渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

斬釘截鉄(ざんていせってつ)

2022年08月25日 | open



斬釘截鉄(ざんていせってつ)は

禅語である。
二代目小林康宏復活刀(游雲会
プロジェクト)の第一号刀では、
なかごの銘にこの語を切った。
登録銘を見て
「康宏でなくとも
釘くらいは切
れるのに何だこの
銘」と言って
揶揄した者もいる。
無知とは恐ろしいものである。
禅語である斬釘截鉄は、鉄をも
断つ強い意志で困難を克服する、
その信念を曲げずに貫く、とい
う意味だ。
第一号刀の注文主から相談を受
け、私が復活の証にふさわしい
語として提案し、それが採用さ
れた。
だが、禅語も古流剣術の新陰流
も知らない者は、斬釘截鉄の語
自体を揶揄する。
的外しも甚だしい。

さて、「きる」には斬と切という
漢字がある。
漢字辞典を引いて原意を知って
欲しいのだが、斬とは斬り割く
ことで、切とは二つに切り離す
ことを意味する。
切断することを切という。
切腹と斬首では漢字の原意が逆
転してしまっているが、こうし
たことは時々起こる。甲冑も甲
がヨロイで冑がカブトであった
ところ、いつの間にか逆転して
しまった。

では、斬釘截鉄で使われている
「截(せつ)」とはどういう意味
か。
この截(せつ)は、「ズバリと断
ち切る」という意味がある。
未練なくスパッと切り離す事を
意味している。

截(せつ)は禅語であり、仏教用
語なのだが、仏語といっても
フランス語ではない(笑)。
しかし、フランス人に説明する
ならば、さしずめ、フランス語
では、coupe(クゥペ)=切(せつ)、
couper(クゥピィ)=截(せつ)と
なるかも知れない。

浮世の未練を断ち切る時には
「截(せつ)」だろうが、間違っ
て「裁(さい)」としてしまうと、
うまくより分けるという意味に
なるので、世の中を上手に泳ぐ
事のようにも思える。
なんだか、「截(せつ)」とは
違って俗っぽい(笑
 
なお、新陰流の上掲の伝書は
実は日本語の漢字使用法として
一級の史料ともなる事を認識し
ていない人たちも多いのではな
かろうか。
それは「鉄」の文字を既に江戸
初期には用いていた、という事
実をこの伝書は示しているから
だ。
原字の「鐡」ではなく「鉄」。
なぜ「金+失」になったのか。
これは単に日本の和製漢字とい
うだけでなく、鐡そのものの
歴史的な質性変化と連動してい
るのではなかろうか。
なぜ、「かねは王なり」から
鉄(てつ)という「かね(てつの事)
を失う」という文字が充てられ
たのか。
 
日本の製鉄では、日本刀が慶長
以前と以降で古刀と新刀と分け
られて識別されるように、鉄自
体の質性がある時点から全く
異なる現実がある。
これは江戸幕藩体制に入ってから
暫く経ってからも、その鉄の質
の低下に悩んだ刀鍛冶たちは、
なんとかかつての良質な鋼を
作ろうといろいろ試みている事
実がある。
長曾祢三之丞(別字で「みのすけ」
か)などは、甲冑師から刀工に齢
五十にして転じてから、虎徹と
銘して古刀再現に残りの半生を
傾注した。
最初は古鐡と名乗っていた。
古い時代の鐡を再現する事を
求めたのだった。
理由は一つ。高殿たたらで量産
された新鋼は脆いからだ。
この事は、荒木又右衛門が決闘
の際に大刀が欠損した事を指し
て、当時の武士たちが皆「新刃
(あらみ)など持つからだ」と批
判した事にも見て取れる。
いわゆる新刀は脆いというのは
当時常識として定着していたの
である。
戦国時代の戦場刀とはまるで
質性が異なる、折れ欠け易い
鉄しか材料として入手できな
い世の中に変質してしまって
いた事を示している。
試行錯誤した虎徹興里は、かな
り強靭な利刀を作る事に成功し
た。努力の人だ。
研究者であるゆえ、一作一作が
全て実験刀のような様相を呈し
ていたのが興里の刀だった。
なので、出来不出来が激しい。
だが、虎徹の刀は当時の当代で
随一どころか、何百年後までも
歴史に名を止める利剣となった。
 
この新陰流の「鉄」という文字
の使用の件について言及してい
る日本刀研究者や古代製鉄研究
者を見た事がない。
また、武術研究者も言及せる人
は経眼した事は無い。
かなりの有力な歴史史料となると
思えるのだが。
言語学的な国語史からも。

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