巨人軍~闘魂こめて~
作詞:椿三平、補作詞:西條八十
作曲:古関裕而
巨人軍の歌の歌詞は一般公募だ。
それを大家西條八十さんが手直
しした。
1番の守屋浩さんは千葉県出身だ
が、東京墨田区の安田学園中高
卒なので、東京弁の巻き舌が歌
に出てしまっている。江戸で慣
らした癖が出ている。
そして、「闘魂込めて」ではな
く、「闘魂こんめえて」と歌っ
ている。これは江戸弁だ。
このように歌にも方言が出てし
まうことがある。
この守屋さんのケースは言い回
しの伝法な言葉の癖だが、歌謡
曲などの作曲は、歌詞が先行し
た場合は、曲のメロディには作
曲家は気を遣う。
有名なフランク永井の『有楽町
で逢いましょう』は、出だしの
「貴方を待てば雨が降る」の
「雨」は標準語ではないイント
ネーションとなり、作曲として
当時はドボンとされていた。
あれでは「飴」だと揶揄されて
いたようだ。
これは標準語を全国基準として
の判断だ。
その後の三善英史さんの『雨』
は、出だしの「雨に濡れながら
佇む人がいる」の「雨」の部分
は標準語のイントネーションで
あるばかりか、全編が標準語の
音階で曲が構成されており、秀
逸な曲とされた。
歌謡曲は特定地方の為の地元曲
ではないので、全国区の言語に
違和感ないような音階で作るこ
とが基調とされていた時代のス
タンダードというものが存在
していたのだ。
その日本の音楽の常識的メロディ
ラインと歌詞との連鎖を恒常的
に崩したのは桑田佳祐からだった。
2番の三鷹淳さんは『帰って来た
ウルトラマン』や『ウルトラマン
タロウ』の歌も歌っていたボイス
トレーナーだ。
潤いのある美声が特徴だ。本田路
津子さんの男性版のような声質。
ボイストレーナーらしくピッチは
正確だが、演歌歌手のようにタメ
を作らず、コンマ秒ほど伴奏より
も早く発声してしまうのが特徴。
この歌い方は沢田研二がその歌唱
方法を採り入れていた。
3番の若山彰さんは広島県三原市
出身で、『加藤隼戦闘隊』などの
軍歌を歌っていた。1950年代に
紅白に4回出場している。
ちなみに阪神タイガースの六甲
おろしも若山さんが歌った物が
最初のオリジナルだ。
『闘魂込めて』では、軍歌調に
勇ましく歌い出して、途中の
「おおジャイアンツ」の「おお」
では「うぉおお」とまるでバック
コーラスのように単独で盛り上げ
る。
そして「その名を高く いや高く
上げるナインの頼もしさ」の「さ」
をスッと音の勢いを抜く優しさを
出す歌い方で表裏を表現していて
かなり秀逸。
緩急の表現力が高い歌手だ。
この『闘魂込めて』は1962年製作
当時、三人の優れた歌手で代わり
ばんこ歌わせるというゴージャス
なことを読売はやってのけた。
そうした湯水の如き投資をするか
ら阪神や他球団ファンから「商魂
込めて大金で」と揶揄ソングを歌
われたりするのだろう。
この巨人軍の歌のソノシートを
私は持っていた。巨人ファンでは
ないのだが、一応1950年代ラスト
生まれなので(笑)。
B面は五月みどりの『巨人はでっ
かいよ』だった。昔からエロっ
ぽいおばちゃんだった。なぜ妹
の芸名もみどりなのかは七不思
議だった。
後楽園球場にはバックネット裏に
よく観に行った。阪神巨人戦だ。
よくチケットが手に入ったなとは
思うが、父が勤めた会社が年間契
約していた。
結構ネット裏で見た。父は広島
ファンだが、伝統の一戦のチケッ
トを何度も持ってきてくれて後楽
園球場まで観に行った。
巨人の投手がネットへの暴投を
投げた時、すぐそばの学生服の
おにーさん二人組が「拳闘見に
来てんじゃねーんだ!馬鹿野郎!」
と怒鳴ってた。
夕焼け番長みたいな恰好をして
いたのが印象的(笑)。
1960年代中期のことである。
「ボクシングではなくケントウ
ですか?」とかガキの私は思った
記憶が強く残っている。
それと売り子の「おせんにキャ
ラメル」と言うオセンとは何だ?
と。
単なるピー煎だというのは父が
教えてくれた。名作金字塔のア
ニメ『巨人の星』はまだ放送さ
れていなかった。
江川卓さんはじめ80年代の巨人
軍の名選手たちは、少年時代に
「巨人の星」があったからジャイ
アンツに入ったと一様に語って
いる。
そうした劇画やアニメが社会的
な影響力を持ったのが1960年代
の特徴でもあった。
サブカルを超えてメジャーカル
チャーとして「日本の漫画」が
確固たるジャンルを打ち立てた
のが1960年代だ。
それまでは漫画は「子どもの物」
だったのだが、大学生がむさぼる
ように漫画を読み始めたのが1960
年代だったのである。
ちなみに1960年代中期~末期に
大学生だった刀工小林康宏は無類
の漫画好きで、寝所には多くの書
籍と共に漫画単行本がドワ~ッと
ある。
今年ジャイアンツ強すぎ。
2位阪神が10ゲーム差はちと厳しい。
しかしまあタイガースは出だしの
どん尻からよく這い上がったよ。
【関西弁】関東人がイラっとする大阪弁
ああ。
このおねーちゃん、関東と関西で括ってる
けど、ネイティブ江戸弁と大阪弁とかの
対比ではないんだなぁ・・・。
ネイティブ江戸弁は方言なので関東弁
というかNHK語とも違うんだけどなぁ。
江戸弁では「女郎屋」を「じょろや」と
は言いません。「じょうろうや」です。
そうした江戸語は標準語に残っている
言葉もあって、「女王」は「じょおう」
ではなく「じょうおう」と呼ぶ。
「女王陛下の007」は「じょおうへいか
の~」ではなく「じょうおうへいかの~」
なのよね。
東京言葉を話して地方で私が奇異に思わ
れた経験の表現としては「~かしら」と
いうのがありました。
標準語では「〇〇かしらん(かも知れ
ない)」というやつ。
「なんで女言葉使うの?」てな具合で
地方の人には奇異に思われるようです。
もっと伝法な江戸弁だと「~か知らねえ
けどよ」とかになりますが、「あれは
そうなのはもしかすっとこんなんかしら
ね」などと通常で東京では男も使ったり
します。仮定の表現ですね。
ま、いろいろあら~な。
長年中国地区に住んでいますが、元来
の言葉が私は東京神奈川なので、中国
地方のネイティブ表現が今でも時々
分からないことがあります。
機転が利く方は、私が「?」となって
いると標準語で言い直してくれたり
します。すまんこってす。
今だから分かりますが備後弁の「そん
ぎゃ~なんいたしかろうて」とか、
「もってきい」とかは関東の人「?」
だと思いますよ。さすがに「机のその
角かいて」とか「とらげて」とか
「こけえへたりんひゃあ」とかは
今の備後の若者は使わないでしょうが。
最近では男子も一人称の「わし」は
使うことは絶無のようですし。
ちょっと前までは、幼稚園児の男子
までもが「わしのんじゃいやあ!
(僕の物だと言っているでしょ!)」
というように「わし」を使っていました。
日常の話し言葉で「僕」や「俺」や
「おいら」は存在しなかった。
これは関西でもそうで、島田紳助さん
が「オレとか言う奴は映画の中だけ
やと思ってた」と言ってます。
今では関西人がごく普通に言葉尻に
「さ」を付けたり、関東人が「めっ
ちゃ」という単語を使ったりして
います。大阪人が「だからさぁ」など
というのは、チョイ前までは考え
られへん事なのでした。あり得へんわ、
というやつ。
大学の時、北九州の小倉出身の奴が
夏休みに東京の大学から地元に帰省
して、地元の中学の時の仲間と飲ん
でいる時、「だからさぁ」と言ったら
「なんか、きさん!東京もんか!
ゴルァ!だからさぁち、なんか!」と
胸倉掴まれたという実話あり(笑)。
それでも、残っていて通常使用されて
いる表現は備後地方にも多くあります。
敬語で「ちゃった」を使うとか。
「先生来ちゃった」とか。関東では
「先生が来てしまったとは何という
言いざまか!」とかなりかねない。
亡くなられたことを「死んじゃった」
とか。死んでしまったではなく、惜しく
もお隠れになってしまわれた、という
意味なのですが、そうした中国地区の
言葉はほかの地方の方言と同じく、
全国版の日本語ではありません。
私の地元の友人が、道の駅で横浜の
女の子に「きょうはバイクでどこ行っ
ちゃったんですか?」と訊いた。
横浜の子は「?」となってきょとんと
している。友人は丁寧にまた「どこ、
行っちゃった、のですか」と尋ねる。
よけいきょとんとなってる。
私が横から「きょうはどこ行ったの?」
と尋ねなおしたらその子は笑顔を見せて
「~ですぅ」と答えていたことがあり
ます。
その地元の友人もハマでの生活長かっ
たし、普段は私との会話では標準語を
話しているのに、地元の場所で会った
人だからと地元語を使ったら、横浜
から来た横浜育ちの人だったので
ちんぷんかんぷんだったというオハナシ。
こうしたことは、地元言葉というのは
狭いコミュニティの地元民同士では通じ
ても、全く全国的に日本人同士のコミュ
ニケーションの言語としては通用しない
ということの現れです。
岡山県で車いすを押す看護師の女の子
が車いすの老人に「はよしねえ」と
言って聴いた人から病院に「早く死ね
とは何事か」とクレームが来たという
のは実話ですが、女性看護師は「早く
なさいませ」と言っていたのよね。
荒っぽい岡山弁の地言葉で。
要するに、てめえんとこの言葉が
世界標準だとする性根があると、いろ
いろ人との交流では齟齬を来たすの
ではなかろうか、と。
そのために標準語を明治政府は作った
訳で。
標準語は東京弁でもありません。
見知らぬ日本人同士の会話では、
相手に意思を伝達しよう、相手の
意思をくみ取ろうとするのである
ならば、俺様大将の田舎根性は捨て
て、誰とでも標準語で話すのが
まともな人的交流を求める姿勢では
ないでしょうか。特に初対面や仕事
などのシーンでは。
特に「おる」は標準語では謙譲なので
相手さまが在席の時に「おる」は
使いません。「いらっしゃる」が
正式な日本語の標準語です。
くだけた気の置けない間柄でも
「~君はおる?」というのは方言で
あり、標準語では主客逆転した失礼
な言い方になるので、西日本地区の
方々は注意が必要です。「~君はいる?」
が標準語。丁寧な言葉では「~さんは
いらっしゃいますか」です。「おられ
ますか」も間違った用法です。
地方に行ったり住むと嫌な事あんだ
よね。
公共放送がモロに方言で、あえて
方言でアナウンサーや出演者が
話しているの。
それさあ、大阪人の大阪弁しか話さ
へんという文化への対抗心というより
も、歪んだ地元国粋主義の押し出し
なのではなかろうか。
大阪はあれでええのよ。大阪民国
(だいはんみんこく)なんだから、
大阪は。
その言語を介さない奴は人間として
も視聴者としても認めない、という
果てしない傲慢さが前面に出てます
よ、特に中国地区の地方局の人たち。
広島県では「カープを応援せんと
いけんじゃろう」とかCMなどでも
やるし。ああいうの、東京でやった
ら大変な問題になります。
「巨人の応援よろしく」ではなく、
「巨人を応援しないと許さねえよ」
みたいなのは。
人がどこの球団応援しようが、自由
じゃないのよ。
俺なんて東京横浜時代もずっと
阪神ファン一徹だよ。
タイガースファンのあの差別的な
野次や応援歌は嫌いだけどね。
「江川の耳はロバの耳」とか「商魂
込めて」とか、あの大阪兵庫の空気
はいかがなものかと思ってる。
そうそう。巨人軍の歌の「闘魂こめて」
のオリジナルは3番まであって、1番、
2番、3番でそれぞれ別な歌手が歌っ
てるのね。
それの3番の一番盛り上がる最後の
パートは広島県三原出身の歌手が
歌ってたのよ。それが1963年の
制定から1980年代の合唱に替わる
までオリジナルだった。
まあ、なんにせよ、地方の地元を絶対
とする俺様絶対主義はダメよ。
やめよう!イナカモン根性!
これ、なかなか良書です。
(かち)が決する。
した出演演武者たちがいるが、
その取り組み姿勢は立派だと思
う。
を握るのは、足軽、徒士とい
う下級武士の戦場働き如何で
あった。
においては同心と呼ばれた。
旗本は部隊長であり、旗本の
私兵まで含めて「旗本八万騎」
であった。足軽、徒士は百姓で
はなく武士である。戦時に荷駄
雑兵等で徴用された百姓たちと
はポジションが異なる。
おいては重要な任務を担った。
現代でいうならば会社組織の役
付のない平社員だ。平社員がい
なければ会社は動かない。社長
や取締役が取引先と交渉したり
物を生産したり働き回るわけで
はない。社員あっての会社なの
である。
といえども、現代的な官職では
なく私的な実効支配者としての
武士家中として存在した。
民間企業の社員のほうが往時の
武士階級の位置並びに質性には
近い。現行公務員は官職であ
から役人根性さえも変化は無
い事だろう。
生まれたが、官吏のそれとは
質性が異なる。
してではない戦闘員としての
資質が中心幹に求められた。
そして、それは禄と忠義という
ギブアンドテイクで保障されて
いた。
も果たしたのだという。
本当かどうかは分からない。
日本軍も模倣した。
メットは、戦線において野戦
での鍋ともなった。
ヘルメットでは鍋代わりには
ならない。
飯盒が、外国軍ではクッカー(ド
イツ語でコッヘル)が装備されて
いる。
ピーナッツ形(お菓子ビーンズ型)
の飯盒は鍋や炊飯器や食器にも
なり、極めて器具として優れ
ている。
面白い。
になる事以上に、飯盒は同じ形だ。
たり、丸型だったりする。
ピーナッツ双眼鏡型のオーソドッ
クスな飯盒だ。
飯盒が1器あれば、他の器具は要
らないという程に飯盒は優れて
いる。
うが、一般的な飯盒は2000円台
で手に入る。
一つ装備しておくと何かと便利
だろう。
の実力の高さに舌を巻く。
ティンが流行っているが、フラ
イパンになったり食器になった
り、中蓋が軽量カップや皿にな
る飯盒のほうがずっと汎用性は
高い。
アルミ合金というものが存在し
たら、戦国武者たちは迷わず
アルミの飯盒を利用したことだ
ろう。
『赤穂城断絶』(1978)監督:深作欣二
赤穂浪士が本所の吉良邸討ち入りの際、
死闘の末、隠れ潜んでいた吉良上野介
を召し取ったシーン。
吉良は官職の位を告げて大石を脅す。
大石は「問答無用」とゆっくり静かに
告げて小刀(しょうとう)を抜く。
深作演出しびれる。
単なる脇差ではない。
鎧通しだ。
太刀、打刀、脇差、短刀は戦闘武器と
いうよりも護身用兼身分象徴的な武器
だ。
だが、鎧通しのみは違う。
鎧通しの存在目的は殺人のみなのだ。
イクサでの甲冑武者との戦いは、最後
は組打ちで組み伏せて、右腰から馬手差
と呼ばれる鎧通しを引っこ抜いて首を
掻いたり刺突して敵を討ち取る。
身幅狭く、重ねが1センチ前後ある頑丈
な造り込みで、断面図は三角形のように
見える異様な日本刀である。
この映画、真剣刃引刀が出てくるシーン
が多かったが、これも真剣刃引だろう。
心臓を一突き。吉良上野介は「ぐわーー!」
と叫ぶ。
突いてからグイグイえぐる。
大石錦之介はじめ周囲の役者が台詞もなく
表情のみで演技している。見応えある。
主君の仇、吉良上野介、討ち取ったり。
首は当然打ち落とされた。
現代でも『半沢直樹』が人気を博する
のは、日本人の中に「赤穂浪士」を
支持する心があるからではなかろうか。
討ち入り参加は四十六名。一名は伝令と
して国許に走った。
だが、討ち入り血盟には名を連ねている。
ゆえに四十七士なのだ。
彼らの墓は東京高輪の泉岳寺にある。
仏教坊主というのはいつの時代でも腐れ
切った者どもで、赤穂浪士四十七士の
遺品の刀剣類は泉岳寺住職がすべて売却
してしまった。
その後、討ち入り浪士たちの人気が高ま
り、また遺族たちは諸藩に厚遇されて
召し抱えられたのを見るに及び、急遽
出鱈目な刀を買い集めて、それを「赤穂
浪士の遺品」とした。
仏教坊主。どこまで生臭いことか。
当然にして、士魂などは解さない。
映画『赤穂城断絶』は『柳生一族の
陰謀』よりも力作、名作だ。
未見の諸氏にはおすすめしたい。
「士魂」を描いた映画作品であり、
深作監督のメガホンが冴える。
役者も、とてつもない大俳優たちの
出演陣であり、もうこのような映画
を製作することは不可能だ。
この作品において「大根役者」は一人
たりともいない。監督の手腕だ。
役者たちの物凄い熱意を演技に感じる。
まるで着火しそうな圧縮空気のような。
未見の方は、ぜひ、ご覧ください。
「良い映画」とはこれのこと。
播州浅野家の赤穂城明け渡しの
下知が下り、幕府と一戦まみえ
んやもと赤穂城に集まる浪人
たち。
その中にかつて下僕を手討ちに
して主君の勘気により追放に
なった不破数右衛門(千葉真一)
の姿があった。ジャパニーズ
トラディショナルオーブンを掲
げている。
日本の鍋は世界一古い。
縄文土器は現在のところ人類最古
の土器だからだ。
そして、鉄鍋は平安時代末期から
広く使われ始め、鎌倉期には庶民
にも普及した。
そうした鍋は囲炉裏鍋、このダッチ
オーブンならぬジャパニーズオー
ブンだ。
城そばの野外で煮炊きをして野外
食を取るブッシュクラフトな千葉
ちゃん。
時代は元禄14年(1701年)だ。
劇画の世界では、翌年、拝一刀が
死んだ。
草粥のようだ。
美味そうだ。
囲炉裏や火鉢ではなく、完璧に
その場で石竈を積んでの野外飯。
ブッシュクラフト=ブックラだ。
まあ、基本的に武士のイクサ行軍は
すべてキャンプ&ブッシュクラフト
だ。
そして、武士は自分で炊事煮炊きが
できなければならない。男であろう
と。
「男子厨房に立たず」などというの
は明治以降の九州地区等限定の偏波
な視野狭窄でしかない。
九州とて、黒田御家中や細川殿の
御家中等々、九州武士は己で煮炊き
だろうがなんでもできた事だろう。
でなくばイクサの軍陣に馳せ参じる
ことなどできない。武闘だけが武士
の資質ではない。自立せぬ武士など
要らぬのだ。自分の腹を切るのも
自分である。
こうした武士の訓は劇画『子連れ
狼』にも出てくる。
女、子供のいないイクサ場では誰
が飯をかしぐぞ、と柳生烈堂が幕
府毒見役の阿部頼母に言う。
「お主は武士でないから分かる
まい」
とも。
男が米を研ぐことに驚いていた
阿部は炊事をする烈堂と拝一刀
に更に驚愕する。
そして、この映画『赤穂城断絶』
(1978)では、ラストに大石
内蔵助(萬屋錦之介)が最期の
切腹の時に幕閣を前に言上する。
「身分の上下の隔てなく、武士
は武士に御座りまする」と。
尾羽打ち枯らしても、武士は
武士。
「武士は食わねど」ではない。
「腹が減ってはイクサができぬ」
なのだ。武士は食う。自分で煮
炊きしてでも。
キャンプは基本的に自分で何
でもやる。
私は人々の精神的および実務
的な自立性と創造力を育成す
る上において、最近のキャン
プ流行りは素晴らしい気風が
日本に蔓延してきたと思って
いる。
ゆえに、金を出して何でも
スタッフに揃えさせて高級ホ
テルリゾートの野外版である
グランピングなるものを私は
全否定するのだ。あれはキャ
ンプではない。
キャンプ気分でもない。別物
だ。
かような野外活動の仕儀がある
ものか。
キャンプは元々野外活動をする
ことによって自立と創意工夫の
思考力と協調性と自然環境への
理解と自然への適応力を養う
「教育」として各国で取り組ま
れてきた。
それゆえ学校教育にも導入され
ているのだ。
グランピングはそうした意義を
すべて踏み潰す。金さえ出せば、
金持ちならば、というレジャー
だからだ。
キャンプってね、ちょっぴり武士
の在り方に通ずるものがあるのよ。