渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

熊本

2020年09月12日 | open



出川さんの充電させてくださいで熊本が
出た。
行ってみたいなあ、熊本。
特に三角やたこ街道に行ってみたい。

それとここだ!
長部田海床路(ながべたかいしょうろ)
















潮が満ちると海に沈み、潮が引くと路面
が浮かび上がる。


まるで劇画『あかつき戦闘隊』の「幻の
滑走路」みたいだ。


この景色は眺めに行きたい。
阿蘇に行く時、足を伸ばしてみるか。




2020年09月12日 | open


君死にたまふことなかれ

昔、毎年3000人近くの若者がオートバイ
死んで行った。
毎年だ。
異様だった。
友も知人も死んで行く。

オートバイ乗りがオートバイで死んでは
ならない。
どんなに無様でもいい。
生きて家に帰って来い。

君死にたまふことなかれ。

スウィーツ

2020年09月12日 | open


「スイーツ」って、いつから言い出したの?



目覚ましポチタマ

2020年09月12日 | open


朝になると私を起こしに来るふたり。
犬は私の首を持ち上げようとし、猫は
鼻先をつんつんと私の顔にあてて「朝
よ〜」と言わんばかりの行動をする。
毎朝それだ。

思うに、起こしに来ているのではなく、
「朝メシよこせー」のような気もする。





圧倒的睡眠不足(2015年5月9日記事再掲)

2020年09月12日 | open

出張ばかりで疲れるっす。
ま、楽しんでるけどな。
なんでもおいらはプラスに考える。

新幹線こだまにも喫煙室があることを
最近知った(笑)。



こだまといっても、日本初の有料特急電車
のこだまには
乗った記憶はない。ビジネス
特急とか呼ばれていた。東海道線沿線に
住む者にとっては馴染み深い列車だった。

特急こだまは1964年に新幹線ができて名称
が消滅した。

もしかしたらそのこだまに乗ったことが
あったのかも知れないが、
東京から大阪
まではいつも寝台列車で行ってた記憶が
ある。

ただ、「こだま」の名前と車両はよく覚え
ている。

たしか、電車のオモチャも持ってたよ(笑)

なんか、こだまに乗る人はハイソな
イメージを子ども心に持っていたが、
さきほどちょっと調べたら、やはり
ハイソな電車でございました。
(こだまクロ151形 一等室)


開業の1958年でこれならば、充分に
ハイソというか極めてプチブル的
だろう。機能としては最先端だ。
まあ、自動車が現在価格で1台5000
万円位する時代に乗用車に乗ってる
ような種族が乗るような列車だね。
今の新幹線のように5~6千円追加すれ
ば乗れるグリーン車とはかなり違う
ように思える。多くの国民は敗戦後
13年しか経っていない世の中でまだ
あえいでいた。
ただ、国民のほとんどが貧しくとも
清貧という矜持を知っていた時代だっ
た。
国の立て直しは暮らしの立て直しから
と、働く人々は清く明るく元気だった。
ブルジョアジーへの憧憬などというの
は、社会構造と国内外情勢を理解で
きない親の財産で生きている大タワケ
が抱くことだった。ブルジョアジーが
日本という国を再生させたのではない。
突き上げる空にはくろがねの男の拳、
燃え上がる女の拳があった。有産階級
ではない働く人々がこの国を蘇らせた
のだ。
そして、人は働く仲間と生きる日々を
大切にする心を持っていた時代だった
のである。

それが崩れて金の論理がすべてとなっ
たのは1960年の池田内閣の所得倍増
計画から始まる高度経済成長によって
だ。
経済構造としては、途中財閥解体等は
あったが、戦時中の挙国一致体制の
国民統合は1970年代初頭までの高度経済
成長によって完結した。
高度経済成長で国民の見かけ所得は増加
したが、国民同士の経済格差をどんどん
広げて行った。
見かけの裕福さではない、ドル金兌換
停止による日本経済の当時の国際的危う
さについて経済学的危機論を展開して
説明したいところだが、ここでは
割愛する。

(開放室/「開放室」とあるが特権階級
の閉鎖室のように見える。こうした
エリアは現在は飛行場のプレミアム
ルームなどに再現されている。ただ、
戦前と大きく異なるのは、すべては
マネーの多寡に依って解決する世の中
になったことだ。マル経的解釈での
階級は厳然と存在したが、華族・士族・
平民といった行政上の法律的階級は
この列車が開業する10年前の昭和23年
に完全に消滅した。人権意識の普及と
法的バックボーンの確立をはじめ、敗戦
によりある面では時代は確実に一歩進ん
だ。戦前は女性は法的には「無能力者」
であり、選挙権さえ与えられていなかった)



このこだま以前の列車は、東京から
広島県三原までは18時間かかった。
俺が生まれた60年代初期頃はそうだっ
た。いわゆる「夜汽車」というやつだ。
甲斐バンドの『安奈』にしろ、かぐや姫
の『なごり雪』にしろ、汽車が出てくる
が、曲の発表はなごり雪が1974年、
安奈が1979年、汽車なんてのはすでに
ねーすよ!(笑)
まあ電車ではないディーゼル機関車は
内燃機関で走るので汽車といえないこと
もない・・・ということはないと思ふ。
汽車とは1960年代まで国内を走って
いたSLのことであろう。
でも、一般的に長距離列車は1980年代
末期頃までは汽車と呼ばれていた。
うちのおふくろなんて、こないだ一緒
に渋谷に行った時、「東急でなく省線
に乗って」などと言ってた。
ねーよ!んなもんは(苦笑

このいかついフェイスはあまり好き
ではなかったが、当時
最速の167km/h
を誇った。子どもたちにも人気の車両
だった。



つい少し前までは広島から都内に出る
のに飛行機を利用して
いたが、最近は
もっぱら新幹線で列車の旅を楽しむこと
にして
いる。
飛行機利用が多かったから、マイルなん
てすぐに貯まって、
ANAからチャリ
もらったりしたけどね(笑)。


列車でゆったりホゲホゲしているのも
楽しいもんだよ。

車内でも仕事してることもあるけど、
自分でハタと気付いた。

これは馬鹿だね、と。必要に迫られて
ならば仕方ないけど、
いつでも仕事して
いないと気が落ち着かないというのは

あれは絶対にある種の病気だ。
俺は全くそういう種族ではないのだが、
ある時、新幹線の
車内でPC開いて事務
処理しようとして、ハタと気付いた。

これは駄目よ、と。
んでもって、だからDVDを観て過ごす
ことにした。

時々車窓の風景を楽しみながら。
仕事人間って、仕事以外やることなく
て、趣味とかまったくない
人も多いん
だよなぁ。せいぜい飲み食いするだけで。
あれさぁ、もしかしたら定年退職したら
ボケちゃうんじゃない?
多くの仕事だけしかやってこなかった
ビジネスマンは。
おれ、ビジネスマンじゃないし(笑)
ビジーマンだけどよー。


着地点不明

2020年09月12日 | open



22才の別れ
 (ターギのみ)

take in 2003 at UEN TOKYO

例によって
着地点が不明になってる
ヨッパーな
リードギターな俺。
へっ。毎度のこったい。
この時、高校時代のクラスメートからは
「二重二妻のは彼」と言われた。

そんときの画像。


MY HEART


やはり高校時代のクラスメートたちと
の西荻窪UENでの酔っ払いギグ。
おいら東京から広島に引っ越してからも
年間在京日数は60日を超えてたから、
まあなんてのか、サクッと旧友と会って
た。
太鼓叩きは本来ギター専門の奴がスティ
ックを握った。 
第二パートで着地点が分からなくなっ
てる先走りのエレキギターをやる元来

アコギな俺。
エレキならレスポールジュニアをアンプ
に直結だが、こんときゃ替えた。
最後はテケトンなとこで胡麻化してる。
ま、人生辻褄合わせは大切だいね。

下手でもいいのよ。幸せならば。