1)Aが1のカードを出して勝った回数をx回、2のカードを出して勝った回数をy回として
Aの得点の合計をx・yを用いて表わせ。
2)最初のゲームではA・Bの得点の合計が12・15になった。
このときAが1のカードを出して勝った回数は何回か。
3)2度目のゲームではAの得点の合計がBの得点のゲームより3大きくなった。
Aの勝った回数は何回か。
以上の文章題で、1回読んだ時は、ぼーっとしか意味が取れない。
次に大分むつかしいようだと感じる。
更に読むと意味はわかるが、さて式をどう立てていいか、具体的にふみ出す自信がない。
ここでやめたら、それっ切りである。
実際に書いてある通り、一つ一つ納得してゲームをやり、得点をつけて勝負を決して見る。
ゲームが正しくやれば、半分出来たと思ってよい。次に式を作りにかかる。
式が出来たら計算に入る前にもう一度読み直してみて「よし」と結論を出したら計算にかかる。
ここで何回問題を読んだか?そしてどんな読み方をしたか?振り返ってみよう。
ここに剣道精神たる集中力、思考力が必要なのである。
たまたま入試問題に例をとったが、試験中に実際にゲームをせよと言っているのでは無い。
難問をどのような心構え、態度で解決の途を探せばよいのか、歩めばよいかを言ったのである。
即ち数学を不得手と思いかけている人、又、不得手と思い込んでいる人が、
そのような心構えで具体的にどのように鉛筆をとれば
貴重な一歩がふみ出せるかを言ったのである。
そしてこの態度が会得できれば、あとは努力、自信の積み重ねである。
数学に向うとき逃げてはいけない。先ずふみ出すことである。
そのふみ出す方向を見定めるために、国語の力、剣道の精神が何物にもまして大切なのである。
おしてこれは眞剣勝負の攻めの構えである。
そして此の攻めの構えは1時間も2時間も続けられるものではない。
数学でも同じで、1時間も2時間もやったという子供は必ず、うすめてやっているのである。
机に向かってはいるが、他の事を考えているか、何かで遊んであいるのである。
濃縮、眞剣なる緊張をした後は、必ず頭を休めなければならない。
緩急よろしきを得てこそ本当の鍛錬になるのである。
“数字は国語なり。国語は剣道なり。”
という言葉の何を言わんとしているのかの一端を述べてみた。
成長しつつある柔らかい細胞の子供等の将来のために、
この小文句が少しでも役立ってくれれば幸いである。
昭和60年5月1日
奈良女子高等師範学校理学部数学科卒業
大阪帝国大学理学部数学科(微分、積分学講座)修了。
元公立高校数学科教諭 長井利子
以上
ご参考迄
公文(くもん)数学教室の公文先生と家内とは
私立東高校の数学を教えていた同時代の友人であり、
又、私ともお友達のつき合いを今尚続いているが、
此間(このあいだ)公文先生も家内と同様“数学は読解力から始まる”
と言っておられました。ちなみに公文先生は阪大の数学出身です。