う事になります。
ドムービー的な青春漫画で
す。
この道、何年も何度も毎日の
ように通ったけど、バイクの
運転で一番危ない場所はワイ
ンディングの峠やかっとび埠
頭や高速道路ではないのよ。
一般道の市街地が一番危ない。
これ、ほんと。
市街地には市街地の走り方が
ある。
その歯車が狂うと即事故。
それは「交通法規を守る」事
だけでは事故防止にはならな
いという現実がある。事実、
現実、真実が。
市街地には市街地独自の注意
と着眼点がある。安全に生き
抜くためには。
とにかく、自分の運転操作が
確実であるのは大前提だが、
市街地独自の危険性を認知
していないと、車や人が多い
街の安全走行はままならない。
自分も含めてだが、存在する
すべての車両と人が危険要素
になるとまず考えて、細心の
注意を最大限に払って走り抜
けないとならないのが市街地
だ。
田舎の信号の無い道路とは
まるで別物、別世界。
オートバイは走る場所と状況
によって、脳のスイッチをパ
チンと切り換えないと安全は
確保できない。
たぜ。
現在、繊細なフロントブレーキ
操作を行なうのに、指四本掛け
している白バイ隊員はいない。
これが現実だ。
物理的な合理的理由があるから
こうする。
(於東名高速)
真夏でも革ツナギ。
なぜ?
それは走るため。
1980年代はそれが走る人の
普通だった。
革ツナギや革ジャンは真夏
でも走り人は着ていた。
革って防寒のために着る物
ではないんだよね。
左腕、ベルレイのワッペン
貼ってる(笑
今ベルレイの2ストオイルは
1リットルで6,000円以上する
けど、昔も高かった。
私は一時期ベルレイを使って
いた。
ちなみに俺は距離ガバじゃな
いよ。
立ち食いよりも会席のほうが
好きなだけ。
阿部詩のガン泣き問題に兄
一二三が激怒、本音がヤバす
ぎた!!
【柔道】著名人たちからの意見
にも驚きを隠せない…【パリ五輪】
バカバカしくて話にならない。
(於FISCOパドック)
最近さぁ。
トレーナーの事をトレーナー
とは呼ばないんだよね。
昭和マンからしたら今の言い
方のほうが違和感あるけどさ(笑
1980年代初期に大学生だった
奴は大抵はトレーナー着てい
た。普段着で。男も女も。
革ツナギ着て峠に行く時も、
ツナギの上にトレーナー。
走りの峠マンたちは全員それ。
でもさ、それは1983年から
マガジンで連載が開始された
劇画『バリバリ伝説』の主人
公グンがそのスタイルだった
から真似したんじゃないんだ
よ。逆。
峠マンたちがみんなそういう
スタイルだったから、作者が
リアルにそれを描いたという
現象だったんだよな、実際は。
グンちゃん大学生になった頃。
富豪ご令嬢のみいまでが革
ツナギの上はトレーナーだ
った。
そして、1980年代の前半の
スタイルがバリ伝主人公の
巨摩郡で描かれたスタイル
だった。峠の走り人たちは。
1980年代後期になると、メ
ットに猫耳着けたり、尻尾
着けたり、集団で群れて揃
いのTシャツ着たり、レース
やってもいないのに「レーシ
ングチーム」と名乗ったり、
幼稚なあだ名で呼び合ったり
する本当に頭弱そうな連中が
ドワッと増えた。金髪頭が峠
に増えた頃。
1980年代前半と後半では、峠
の層がガラリとまったく変わ
った。
80年代前半は単独走が基本で、
多くても二人程度で峠に行く
連中ばかりだった。いわゆる
バリ伝や『あいつとララバイ』
のパターン。
ところが、80年代後半は集団
が群れるようになった。チー
ムと称する連中が湧いて来て
峠に群がった。
80年代前半峠マンたちからは
それらは「バカ」と呼ばれて
いた。見るからにヴィジュア
ル的にも頭弱そうだったから
だろう。私が呼び始めたので
はない。世間一般で前期峠マ
ンたちからは幼稚で奇抜な目
立とう珍装束の新登場の連中
は「バカ(固有名詞)」と呼ば
れた。
そして、走りの中身よりも
「どうやって目立つか」の
みに彼ら「バカ(固有名詞)」
は目的を置いていた。
そのため、一つの見物コーナー
を何度も行ったり来たりを繰り
返した。彼らはいつしかその
行動パターンからローリング
族と呼ばれた。
警察が峠を走る人間たちを
「暴走族」とみなした頃だ。
80年代前半は峠の走り人たち
は単独、多くて2台での走行
だったので「族」にはなり得
なかった。物理的に。
80年代中期以降後半に俄かに
登場した「バカ」たちは、も
ろに考え方も群れ方も族その
ものだった。髪型がリーゼン
トやパンチパーマでないだけ
で。70年代暴走族との違いは
反抗文化を持ちえず、暴力的
ではないだけだったが、彼ら
後期登場のバカたちは公道で
走行暴力を行使していた。他
人の事などお構いなしで、自
分勝手な行動をやり放題だっ
た。道路を集団占拠状態で。
それはもう「暴走族」以外の
何ものでもなかった。
彼らバカ(固有名詞)は金が無
いので有料道路には行かない。
私と相方はそうした連中が屯
し始めた椿峠や大垂水は避け
るようになった。
当然、料金を徴収する箱根・
芦ノ湖スカイラインや乙女道
路、奥多摩有料道路に向かう
ようになった。
空前絶後のバイクブームで、
一般峠では二輪大混雑だった
頃、有料の峠はガラガラのガ
ラ、ほとんどバイクは走って
いなかった。
なので非常に走り易かった。
それはもうとてつもなく。
前方も対向車線もオールクリ
アなのだから。
バカたちはギャラリーがいな
ければ走りはしなかったので、
なおさら有料道路にはバカた
ちはわざわざ行かなかった。
目的が走りではなく目立ちだ
ったからだ。
奥多摩でさえ有料なのでバカ
たちは一切来なかった。
だが、やがて有料道路でも二
輪走行者が激増し始め、奥多
摩有料等に見られるように死
亡事故が相次いで二輪車通行
禁止になった。
各地の峠やワインディングも
二輪車通行禁止措置が敷かれ
るようになった。
バカたちが80's前期峠マンた
ちを真似て変化させた珍装束
にTシャツを短く切って革ツ
ナギの上に着るという現象が
あった。
もうブラジャーみたいに短く
切ったTシャツを着ている。
なんだあれ?だった。
80's前期峠マンたちが革ツ
ナギの上にトレーナーを着た
のは、あれは意味があった
のだ。
中後期登場のバカたちとは
目的も意味もまるで異なる。
その意味は、前期峠マンたち
だった経験者本人たちにしか
解らない事だろう。
バリ伝グンちゃんもやってい
た革ツナギの上にトレーナー
の意味は知る人しか知らない。
知るのは時代の中での実行者
のみ。
夜明けの峠を走っていた者
だけがその意味を知る。
冬場は上にはモッコリを着て
いた。