頑張れ!じゃがいも3兄弟!自分に甘く、子供に厳しい親父の日記パート2

この日記は、子供達の日々の成長や反省を書き綴り、子供達の成長を真に願う方々と熱く語れる場になればと思い作成しました。

ややこしい思考回路

2021年07月27日 | 日記

オリンピックを見ていると、いろんなことを考えます。

昨日思ったのは、私の指導や考え方では、全国出場であったり、全国上位まで到達することは出来ても、オリンピック選手を育てることは出来ないなと感じました。
 
本人の努力は勿論ですが、素質であったり、環境、出会い、幾つもの奇跡が重なり合ってたどり着けるのがオリンピックだろうと思います。
 
そして、その環境や出会いというところで、自分が関わってしまうと、そんな可能性を減少させてしまうだろうと感じました。
 
理由は上手く言えませんが、先々を見据えたスケールの大きな指導が出来ないと言うか、どうしても目先の試合も勝ちたいので、組み手なり寝技なりで活路を見出そうとし、ある程度まで行けても、それ以上は難しいという限界を感じたのです。
 
爆発的な選手の親に未経験者が多いという傾向を見れば、柔道経験者だからこその害悪もあると思います。
 
ただ、限界を感じたと言うと、何か消極的に聞こえるかも知れませんが、そんな感じではありません。
 
もしこの先、指導に携わることがあっても、基本的なスタイルは変わらないと思います。
 
昨日、外国人選手が組み合わないことを批判したり、日本(天理)柔道は寝技なんて必要ない、投げればいいと解説されていましたが、勿論、理想だとは思うんです。
 
でも、極めて稀な選手を例に挙げて、これが日本の柔道だ!と言われても、非力であったり、倍以上の選手と対戦する子供達に対して、同じことは言えないと思うんです。
 
170キロを投げれる選手だからこそ、
 
俺は男だからストレートしか投げない!
 
と言えるわけで、大半の選手がそんな球投げれないんだから、カーブなり変化球を混ぜて勝負する。
 
それらを覚えることによって、スケールの大きな『化け物』にはなれないかも知れないけど、変化球を投げることを否定する気持ちにはなれないのです。
 
大悟や大晟については、中学時代に巴投げや肩車を禁止と言われたこともありましたが、巴投げ、肩車のおかげで生き長らえたことも多々あります。
 
自分は非力でも、凡人でも生き長らえる的な指導だったと思いますが、関わって来た我が子やOB OGには申し訳ないけど、化け物になるべく環境作りはできていなかったことは言えるとは思います。
 
理想を追い求めるのが正解なのか。

日本人は直球勝負?変化球は必要なし?
 
何が正解なんでしょう。
 
と、一介のオッさんが訳の分からんことを考えてしまう今日この頃です。
 
ま、孫の代には、そんなことも念頭に置きながら楽しいジージの指導をして行きますかな。