渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ブッシュクラフト

2020年10月13日 | open

ブッシュクラフト オーバーナイト【Bushcraft OverNight】

大画面での動画視聴推奨。
(あまり見たことがない程の物凄い
ペチャペチャクチャラーなので視聴
は自己責任で)



本当のブッシュクラフトをしている。
1960年代、70年代初期頃までのキャンプ
というものはこういうものだった。
キャンプ場はあっても今のように整備
されてはいない。
キャンプ場のテン場以外でのキャンプ
は日本全国どこでも誰でもこれだった。
今では軍幕の三角テントを馬鹿にして
ネットであざ笑ったりするような
埒もない無知蒙昧者たちが跋扈して
いる。意地汚い心根の連中がネットで
悪口雑言を書いてせせら笑ってそれで

自分の極小の心の安寧を得ている。
小さすぎる人間たちが。
今でも三角テントや軍幕は現役で各国
で健在だ。
物を知らなすぎるにも程が
ある。


火熾しこそメタルファイアは使わな
かったが、100円ライターも存在しない
時代、すべて火は人の知恵で熾して
キャンプで利用していた。すべて直火。
火口選びは重要だったが、「火を育て
る」ことの難しさは実践を通さないと
理解できないし、理解できても実行が
できない。とにかく実践が野外現場
での先生だ。



テン場の設営の前に、テン場を決めたら、
地形的衛生面を考慮して離れた適切な
方角にトイレをまず作る。そこからだ。
そして、テントの周囲には雨除けの
溝を巡らして環濠を作る。
そうやってテン場作りをしてから、必要
道具の手作りに入った。


半世紀ほど前のキャンプは、世界中で
もろにそれはブッシュクラフトだった
のである。
登山や探検の分野、それと軍事行動の
分野から野外活動のアイテムは発達して
来た歴史がある。
キャンプ専門用具が豊富に世の中に登場
し始めたのは1970年代中期以降だ。
それまでは、それから100年前ほどの
アメリカ西部開拓時代のカウボーイが
キャトルドライブで超長距離を移動
する時の野営=キャンプと同じような
方式で日本でもキャンプを行なって
いたのである。


私にとっては、最新式工業製品を
買い漁り、それの数を並べたてて
「キャンプです」などと言うのは
考えられない。
極端な話、ナイフと銃と馬と毛布
があれば野営できるのがキャンプ
だろうと私は思っている。
つまり、キャンプとは根源的には
ブッシュクラフトであるのだ。
それが生存のためのスキル発揮
局面となると「サバイバル」という
状況になる。
現代におけるブッシュクラフトの
場合は、あえて
飽食の時代に、
「昔かつて一般的
であったキャンプ」
をやることだ。



キャンプが時代と共に様変わりした
ように、今、アウトドアブームと
いう「流行」(実に軽薄で中身が
ないくだらない潮流のこと)によって
ブッシュクラフトと呼称される事も
中身が変容し始めてきている。
それは商業主義の乱入であり、どん
どん新製品を出して消費させる方式
の釣り具やゴルフ用具やキャンプ
用品の商業主義がブッシュクラフト
の世界も侵食し始めている。

100年前の道具でも現役で使える。
本当はそれがブッシュクラフトな
のよ。
日本刀を子孫に残し伝える文化が
日本にはかつてはあったような、
そうしたものがブッシュクラフト
なのよ。
北欧のククサなどはまさにそれだ。
人が生まれたときにお祝いで手作り
してプレゼントする。
貰った赤ちゃんは成人してまでも
それを大切に使う。ただの木製カップ
が何よりのトレジャーになる。
かつては日本では日本刀がそうだった。

ブッシュクラフトに流行は存在し
ない。存在させてはならない。
ブッシュクラフトにトレンディは
要らない。
トラディショナルなカルチャーこそ
がブッシュクラフトの太い背骨だ。


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