渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

手の内

2023年07月28日 | open



10数年前、玉を撞いていたら、
「なんでそんなにキューが切れる
のですか?」
と質問された。
「握らないから」
と即答した。
刀の扱い方と同じだ。
握り締めていては、腕で振る事に
なり、日本刀だろうと全く切れな
い。斬切は身体全体の用法と手の
内の冴えのみで切る。

「触ってみていいですか?」
というので、構えた状態で手の内
を触診させてみた。
「うわー。この人、ふわふわだ
よ」
と言う。
手の中はふわりと真綿で包むよ
うにして得物を保持する。
そして、振る時には指の全ての
関節を稼働させる。握り込みと
も異なる。
しかし、手の外周は固める。
手の外を固めるのだが、手の中
ふわふわの状態で柄を保持す
る。
いわゆる古武術でいうところの
「日向糞」というやつだ。
汚い表現だが、そう言われて来
た。外はカチカチに硬いが、中
は柔らかい、という状態。
シュークリームの状態やアイス
クリームの天ぷらのようなもの。
それを手で再現する。
それが武術、とりわけ剣を使う
時の「切り手」の手の状態だ。


この手の内の使い方は、包丁で
も全く同じ。
二輪車のスロットル操作の為の
ハンドルのグリップ保持の仕方
も剣持つ手と全く同じだ。
釣竿=ロッドも全く同じ。
この「切り手」は釣竿を持つのと
同じ。タツノクチを作る事で切り
手は形作る。
だが、カタチよりも大切なのが
「手の内」。

包丁さばきの時には、特殊な用法
として親指と人差し指でブレード
を挟み持つ事もあるが、手の内の
柔らかさは失わないように保持す
る。
また、二輪の時も、年がら年中が
その剣の手ではなく、いろいろ
状況により可変させる。
「手の内」とはそれ。
切り手という一つの状態には固定
させず、可変の手の内を使う。
ピアノやギターを弾く時の指の
自在動作の身体用法に似ている。
剣技の場合、そうした可変の手
の内を用いると、刃筋はビシッ
と立ち、また剣先も伸びる。
結果、スパスパスパーンと簡単
に切れる。
また、力技ではないので、切断
後にも切先をピタリと止める事
もできる。

手の内は刀の柄や手に何か持つ
時の得物を有効に扱う際の最大
の技術の一つだが、極めて重要
な技の術を核心を構成している。
それゆえ、剣道やイアイなどの
剣技では手の内の大切さが何度
も、これでもかというほど説か
れているのである。

握らない。最初から握り締めて
保持しない。
最大インパクトの瞬間に特定
部位の指を軽く締めるのみ。
その締めも握り締めではなく、
繊細に茶巾から雫が一滴のみ
したたるように、絞るように
して軽く締める。握り込みの
握り締めではない。
能く能く工夫すべし。



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