明にも並ぶ偉大な発明
はアルミニウム合金だと思います。
アルミ合金の登場により、航空機材料や
住宅建材や食器や自動車産業や生活機器
の分野で、劇的な変化が起きた。
車もオートバイもアルミ合金が無ければ
製造さえ出来ません。鉄の塊の蒸気機関
車ではないのだから。
現代は鉄、アルミ合金無くしては人間の
生活が成り立たない。

あと、人類史に残る人間の発明はネジね。
ところが、発明した本人たち人間は、その
ネジが外れている人が結構多い。

キャンプ必携

2020年09月23日 | open



キャンプに行く者、己の一刀を携えよ。
これ、必携なり。てね。いわれたもん
だ。
独立自尊で自らの手で道を切り拓く為
には、己の一刀を持て。
野外にあっては、自分の一刀にて全て
自分でやる。

『完全寝床マニュアル』

2020年09月23日 | open


これ、なかなか良書です。

考えてみると、昔やっていた渓流遡行で
の野営のこれなどは、マタギの熊撃ちの
時のシェルターに似てるよなあ。


四国ではそんなことなかったが、中国山地
では逆に熊に喰われる危険もあったけど
さ。熊撃ち人と同じシェルターでも。
南方の密林の場合、熊ではなく蛇や虫類が
脅威ね。蚊をなめてるとマラリアになった
りするし。ビタミンEを摂取すればよいと
かナッツかじれば大丈夫なんてのは都市
伝でしかないから(笑)。
野外では感染症に細心の注意を払うのは
常識で、刃物等にも雑菌が固着しないよ
うに注意を払う。基本的に兵士は局地戦
では衛生管理のために髭は剃らせられる。

人類史では、人間は野営時代のほうが長い
のだから、よく現在まで人類の子孫たちは
生き残って来たと思うのですよ。
最初にフグや毒キノコ食ってみた奴とか、
確実に死んでるだろうしね。
いや、キノコは私は怖いです。
知識が完璧ではないので、私は山のキノコ
類には手を出さない。
私の友人の医療関係者で、加熱しても絶対
に牡蠣を食さない人がいるが、理由を聴く
とウィルス感染を避ける為だという。
普段無茶やる奴なのにとは思ったが、そう
した警戒というのはかなり大切。
最近はキャンプがブームだが、「危険認
知」を無視するファミリーレジャー化には
私は反対だ。
そういうのを求めるなら庭でのバーベ
キューやグランピングでもやっていたほう
が安全だ。
キャンプはいくらキャンプ場でも野外で
あるので、気を抜くとすぐに川に流されて
死んだり、海に溺れて死んだり、崖から
落ちて死んだりする。
そうした危険を充分に認識して、警戒を
していないと、すぐに人間はあっけなく
死ぬ。
安全を確保してこそアウトドアでの楽しみ
が得られる。
キャンプが好きなのだから、キャンプして
いて死ぬのは本望だろう、なんてことは
絶対にない。
登山者が山で死んではならないように、
オートバイ乗りがオートバイで死んでは
ならないように、自然に親しむ人たちは
自然によって死んではいけない。


足軽の陣笠は鍋にもなった

2020年09月23日 | open
 




将だけではイクサにはならない。
戦闘の趨勢は歩兵=足軽、徒士
(かち)が
決する。
時々、足軽鉄砲隊を忠実に再現
した出演
演武者たちがいるが、
その取り組み姿勢
は立派だと思
う。
戦国期まで、イクサの勝敗の鍵
を握るの
は、足軽、徒士とい
う下級武士の戦場働
き如何
あった。
江戸期には、足軽、徒士は幕府
においては
同心と呼ばれた。
旗本は部隊長であり、
旗本の
私兵まで含めて「旗本八万騎」
あった。足軽、徒士は百姓で
はなく武士
である。戦時に荷駄
雑兵等で徴用された
百姓たちと
はポジションが異なる。
 
徒士、足軽は、武士団や家中に
おいては
重要な任務を担った。
現代でいうならば
会社組織の役
付のない平社員だ。平社員
がい
なければ会社は動かない。社長
や取
締役が取引先と交渉したり
物を生産した
り働き回るわけで
はない。社員あっての
会社なの
である。
特に武士の幕藩体制時代は、公儀
といえ
ども、現代的な官職では
なく私的な実効
支配者としての
武士家中として存在した。
そのため、現在の公務員よりも
民間企業
の社員のほうが往時の
武士階級の位置並び
に質性には
近い。現行公務員は官職であ
る。これは大化の改新の頃
から役人根性
さえも変化は無
い事だろう。
武士にも役人根性が江戸期に
生まれたが、
官吏のそれとは
質性が異なる。
武士は生死を厭わない官吏と
してではない
戦闘員としての
資質が中心幹に求められ
た。
そして、それは禄と忠義という
ギブ
アンドテイクで保障されて
いた。
 
(徒士、足軽)


足軽の陣笠は野戦では鍋の役割
も果たし
たのだという。
本当かどうかは分からない。
だが、その「伝統」は、のちに
日本軍も模倣した。
テッパチと呼ばれた軍用ヘル
メットは、
戦線において野戦
での鍋ともなった。
これは米軍もやっていたようだ。
現代のガラス繊維ケブラー製の
ヘルメット
では鍋代わりには
ならない。
だが、鍋としては自衛隊では戦闘
飯盒が、
外国軍ではクッカー(ド
イツ語でコッヘル)
が装備されて
いる。
特にヨーロッパ生まれの殻付き
ピーナッツ
形(お菓子ビーンズ型)
の飯盒は鍋や炊飯器
や食器にも
なり、
極めて器具として優れ
いる。
世界中で同じ形をしているのが
面白い。
銃砲はどの国でも同じような形
になる事
以上に、飯盒は同じ形だ。
ただし、将校用などは長方形だっ
たり、
丸型だったりする。
しかし、携行しやすいのは殻付き
ピーナッ
ツ双眼鏡型のオーソドッ
クスな飯盒だ。
蓋はフライパンにもなるし、実は
飯盒が
1器あれば、他の器具は要
らないという程
に飯盒は優れて
いる。
自衛隊飯盒は1万円近くしてしま
うが、一
般的な飯盒は2000円台
で手に入る。
野外メシを楽しむ人は、飯盒は
一つ装備
しておくと何かと便利
だろう。
実際に飯盒を使うと面白い。
そして、煮炊き焼き物炒め物で
の実力の
高さに舌を巻く。


最近では四角い弁当箱型のメス
ティンが
流行っているが、フラ
イパンになったり
食器になった
り、中蓋が軽量カップや皿
にな
る飯盒のほうがずっと汎用性は
高い。
飯盒おすすめだ。
戦国時代に軽くて熱に強いこの
アルミ合金
というものが存在し
たら、戦国武者たちは
迷わず
アルミの飯盒を利用したことだ
う。
 

田舎の風景

2020年09月23日 | open





























田舎の風景。なかなかよい。


コロナよりキチガイ多し

2020年09月23日 | open








日本人は、蜘蛛の糸にぶらさがるような
餓鬼ばかりだ。

タマネギ卵とじ

2020年09月23日 | open


なんだか、一人用かつどんみたいに(笑)

これ、簡単なので野外でもおすすめ。
ただ、塩胡椒での味付けは大事かなあ。
私は白砂糖とサラダオイルは、料理では
一切使いません。外でも家でも。
白砂糖はあんましお体には良くないすよ。
好みの問題超えて。
タマネギのオリーブオイルでの炒め方だ
けで充分に野菜の甘みは引き出せます。
玉子焼きでも砂糖は一切使わずに、とき方
だけで甘みをたっぷりと引き出せます。

映画『赤穂城断絶』(1978)

2020年09月23日 | open


『赤穂城断絶』(1978)監督:深作欣二

赤穂浪士が本所の吉良邸討ち入りの際、
死闘の末、隠れ潜んでいた吉良上野介
を召し取ったシーン。

吉良は官職の位を告げて大石を脅す。
大石は「問答無用」とゆっくり静かに
告げて小刀(しょう
とう)を抜く。


深作演出しびれる。
単なる脇差ではない。
鎧通しだ。
太刀、打刀、脇差、短刀は戦闘武器と
いうよりも護身用兼身分象徴的な武器
だ。
だが、鎧通しのみは違う。
鎧通しの存在目的は殺人のみなのだ。
イクサでの甲冑武者との戦いは、最後
は組打ちで組み伏せて、右腰から馬手差
と呼ばれる鎧通しを引っこ抜いて首を
掻いたり刺突して敵を討ち取る。
身幅狭く、重ねが1センチ前後ある頑丈
な造り込みで、断面図は三角形のように
見える異様な日本刀である。


この映画、真剣刃引刀が出てくるシーン
が多かったが、これも真剣刃引だろう。


心臓を一突き。吉良上野介は「ぐわーー!」
と叫ぶ。


突いてからグイグイえぐる。


大石錦之介はじめ周囲の役者が台詞もなく
表情のみで演技している。見応えある。


主君の仇、吉良上野介、討ち取ったり。
首は当然打ち落とされた。


現代でも『半沢直樹』が人気を博する
のは、日本人の中に「赤穂浪士」を
支持する心があるからではなかろうか。
討ち入り参加は四十六名。一名は伝令と
して国許に走った。

だが、討ち入り血盟には名を連ねている。
ゆえに四十七士なのだ。
彼らの墓は東京高輪の泉岳寺にある。

仏教坊主というのはいつの時代でも腐れ
切った者どもで、赤穂浪士四十七士の
遺品の刀剣類は泉岳寺住職がすべて売却
してしまった。
その後、討ち入り浪士たちの人気が高ま
り、また遺族たちは諸藩に厚遇されて
召し抱えられたのを見るに及び、急遽
出鱈目な刀を買い集めて、それを「赤穂
浪士の遺品」とした。
仏教坊主。どこまで生臭いことか。
当然にして、士魂などは解さない。

映画『赤穂城断絶』は『柳生一族の
陰謀』よりも力作、名作だ。
未見の諸氏にはおすすめしたい。
「士魂」を描いた映画作品であり、
深作監督のメガホンが冴える。
役者も、とてつもない大俳優たちの
出演陣であり、もうこのような映画
を製作することは不可能だ。
この作品において「大根役者」は一人
たりともいない。監督の手腕だ。
役者たちの物凄い熱意を演技に感じる。
まるで着火しそうな圧縮空気のような。
未見の方は、ぜひ、ご覧ください。
「良い映画」とはこれのこと。


ブッシュクラフトな千葉真一

2020年09月23日 | open



播州浅野家の赤穂城明け渡しの
下知が下り、幕府と一戦まみえ
んやもと赤穂城に集まる浪人
たち。

その中にかつて下僕を手討ちに
して
主君の勘気により追放に
なった不破
数右衛門(千葉真一)
の姿があった。
ジャパニーズ
トラディショナルオーブン
を掲
げている。




日本の鍋は世界一古い。
縄文土器は現在のところ人類最古
土器だからだ。
そして、鉄鍋は平安時代末期から
広く使われ始め、鎌倉期には庶民
にも普及した。
そうした鍋は囲炉裏鍋、このダッチ
オーブンならぬジャパニーズオー
ブン
だ。


城そばの野外で煮炊きをして野外
を取るブッシュクラフトな千葉
ちゃん。
時代は元禄14年(1701年)だ。
劇画の世界では、翌年、拝一刀が
死んだ。


草粥のようだ。


美味そうだ。


囲炉裏や火鉢ではなく、完璧に
その場
で石竈を積んでの野外飯。
ブッシュクラフト=ブックラだ。



まあ、基本的に武士のイクサ行軍は
すべてキャンプ&ブッシュクラフト
だ。
そして、武士は自分で炊事煮炊きが
できなければならない。男であろう
と。
「男子厨房に立たず」などというの
は明治以降の九州地区等限定の偏波
視野狭窄でしかない。
九州とて、黒田御家中や細川殿の
御家中等々、九州武士は己で煮炊き
だろうがなんでもできた事だろう。
でなくばイクサの軍陣に馳せ参じる
ことなどできない。武闘だけが武士
の資質ではない。自立せぬ武士など
要らぬのだ。自分の腹を切るのも
自分である。
こうした武士の訓は劇画『子連れ
狼』
にも出てくる。
女、子供のいないイクサ場では誰
飯をかしぐぞ、と柳生烈堂が幕
府毒見
役の阿部頼母に言う。
「お主は武士でないから分かる
まい」

とも。
男が米を研ぐことに驚いていた
阿部は
炊事をする烈堂と拝一刀
に更に驚愕する。

そして、この映画『赤穂城断絶』
(1978)
では、ラストに大石
内蔵助(萬屋錦之介)
が最期の
切腹の時に幕閣を前に言上する。

「身分の上下の隔てなく、武士
は武士に
御座りまする」と。



尾羽打ち枯らしても、武士は
武士。

「武士は食わねど」ではない。
「腹が減ってはイクサができぬ」
なのだ。
武士は食う。自分で煮
炊きしてでも。

キャンプは基本的に自分で何
でもやる。

私は人々の精神的および実務
的な自立性と創造力を育成す
る上に
おいて、最近のキャン
プ流行りは素晴らしい
気風が
日本に蔓延してきたと思って
いる。

ゆえに、金を出して何でも
スタッフに
揃えさせて高級ホ
テルリゾートの野外版である
グランピングなるものを私は
全否定する
のだ。あれはキャ
ンプではない。

キャンプ気分でもない。別物
だ。

かような野外活動の仕儀がある
ものか。

キャンプは元々野外活動をする
ことに
よって自立と創意工夫の
思考力と協調性
と自然環境への
理解と自然への適応力を養う
「教育」と
して各国で取り組ま
れてきた。

それゆえ学校教育にも導入され
ている
のだ。
グランピングはそうした意義を
すべて
踏み潰す。金さえ出せば、
金持ちなら
ば、というレジャー
だからだ。

キャンプってね、ちょっぴり武士
在り方に通ずるものがあるのよ。