
今日の空はやたら青くて眩しい・・。
さて、かけていた試合に負けると、本当悔しいし、負け惜しみも言いたくなるし、他人にも腹を立てがちになるのもよく分かります。
ただ、時を経て、敗れた者からコメントを求められた時には、
人に矢を向けるのではなくて、自分を見つめ直そう。
といったことを自分にも言い聞かせながら言っているような気がします。
いつの時代も何かしらの雑音が聞こえ、苛立つことがありました。
負けた時には尚更でした。
しかし、今思うと、雑音と言っていましたが、これは自分自身と指導論や価値観、目指すところの相違の意見であって、常に自分の感覚が正しいわけではないし、議論しても平行線になることも分かったので、雑音に感じる必要がないと思うようになりました。
住んでいる世界が違えば、満足する地点も違うし、目標もそれぞれ違う。
なので、自分が悔しいと感じればそれをバネにすればいいし、悔しければ、先々の結果で証明してやればいい。
他人のことを気にしている時間があるならば、自分を見つめ直す時間に費す。
常にそう思ってやっていました。
ただ、他人を攻撃することはしないまでも、当然、ライバル、周囲の人間の行く末については注目していました。
さすがだな・・凄いな・・勉強になるな・・。
やっぱりな・・そうだろな・・残念だな・・。
間違っていなかったな・・。
と周囲から感じとったことを学びや教訓にしながら、子供達を導いていた気がします。
自分は常に悔しい思いをしてきました。
今もしています。
その悔しいという気持ちをいかにして正しく有意義に使うか、先々に笑える日が来る為の財産に出来るかは、指導者であり親の能力、在り方だと思っています。
なので、常にグッと堪えて正しく悔しがりたい。
負けて真っ直ぐ成長する「悔しんぼ」でありたい。
我が子は当然ながら、自分が関わってきた選手達にもそうあって欲しいと願います。



