稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.83(昭和62年8月20日)

2019年11月15日 | 長井長正範士の遺文


○さて、この左足の大切さについては、去る 58年8月12日(金)の朝げいこの
時、一刀流刃引の形のうち「裏切」と「拳の払」との仕方の左足の使い方を実
際にやって見て貰いましたが、その頃まだコピーをして皆さんに差し上げてお
りませんでしたので、この際、記録に残しておくため書きとめておきます。

「裏切」は打方が仕方の右小手を打ちにくるので、仕方はこの剣を打ち落とす
とき、左足を左に寄せ、半ば右向きになり打落します。これは先ず左足を左に
寄せ、それから打落とすのではなく、これを一拍子で行うのです。

「拳の払」では打方が仕方の左拳を払いにくるので、仕方は左足を右に寄せ(
右足の後ろへ)半ば左向きになり、剣を打落すのです。このように「裏切」で
も「拳の払」でも自由自在に左足を働かせていることに留意して貰いたいので
す。

○次にこの左足について大変興味深い記事を剣友、澤田兼男教士に頂いたので
皆さんにも参考になるやも知れんと思い転記させて頂きます。

毎日新聞(夕刊)昭和59.2.7に、東京工大教授、平沢弥一郎氏のお説、これを
編集委員の今吉賢一郎氏が次のように書かれています。以下要約させて頂きま
す。

雪の東京でたくさんの人が転んだ。19日から23日まで、雪による転倒事故で救
急車は1430回も出動、入院は 722人にもなった。どうしてこんなに転んだのだ
ろう。平澤教授(59)(保健体育)は「左足ですよ、左足に注目すべきです」
と云われた。足の研究30余年、著名な“足の博士”の学問的裏付けのある発言
である。

東京に雪が積もっている間、平沢教授は、たびたび外に出て人々の歩き方、転
び方を観察した。右足を滑らせたか、左足を滑らせたかで、大変な差るようだ。
左足を滑らせた人は、そのまま倒れてしまうことが多い。右足だと、滑らせて
も、左足が安定している限りは大丈夫だ。

平沢教授が観察した転倒例は一件の例外を除いて、すべて左足を滑らせたもの
だった。転ばないように慎重になっている人は左足を安定した場所に置こうと
するようだ。マンホールの鉄の蓋の部分は雪が早めに融けて安全な場所となっ
ていた。平沢教授がじっと観察していると、なんと、この部分には、通行人の
大半が左足を乗せて通った。

教授の学説は既によく紹介されているが、一口で言えば「人間は左足で立つ」
ということ。「右大脳半球が支配する左足を主軸として立っている」「左足が
人間の大黒柱」といってもいい。これは教授自らから開発した測定機器によっ
て数万人の歩行を観察した結果である。

「左足は支持脚、右足は運動脚」多くのデータから一般に右足より左足の面積
が大きいこと。何かを目ざして歩行する時、真っすぐ目標物に向かっているの
は左足であって右足ではないことなどが明らかになった。「左足は安定保持と
方向性、右足はスピードコントロールと全身の器用性の役割を分担している」
と教授は結論ずけた。

左足が主軸として、その安定保持の役目を十分に果たしていればいい。左足が
不用意のため、その役割を果たしきれなくなった時が、転倒につながる危機だ。
東京に雪が積もっている間、平沢教授が知人と別れる時のあいさつはこうだっ
た。「お気をつけてください。左足」

○いつも「左足が主軸」になっている人は身構えも整うし、危なげない。それ
なら日常的に「左足が主軸となるように訓練のようなことが可能だろうか。
「可能だし、歩き方が下手になってしまった(続き)
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No.82(昭和62年8月15日)

2019年11月14日 | 長井長正範士の遺文


四本目、六本目、七本目が後の先で勝つように仕組んである。では一本目から
七本目まで皆、互いに先の気位で進んでゆくのに(但し四本目だけは形を制定
する時、陰陽の構えにて互いに進み云々と書いてあるが、これとて先の気持ち
は変わらない)

なぜ四、六、七本目の三本だけが後の先なのか、これを一刀流をやっていると
解明出来るのである。即ち左足で勝っているのを後の先と言っているのである。
詳しく申し上げると、四本目は、いったん頭上で相打ちとなり、次に仕太刀は
左足を左に転じ巻き返し面を左足前で打つのである。即ち左に体捌きをし左足
で勝っている。

六本目は打太刀が仕太刀の気魄に押され下がって尚も攻めてくる仕太刀の出は
なをくじくつもりで軽く小さく早く仕太刀の右小手を打ってゆくが、仕太刀は
既に乗り勝っているものだから安々と左足を左に開き腰をひねってこれをすり
上げて小手を打って勝つのであるが、この左足を左に捌いて腰をひねり、稍々
(やや)斜め右向きに相手の打ちを摺り上げるところに大きな意義がある。

それを知らず、摺り上げることばかりに気をとられて、手で先ず摺り上げ足は
そのままか、少し左の方へ寄る程度で、手足の一致しない打ちをしている者が
あるが、これは真の後の先で勝つ精神と技の知らない者である。

七本目も打太刀が仕太刀の胸部を突くが、仕太刀も先の位であるので、さあこ
いと言わんばかりに打太刀の突いてくる度合いに応じ、呼吸を合わせ(受け身
になっていないから腹をすえ打太刀に応じられるのである。)相突きの気持ち
でその剣を支え、相手の心を読むと案の状、打太刀のは左足右足と二足一刀で
捨て身で面を打ってくるが、仕太刀はすかさず右足を右に開き「左足」を踏み
出して打ってくる相手とすれ違いに右胴を打つ。

この所がポイントで、左足が右足の前へ行った時、既に抜き胴を打つ態勢であ
るので左拳は自分の中心から右にいっている。即ち一番なことは手と足とが一
致するという事で、いつも左足と左拳は同一の線上であるという事をわきまえ
て頂きたい。

従って左拳が自分の体の中で離れるのはこの七本目の抜き胴の場合に限り、と
いう事になる。自分を守るための大事な左足と左拳はいつも同じ行動をとるこ
とが大切である。一寸横道にそれたが、左足右足と腹を斬り進む。この左足の
捌き方が後の先の重要な意味を含んでいる事を大方の皆さんはご承知頂いたと
思う。

ついでに余計なことだが、左足を左前(約30度~35度)にして相手の正面打ち
の出頭小手を打つ時の左拳は左足に伴って左拳が自分の中心より稍々(やや)
左の方に寄っていることは当然である。これ以外の相手とわれの直線的な技に
は自分の大切な左拳が中心を離れることはない。

即ち左足も従って相手に対し真っすぐに向いていなければならない。
このことは至って大切なことなのであえて申し上げておきたい。

以上のように後の先は皆左足を捌いて勝っているので左足の大切さ、と同時に
歩むが如き軽快な足の運びが大事なことを銘記して頂きたい。
次に大事なこと。

去年の1月25日発行の「日本武道」新春に中倉清先生が新春偶感と題して「剣
道も、昔から一眼二足と云って、その人の足捌きを見れば上達するか否かが判
るとまで云われたものだ。それ程、剣道には運足というものが大事であること
は今更申し上げるまでもないことである。

だが剣道もいつの間にか前後だけの運足になって、左右の捌きというものが全
くない。これでは若い青年時代は、前後だけで間に合うけれども、五十、六十、
七十になっては足の早い体力のある者には到底太刀打ち出来ない。今年は寅年
に当り、強い足、前後左右の足捌きを勉強したいものである。」(以下省略さ
せて頂く。)と誠に理の叶った良い教訓を頂いたと、今も尚この記事は残して
ある。(続く)
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No.81(昭和62年8月15日)

2019年11月13日 | 長井長正範士の遺文


上段の霞:(中略)仕方、右足、左足と後へ引き、とっさに剛の意に転じ、打
方の水落を突いて勝つ。

逆の払:(中略)仕方、右足、左足と二歩退き云々。・・・等、いずれも後へ
下がるのに前の右足から先に左足の後ろに引き、ついでに左足を右足の後ろに
引く。この辺のところ、いずれも仕方が左足が地に着く瞬間、打ちに出るよう
に組太刀で作ってある。即ち前々から私が何遍も申し上げているように、左足
に力を入れ、ふんばってから(左足を後ろへ蹴るように力んで打ちを出す)打
ちを出さないよう、これらの形で体得(足におぼえさすまで)しなければなら
ない。勿論打方はここをよく承知の上、自分も亦、足運びに気をつけ仕方に呼
吸を合わせるよう呼吸を合わせえてやることが大切である。如何に左足が軽快
に動かなければならないかおわかりと思う。

尚又、更に言うなれば前述の如く、勝負は殆んど歩み足で勝っており、特に左
足前で体捌きをして勝つ技も多いことに注目して頂きたい。例えば、

拳之払:これは切先をつけて相手の心を試み、打ち間を知るのを読心というの
であるが、この拳の払で読心術を学ぶにはもってこいの技である。この仕方の
足ずかいは歩み足で調子よく美しく上品に勝つ技を教えてある。

浮木:は真の真剣の理がこもり、争わずして勝つ上乗の太刀技であり、私はこ
の技をご指導頂いてから大変感銘を受け、この技を体得するに当り、どれほど
自分の人生に役立ったか計り知れない。皆さんも竹刀剣道で是非ともこの浮木
をやって貰いたいものである。これとて、心、技のとどまるところなく、歩み
足で位攻めで進んでゆく。そして争わないで勝ってゆくのである。素晴らしい。

切り返し:これも歩み足で攻めてゆき、堂々と勝つのである。

左右の払:仕方左足前で打方の右小手を打って勝つのである。

陰の払:仕方左足を軸にして右足を引き、尚左足を軸にして又右足を前に踏み
出して、打方の右小手を打ち、又右足を引いて陰の残心をとる。(これを例え
ていうと左足を扉の要のように、扉の蝶つがいのようにし、左足を中心に右足
を開いて閉めて開いてしなよくつかうのである。その他順不同になるが、

巻返:(中略)仕方は左足を引き応じて喰違いに右足出し云々・・・

引身之合下段:仕方(中略)右足を引き脇構えにはずず云々・・・

発(ほつ):微妙な左足のつかい方。(一刀流極意の本の161頁~162頁)

長短:打方左足から四歩踏み込み長駆して突きにくるに対し、仕方の足ずかい。

詰(つまり):仕方切落しざま突き進み、とまることなく歩み足で位攻めする。
尊い技。

余(あまり):仕方は「長短」と同じように足ずかいし、打方の力を余し、そ
の余力を利してわがものとなし、余すところなく勝つ。

以上、一刀流大太刀五十本の中で主な変わった足ずかい、特に左足で勝つ等の
大切な技を挙げてみたが、まだまだ細かい足ずかいが五十本の中にあるが、こ
れ等を列挙すると一刀流の組太刀五十本を全部詳解しなければ尽せない故、省
略させて頂く。詳しくは「一刀流極意」を読んで頂ければ幸甚である。

このように一刀流を毎日稽古していると思わず竹刀剣道で攻防打突の間に歩み
足で留まることなく或は右足後へ或は左足前へ、又左足斜め左前にと自由に歩
んでくれていることに気ずくのである。私は今から十年前にハッとこの足ずか
い、特に左足の軽快な動きに気ずき、それ以来私が色紙に何か書く時、関防印
(“謹んで書きはじめます”の意味で、その形は縦に長いもので、書の右肩に
押す朱印で、自分の好む詩、文を刻むもの。)

一歩不留:(一刀流極意の484頁にあり)とし、又私の終生の目標とし座右の銘
としております。さて次に左足の大切さに関連して、日本剣道形を考えて見た
い。太刀七本をみると、先先の先で勝つ技は一本目、二本目、三本目、五本目
であり(続く)

-------------------

【欄外】

◎教えてある
剣道には教えはない。ただこの道を歩めと導くのみとはずっと以前に申し上げ
たがここで教えてあると書いたのは矛盾していると感じられますが、これは相
手が教えるのではなく指導して貰ってなるほどと判って体得した自分の立場か
ら教えられたと感じとり、始めて「教えてある」と言う言葉の表現をしたので
ある。(以下同じ)誤解のなきようお願いしたい。
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No.80(昭和62年8月13日)

2019年11月12日 | 長井長正範士の遺文


同時に後ろの右足を前に踏み込み仕方の腹のまん中を突きにゆく)仕方は前の
右足を引き分里の差で体を右向きにかわし打方の切先をそらし云々(以下省略)
とあるように、打方も亦、仕方の足運びに呼吸を合わせるように左足を前に(
仕方右足後ろに)踏み込んで腹を突いてゆく(仕方は後へ引いた左足はそのま
まで右足後ろへ体は右向きとなり体をかわす)このところが大変大事な足ずか
いなので、あえて説明を加えたので、これでも感じられたように、己れの大事
な左足の軽快な運びが如何に大切か判って貰える筈である。敢えていうと歩み
足で行動しているのであって、いちいち送り足でやっていない。

それで以前、私が申し上げているように歩み足で昔の真剣勝負をやった。この
ところ大事なことなので暫く横道にそれるが、真剣勝負に勝ち、生き残るため、
命をかけて作りあげたのが、(一刀流に限らず他のすべての流派はみんな工夫
して作った)古流の形であるから、そこに真の理合が含まれている。

昔、真剣勝負では検視の役員の前で勝負する時、先ず役員に丁重な礼をし、互
いに近ずいて、そんきょ又は片ひざをついたりして丁重な挨拶の礼を交わし(
これは決死の覚悟で殺し合いの場でも、先ず儀式としてやった)、いざいざと
立ち上がった時は、本能的に互いにずーーっと下がり引き離れたのである。

その互いの距離は必ずしも場所によって決まっていないが、相当離れた事は確
かである。そこから、じり、じりと攻め合いの勝負が始まったのであるが、今
の形はこれになぞらえて殆どが打、仕の距離が九歩であり、そこから歩み足で
攻め、一足一刀の間合(古流では生死の間合)に入る瞬間勝負を決した。

或いは両者が随分遠いところから肺腑をえぐるような何とも言えない「威声」
を出して無我夢中に走りよって、ぐさっと斬り合いした、ということを先祖か
ら聞いている。そしてその結果が深手か浅手か或いは一方的に斬ってしまった
のか、又、相打ちでガシッと剣と剣とが合った瞬間、又、お互いに後へ引いて
(本能的に)又、ジリ、ジリと攻めて勝負したらしく、先師のお話では今の竹
刀剣道のような鍔ぜり合など千に一つあるか無しの勝負であったという。

(ちなみに今の鍔せり合いはなっていない)真の鍔ぜり合いでなく、拳せり合
い、柄ぜり合い等で、これで竹刀の刃部が相手の体にくっつくが、くっつかま
いが平気で押し合い、どこを打とうか、jひょっとして打たれやせんかと迷い
乍ら思わくもし乍ら接触して平気で自分は鍔ぜり合いをしているんだぐらい思
っているから残念乍ら20秒位かかると1回めは注意を受け2回やれば直ちに反則
という悲しい結果に現在はなっている。

本当に真剣になれば竹刀剣道と雖も、うかうか鍔ぜり合いなど出きる筈がない。
竹刀がわが身に当れば斬れるから、古流をやっている者は鍔ぜり合いの瞬間、
それはそれは命がけで、瞬時持ちこたえてもさっと引き離れる(本能である)
然し、千に一つ、鍔ぜり合いで、どうにもならず引くに引けず切羽(せっぱ)
詰まって、その挙句、どちらか思いきって相手の剣を押さえ或いは剣の下を一
瞬くぐって斬るか、後へ互いに引き下がったもので、これとてそんなに長く時
間はかからなかったそうである。この辺のところ、今のテレビで立ち回りを見
るとよくわかる。

この点、殺陣(たて)師はよく古流を研究史演出している。私は良い殺陣師の
呼吸のあったチャンバラは楽しくよい勉強になる。以上、大変文面冗長にして
思わぬ脱線をしたが、このこともお話のついでに大切なことと思いわざと書き
とめておいた。了とせられよ。以下尚一刀流の足ずかいを続けたい。(続く)

-----------------

【欄外】
威声とは、国語的解釈では、おどす声、おびやかす声ということであるが、剣
道では相手がかけ声を出し、その声が終るか終らない時に、己れの方から更に
大きなかけ声を出し(相手の声におおいかぶせる如く)て威圧するかけ声であ
り、間のびしないよう心がけること。

上記の真剣の時、かけ声を出し乍ら斬ってゆくのをあえて威声と書いたのはそ
の意味である。これに関連して参考までに申し上げると、この威声の出すタイ
ミングをうまくやると大変よい事がある。それは少年の元太刀になったとき、
少年がヤーッとかけ声を出し打ってくる、その直前に、元太刀は少年の声が終
るか終らない瞬間に「ハイ」とか「ホイ」とか「ホーレッ」とか威声を出して
やり、少年をして勇んで打つ機会をこれによって与えるのである。これは威声
をうまく利用した例である。
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猫の写真「困った顔の星ちゃん」

2019年11月11日 | うちの猫の写真
11月10日は、摂津のダイキン稽古にも行けずに事務所にこもって仕事。
ダイキンの稽古は八段先生数名のほか七段も多数来るので良い稽古が出来る。
少し悶々としていたが零細自営業なのでやむを得ない。

で、特に書くことも無いので猫の写真の紹介。
(いちおう毎日書こうとしているブログ日記なので)

--------------

自宅に帰ってキッチンのドアを開けると猫たちがお迎えしてくれる。
「ただいま~!」と言って後ろ手でドアを強く閉めたら何やら挟んだ。
あ!と思ったら、星ちゃん挟まって、しっぽ太くしてあわてて逃げて行った。

逃げた場所は、リビングの、みーちゃんの寝床。
星ちゃん、心配そうにこちらを見つめている。
極度の弱視でほとんど見えてないので耳で探っているのだ。

大胆な子だが臆病で、一度怖い目にあうとしばらく様子がおかしい。
結局、丸まる二日間、近づいては来なかった。

「ほっちゃん、ごめんね」
「ほっちゃん、まだ怒ってる?」
「ほっちゃん、もう許して」が続いた二日間だった。









左はみーちゃん、ほっちゃん(星ちゃん)は右側。

明るく写っているが実際はかなり暗い部屋で、
暗闇の中で、自分に起きた出来事が何だったのか、
聞き耳立てて「何だろう?」と探っている星ちゃん。

最初は挟まったドアの方向を向いている。
写真を撮りながら声を掛け続けるとこちらの方に顔が向いてきた。
不安げな表情がとっても可愛い。
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剣友とムカデシャットの拡販会議(2019年11月9日)

2019年11月10日 | つれづれ
13時頃にJR京橋駅北口で待ち合わせということなので、
午前中の稽古も、夕方の一刀流の稽古も、夜の稽古も全部休むことにした。

食事をしながら仕事の打ち合わせなのだが、
呑兵衛2人が飯だけ食って終るはずも無く、
まあ1杯と頼んだビールがすぐ空になり、おかわり頼むとなって、
あとは冷酒の追撃が続く結果となった。

ムカデシャットは紀州ひのき屋のO田社長が開発した商品で、
ムカデの忌避にはこれ以上のものが無いというぐらい優れた商品である。



強みは、まず他社の類似品より強力であること。
そして寝室や居間で使えること、乳幼児やペットにも無害であること。
効用が無くなったら土に撒いて処分することが可能であること。
使わない分は密封しておけば翌年も問題なく使えること。
屋外用と併用すれば効果がバツグンであることなど。。。。

弱みは原材料が天然の植物性ハーブで大量製造に向いていないのと、
製造が紀州ひのき屋、販売が私の店が中心なので販路が小さく、
世間にほとんど知られていないということ。
あとは冬場の需要が少ないということ。

とんぼ堂楽天市場店
https://item.rakuten.co.jp/tombodo/977423/#977423

5月にも拡販会議をしたのだが、
今年は台風と大雨の影響で売れ行きは芳しくなかった。

来年はもう少し売りたい。
やってなかった対策も色々やってみようということになった。

---------------------

三重の尾鷲のO田社長との縁はネットである。
20年近く前、ネットで知り合った剣道家が京都の武徳殿で稽古会を行った。
その後何回か会い、それが元で商売に結びついて今に至っている。

彼は私と同い年だが肝っ玉は私の倍ほどもある。
38才で七段に受かったというから剣道の腕も確かで滅法強い。

話は仕事から剣道の話になり大いに盛り上がった。
仕事頑張ろう、また稽古しようということで解散した。


(京橋の居酒屋で話も酒も進む進む)


(帰りに駅前でO田さんとツーショット)
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No.79(昭和62年8月13日)

2019年11月09日 | 長井長正範士の遺文


○小野派一刀流大太刀組太刀の中で主な仕方の足ずかいを次に挙げると、

二つ勝:
仕方は一つ勝のように進む心で切落し、切落しざま一拍子で打方ののどを突き、
打方が左上段に引取る左小手を打ち、打方の動静を監視しながら、右、左足と引
き間合を離すと、打方から続いて再び深く正面を打ちにくるから、早くもその心
を読んですかさず進んで切落しざま一拍子で打方ののどを突き勝つ続き技につか
う足ずかいである。

従って打方は仕方が右足を引き左足を引くと同時に呼吸を合わせ追い込んで二度
めの打ちを出す。その心理は仕方に初めの技の打ちと、次の技の打ちとの二つの
係りあいの進退について、心の糸を相手の心につなぎ(打、仕とも)これをゆる
めず、断ち切らず、よく引っ張って引寄せもし、送り出しもして、待中懸、懸中
待のところを弁(わきま)えて行うところに意義があるのです。

このように説明すると感じられるのは、なぜ仕方があえて前の足の右足から先に
後へ引き次に左足を後へ引くのか疑問が少し解けて来たように思います。そうで
す、その通りで、このポイントは左足が地に着くか着かないかの瞬間(左足が軽
く着き、まだ重心が前の右足に残っている時)切落とすように心がけてやること
が大切で、これに反し、仕方の左足が完全に地について重心が両足の中心になる
まで打方が打って出るようなことをすれば、この技は死んでしまうのである。

一つ勝って油断するな、もう一つ、すかさず打つぞの意をもって打って出れば仕
方は大変勉強になる。「一刀流極意」の本には書かれてないが、この左足をふん
ばって打ちに出ないよう、左足をやわらかく踏み、サッと右足で打つための手助
けをする女房役が左足と心得てやって頂きたい。

小野派一刀流ではこのように前の右足から先に左足の後へ引く足運びが多いので
ある。次の技はより一層左足の大切さを教えている。

下段の付・中正眼:
この技の中正眼という構えを先に説明すると。大正眼と正眼との中に位する正眼
であって、守りの中に攻めのある体勢と気力のこもる構えであり、右足先を爪立
て、左足の爪先へ近く引きつけて構える。この構えを中正眼ということを先ず念
頭において貰いたい。

この技は下段の付と中正眼との二つの技だけにしぼって説明すると、(中略)打
方が仕太刀を急に右下に払いくじくので仕方はこれに応じて急に右小手を中心に
左手上げ、刃のほうを右に切先を下に、くるりと手首を廻し打太刀をはずす。打
方が体をとり直し、右上段にかわるところを仕方は表から両手首を右から左に返
し、打方の右上段の小手を打ち右上段に構える。そして仕方は打方を眼下に見お
ろし、右、左足と引き乍ら右上段から中正眼にまでかわるところを、打方が面を
打ちにくるから、仕方はそれを軽快に切り落して勝ち、打方が右上段に引きとる
その小手を打ち、左足から引いて下段残心にとる。

大体以上のような技であるが、この時の仕方の中正眼の時の切りは軽快で速妙で
あれと教えてある。この所を何遍も繰返し修練すれば如何に左足の軽快な働きが
大切かがわかるのである。ここがわかり体得(足おぼえ、手おぼえ、体がおぼえ
る)すれば以上のような単調に固まることなく、己れが思うままに品をかえ、相
手を動かし、己れ従わせて、相手を自在につかう工夫が大事であるから更に此上
とも稽古を重ねるよう教えてある。私は目下それを組太刀の形だけにとどまらず
竹刀剣道で元に立った時、努めて修錬に励んでいる。

摺上(すりあげ):
(中略)仕方が右上段にかぶり、打方を眼下に瞰おろし、動静を監視し乍ら、右、
左足と二足引き(この時、打方は正眼から仕方が右足を引く時に調子を合わせ、
わが左足を前に運び、仕方が左足を引くと(続く)
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木曜会定例稽古(2019年11月7日)

2019年11月08日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時25分まで。今年37回目。
参加人数25名ぐらい。涼しい。動きやすい。

素振り。面着用後、3人組交代で切返し、正面打ち。
あとは鎬を意識した実戦的な基本稽古あれこれ。
途中で2人組で左片手で中心の取り合い稽古あり。
最後は出頭面、出小手、相小手面、返し胴の連続稽古。
切返しで終了。


(鎬を意識する稽古・写真は先週のもの)

以下、指導の中での留意点のみ書きとめる。

---素振り---
打った時に右手で止めない。打突力が無くなる。
右手は添えるだけ。力は入れない。
右拳を左拳までずらす素振りで竹刀の先が走り打突力も生まれる。
打った瞬間は押さえつけずに打った反動で跳ね返るように。

---基本稽古---
切返しの発声は声を切らない。声を切ると息継ぎしてしまう。
(すべての稽古において)打ったあとの体捌きを意識すること。

相手が打とうとするところが打つべきところ。
鎬を感じた中から小手打ち、正面打ち、返し胴。
鎬を感じて右足を出して中心を取りつつ打つこと。
いずれも「気」が充実して相手に対して先の気持ちになっている必要がある。

①自分から入って(むかい入れるような感じで入る)打つ。
②相手が入ろうとするところを乗って打つ。

真っ直ぐ入る。少しでも右から入ると中心を取れない。
相手が技を起こそうとするところを鎬で制すると位(くらい)が出る。
竹刀はアンテナ。しっかりと剣先を合わせること。
剣先を合わせないと「いつ打っていって良いか」がわからなくなる。
(試合ばかりやってきた者は剣先を合わせようとしない)

剣先を合わせない剣道は構えの隙を狙う剣道になる。
相手の隙、空いているところばかり狙うと身体を崩してしか打てなくなる。

相手の構え、心をを崩して打つ剣道は自分が崩れることは無い。


(稽古前)


(稽古後)


【感想・反省点】

ここの稽古では自分の至らぬ点がはっきりわかる。
回を重ねるごとに自分の課題が明確になっていくのだ。
何もわからぬままに稽古の数だけ重ねてきた頃とは違う。
だから稽古も楽しい。本当にありがたい。
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長正館定例剣道稽古(2019年11月6日)

2019年11月07日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://doujyou.net/choseikan/
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涼しいのだが動くと汗ばんでくる。
日中の暖かさが体育館の中にとどまっているのだ。
本日、急な都合で休み3人あり。
小学生1名、中学生1名、大人9名で計11名。


(K芦五段による準備運動と素振り、礼のあとで基本稽古)






(初心者のMさんは、数人でフォロー)




(稽古終了)

【感想・反省点】

きょうは手元が比較的細く先が太く先重の竹刀を使ってみた。
構えたり素振りをしてみると違和感がある。妙に重くてしっくりこない。
しかし、稽古に入るとそんなことも忘れてしまって違和感は無くなる。
打った時の竹刀の安定感は増したように思う。遅くなるという感覚も無かった。

いつもは柄が太く、重心は手元にあるタイプを使っている。
どちらの竹刀が自分に向いているのかまだわからない。

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初心者のMさんには、みんなが基本稽古をしている間に面の打ち込み稽古をさせてみた。
これは木曜会で、初心者のO野君の指導を延々とやった経験が役に立つ。
初心者で一番難しいのは手と足が一致しないこと。
竹刀を持たないで手刀で繰返しやらせたらかなり上手に出来るようになった。
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No.78(昭和62年8月7日)

2019年11月06日 | 長井長正範士の遺文


○健康法について
全国信用金庫組合長 小原鉄五郎氏(85才)は、
1.何でも食べる、2.頭を使う、3.体を使う、4.苦労する、5.わだかまりを持たぬ。
人間はいじわるをしてはいけない。夜ねむれない。これが私の健康法だと言われている。

なるほど良いことを言われている。私もおそまき乍ら見習って実行したい。
尚、小原鉄五郎氏は下の仕事をしている人には、
1.正確な仕事をせよ、2.公私の別、はっきりせよ、3.エチケットを重んじる。
相手と気持ちよくつき合う、よい感じを与える。という方針を徹底されている。
私共剣道家の学ぶべきところである。

此頃の若者の中にはエチケットなんてどこ吹く風、世の中は乱れたものである。
皆、私共は“三尺さがって師の陰を踏まず”と習った。今までこれを怠ったことはない。
今は三尺飛び上がって師の頭をなぐる時代で嘆かわしいことである。

以上一応健康長寿についての項は終る。

○剣道に於ける左足の大切さについて
まず左足の大切さを申し上げる前に言っておきたいのは、
左手、左足は自分を守る大事な手足であり、右手、右足は攻撃の手足であるということを
大略承知して貰った上で本論に入りたい。

○左足は一足一刀の間合に於いては自分であること。
右足は相手であるということ。従って左足(左拳も)は相手に対し正中線に真っすぐむけ
(左拳も自分の中心からはずさない)外むき(撞木足)にならないよう、又、
軽くたなごころで立ち力まず、かかとを異常なまであげないこと。
(右足も同様たなごころで立つ)つま先に力を入れて立つと盗み足が出来ない。
盗み足は以前に申し上げたが尺とり虫のように、つま先で屈伸をくり返し進むことをいうのである。
眞剣勝負で、寸、秒を争う間合の攻め方に、こうして、じりじり攻めていったのである。
つぎ足を盗み足と勘違いしている人があるが、これは間違いである。

一寸横道にそれましたが左足は攻防打突に於いて、いつでも軽く踏みしめ、
ハッとした時、打ちに出る瞬発力の手助けをしなければならない。
若し左足を力んで構えて、そのまま力を入れて右手右足で打ちに出ると
起こりがしらが大きく、相手に見破られ打たれるのである。

一刀流では特にこの足ずかいをやかましく言っている。
竹刀剣道は主に送り足であるとは誰しも承知の上であるが、
私は一刀流を学んで17年、此頃ようやく次のように感じとり私は実行している。

即ち、送り足は歩むが如しと。ある時は後へ間をとる時、前の右足から下がり、
即ち右、左と下がる。その時、相手が面を打って来た時、すかさず左足を約30度左へ開き、
相手の出がしらの甲手を打つ(完全に体さばきが出来ている)手前みそではあるが、
これが私の得意のわざである。

これもひとえに一刀流のお陰である。
若し相手が正面を打ってきた時、体さばきすることなく直線的に右足前で、
その出がしらの小手を打ったとしても余り効をそうさない。面の方が有効打となる。
それを左足前で体を左(約30度)へさばき、小手を打てば、
相手は眼の前に相手が居らず自分の右へ開いて、小手を打たれたのだから精神的ショックは大で、
ハッとして「参った」と感じるのである。これが相手の心を打つという一つの例ではなかろうか。

では一刀流ではどんな形の中に以上のような足ずかいがあるのか次回に謹んでご紹介申し上げたい。
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伊丹の修武館「高段者稽古会」(2019年11月4日)

2019年11月05日 | 剣道・剣術


「八段同士の稽古を見るだけでも価値があるよ」
と師匠に言われて申し込んだ。全日本よりも興味がある。

参加した八段先生は我が師匠を含めて12名。
七段は20~30名ぐらい。六段も同じぐらいか。
五段以下が20名ぐらい。全部で80名は超えていたと思う。
10時から12時までの予定が12時半までずれ込んだ。

稽古は同じ段位同士で3分間行い、
あとで見ていた八段先生に指導してもらうというもの。
それを3回やって、あとは七段が元に立っての稽古。

そのあとは八段が元立ち。
最後は八段同士の稽古を拝見するという内容だった。


(到着、やや緊張)


(八段元立ちの稽古風景)


(私のお手本にしている構え)


(稽古終了)


(正式な集合写真の前に1枚撮影させてもらった)


【感想・反省点】

最初は、時々、ダイキンでの稽古でお見かけする方にお願いした。
せっかくだから我が師匠の目の前まで行って稽古する。
動じないこと。中心を取りながら右足スイッチ。あとは身体の判断に任せる。

4回目で、15年ほど前、五段の時に稽古をしたことがあるベテラン七段にお願いした。
昔もそうだったが、まず構えが安定している。
崩したいが、何をしても動かすことが出来ない。
動かそうとして自分が動く(色を見せる=崩れる)のがわかる。

剣道は、彼のような、厚かましさ、ふてぶてしさ、お前など屁でも無いわ・・・
という傲慢な精神力も重要なのだと改めて認識させてもらった。
結局、お互いに打つぞの「う」で相面になってスピードで負けてしまった。

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八段元立ちの時間は、あえて稽古をせず、八段先生の剣道を目に焼き付けた。
特に我が師匠。師匠の剣道は美しく柔らかい。力まず無理が無い。
状況に応じての攻め、捌き、打ったあとが見事だ。
これを見るだけでも価値のある稽古会だったと言って良い。

八段同士の稽古は、まず緊張感が七段と違う。気迫がすごい。
剛の先生が柔も使い、柔の先生が剛も使うという部分も見れた。
竹刀捌きも見事だが、やっぱり足だよなあ・・・と納得した。

アドバイスの中で印象に残ったもの。
・意味も無く剣先を振るものでは無い。左手の納まりが大事。
・七段なら、八段になったつもりで稽古しなさい。
・自分から攻めて、相手の起こりを捉える稽古を目指しなさい。
・触刃から交刃、交刃から打ち間までを大切にしなさい。

終わりの礼の時に永松先生のお話の中で印象に残ったもの。
・剣道は当てっこでは無い。相手の心を打つのだ。
・技の稽古の段階が過ぎたら精神的な稽古になる。
・師を選ぶ大切さ。縁を大事に。
・段階ごとの修行の大切さ。三磨(習い・稽古・工夫)の位。猫の妙術。
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長正館、月例稽古(2019年11月3日)

2019年11月04日 | 剣道・剣術


長正館の月2回の日曜稽古。
前半(17時~)は一刀流、後半(18時半~)は剣道稽古。
通称「月例稽古」は東住吉区湯里小学校の体育館。
詳しくはホームページまで。
http://doujyou.net/choseikan/
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---小野派一刀流稽古---

17時~18時過ぎ。本日も刃引の指導。
刃引の形は一見地味に見えるが奥は深い。
人数は8名+井上館長。初心者のMさんは、K藤氏が別枠で指導。
最後はI口氏が元立ち(打方)で表の摺り、裏の摺り。


(一刀流の稽古風景)

---剣道稽古---

18時半~19時55分。
準備運動と素振りのあとは自由稽古。
早めに終わろうとしたが結局は20時近くまで。
涼しくなったので稽古はやり易い。
全日本を観に行ったK芦五段が遅れてきた。
参加人数11名+井上館長。井上館長も久々に稽古に参加。


(準備運動を素振りから)


(初心者のMさんは最初は井上館長が指導)


(井上館長も稽古)


(F六段とS澤三段)


(K藤六段とM三段)


(1分間の審査に向けた立合い稽古、F本六段とK芦五段)
(奥ではK藤六段が初心者のMさんを指導中)


(1分間の審査に向けた立合い稽古、F六段とK芦五段)


(1分間の審査に向けた立合い稽古、N村六段とK芦五段)


(I口二段とH尾三段)


(稽古終了)


(指導の六段は4名)


(井上館長)


【感想・反省点】

自分の課題は「崩れぬこと」と「攻め入り」である。
しかし相手が難剣だとどうしても崩れて打ってしまう。
しっかり構えていれば打たれることがほぼ無くなったのは進歩かも。
「攻め入り」は難しい。いつでも打てる状態を意識するが焦ってフライングしてしまう。
全体的に力が入っているのがわかる。力を入れて出遅れてしまう。柔らかさが欲しい。
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往馬玄武会、長正館一刀流、宝剣会(2019年11月2日)

2019年11月03日 | 剣道・剣術
朝、同門のK芦さんから着信がり、掛け直しても出なかったので
「ああこれは往馬玄武会の稽古に来い」ということなんだな・・と思ってしまった。
(K芦さんは審査のための強化稽古で先週も行き、今週も行くつもりと聞いた)

実は、近大剣道部OB(梅門会)のⅠ山さんが最近稽古に復帰していると、
先週聞いたので、久々にお顔を拝見してお稽古願おうと思ったのだ。

で、あわてて準備して生駒の武道館まで。
行ったら同門のK芦さんは来ていたがお目当てのⅠ山さんは欠席だった。
稽古は回り稽古のみ参加。五段審査挑戦中のH名さんを重点的に指導した。


(行った時には基本稽古が終わって回り稽古が始まろうとしていた)


(往馬玄武会の稽古のあとは、続いて生駒一振館の稽古が始まる)

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夕方は小野派一刀流。長正館中野中学校。
見学者2名あり。初心者1名あり。
面倒を見てたら一般の稽古をみる時間が無くなった。



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夜は生駒に戻って宝剣会。行くと3人しかいない。私を入れて4人。
地稽古も終わりかけで、石丸師範に切返し、打ち込みのあとで地稽古。
最後に切返しをしてから休みなしで五段2名と地稽古だった。

ここの稽古が心臓に一番キツイかも知れない。




【感想・反省点】

毎回言われるのが「背も大きいし体格あるんやから遠間から真っ直ぐド~ンと打ってこい」
というアドバイスである。ド~ンと打ちたいが、100%、必ず頭上で受けられ返し胴を食らう。

ともかく間合いが近い。
打ってきたのを胸に突いても意に介さず、
頭上に防いだ小手を打っても屁とも思われていない。
もちろん胴を(見事に)抜いても駄目なのだ。
最初の頃は、間合いを取りたくて後ろに下がるしか無かった。

まあしかし、昔のようにボコボコにされることは無くなった。
打たれても良し、打てなくても良しで、いかに崩さないようにするかのみだ。
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映画「ベロニカとの記憶」を観て

2019年11月02日 | つれづれ
ネット配信で映画「ベロニカとの記憶」を観た。

ベロニカとの記憶公式サイト
https://longride.jp/veronica/



映画.comから説明文を拝借
https://eiga.com/
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2011年のブッカー賞を受賞したジュリアン・バーンズの小説「終わりの感覚」を、ヨーロッパや日本でもヒットを記録したインド映画「めぐり逢わせのお弁当」のリテーシュ・バトラ監督が、「アイリス」のジム・ブロードベント、「さざなみ」のシャーロット・ランプリングらイギリスの名優を迎えて映画化したミステリードラマ。60歳を過ぎ、ひとり静かに引退生活を送るトニーのもとに、ある日、見知らぬ弁護士から手紙が届く。それによれば、40年前に別れた当時の恋人ベロニカの母親だという女性が、トニーに日記を遺しているという。思いもよらない遺品から、トニーは長い間忘れていた青春時代の記憶が呼び覚まされていき、若くして自殺した親友や初恋にまつわる真実をひも解いていく。
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主演者の設定が自分と同じ年齢層であり色々と考えさせられた。
最後のほうの字幕に書かれた主演者の言葉が胸に突き刺さる。

人は人を語る時
過去を装飾し 都合よく編集する
長生きすれば 異を唱える証人も減る
それは事実と言うより“物語”だ
自分を納得させるために書きかえた物語・・・



彼は偏屈で頑固で自分勝手で我儘だ。
それは自分自身にも当てはまる。

昔のことをよく憶えているつもりでも、
その記憶は自分の都合の良いように美化されていて、
自分だけが被害者意識を持っていたり、
知らず知らずの間に人を傷つけていたり、
あるいは、すっかり記憶から消し去っていたりするものだ。

自分の人生の中で、自分の行動の良い部分はより美化され装飾される。
その何倍もの、自堕落で、ひねくれた気持ちと行動は記憶から都合よく消されてしまう。

けっきょく思い出というものはそんなものかも知れない。

自分の人生を振り返ってこれからもブログを書くだろう。
しかしそれは編集された「願望としての自分史」なのかも知れない。

映画の中の、彼の元奥さんと娘さんの優しさで救われた気持ちになります。
こういう映画は若い人はわからないだろうな。60歳過ぎた人にはお勧めの映画です。

いや、もっと年老いた、長生きし過ぎた老人には理解出来ないかも知れない。
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木曜会定例稽古(2019年10月31日)

2019年11月01日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時25分まで。今年36回目。
参加人数30名近く。涼しいが寒くはない。

素振り、2人組で左鎬での中心の取り合い、
面着用後、3人組交代で切返し、正面打ち。
あとは実戦的な基本練習盛りだくさん。

以下、気のついたことのみ書きとめる。

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左手の甲と左鎬は同期させる。左鎬で相手を捉え感じる。
左鎬、竹刀は相手の心を感じとるアンテナ。
右手で乗り押さえるのではなく、左手の甲で乗り押さえる。
反りのある刀を意識した操作。


(左手の甲=鎬を意識する)

中心を取る時、左手が納まる位置を意識ずること。
右手は添える程度。左手だけで中心を取る。

「右足を出しながら~」を常に意識する。

---小手技---
出小手は相手が面を打ってこなければ出小手にならない。
構えの隙を狙った小手は評価されない。(覗きながら小手など)
相手に中心を外させたところを打っていく。(乗り押さえ、下から、ふぅと上げて)
小手の場合は、打ったあとの体捌きを素早く行う。
打ったあとの身構え気構え残心までを意識すること。

---本日の秘伝(打てずに固まることの無いように)---
返し胴を狙って大きく一歩入る→相手は面を打ってこず面を警戒し面を防ぐ→
なおかつ、小手を打つには近過ぎて打てない場合の対処方法は?
(ここ、あえて記述せず)刃筋を意識すること。

---「いーち、いち、に」の技---
自分から攻め入ったところで相手を引き出し、あるいは防いだところを打つ。
待って、相手の構えの隙や、相手が打ってきたとこを狙う剣道ではなく、
すぅーと自分の打ち間に入れる剣道を目指すこと。
構えを崩さず、すぅーと真っ直ぐ入ることが大事。


(稽古終了)


【感想・反省点】

最初の基本の面打ちが今年の稽古の中でも一番うまく打てた。
無駄な力が抜けてきたのかも知れない。
切返しではでは、まだまだ右手に力が入ってしまうのを感じた。

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鎬を意識した剣道を目指す。
普段の稽古の中で木曜会の基本を実践する。
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