稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

映画「ベロニカとの記憶」を観て

2019年11月02日 | つれづれ
ネット配信で映画「ベロニカとの記憶」を観た。

ベロニカとの記憶公式サイト
https://longride.jp/veronica/



映画.comから説明文を拝借
https://eiga.com/
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2011年のブッカー賞を受賞したジュリアン・バーンズの小説「終わりの感覚」を、ヨーロッパや日本でもヒットを記録したインド映画「めぐり逢わせのお弁当」のリテーシュ・バトラ監督が、「アイリス」のジム・ブロードベント、「さざなみ」のシャーロット・ランプリングらイギリスの名優を迎えて映画化したミステリードラマ。60歳を過ぎ、ひとり静かに引退生活を送るトニーのもとに、ある日、見知らぬ弁護士から手紙が届く。それによれば、40年前に別れた当時の恋人ベロニカの母親だという女性が、トニーに日記を遺しているという。思いもよらない遺品から、トニーは長い間忘れていた青春時代の記憶が呼び覚まされていき、若くして自殺した親友や初恋にまつわる真実をひも解いていく。
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主演者の設定が自分と同じ年齢層であり色々と考えさせられた。
最後のほうの字幕に書かれた主演者の言葉が胸に突き刺さる。

人は人を語る時
過去を装飾し 都合よく編集する
長生きすれば 異を唱える証人も減る
それは事実と言うより“物語”だ
自分を納得させるために書きかえた物語・・・



彼は偏屈で頑固で自分勝手で我儘だ。
それは自分自身にも当てはまる。

昔のことをよく憶えているつもりでも、
その記憶は自分の都合の良いように美化されていて、
自分だけが被害者意識を持っていたり、
知らず知らずの間に人を傷つけていたり、
あるいは、すっかり記憶から消し去っていたりするものだ。

自分の人生の中で、自分の行動の良い部分はより美化され装飾される。
その何倍もの、自堕落で、ひねくれた気持ちと行動は記憶から都合よく消されてしまう。

けっきょく思い出というものはそんなものかも知れない。

自分の人生を振り返ってこれからもブログを書くだろう。
しかしそれは編集された「願望としての自分史」なのかも知れない。

映画の中の、彼の元奥さんと娘さんの優しさで救われた気持ちになります。
こういう映画は若い人はわからないだろうな。60歳過ぎた人にはお勧めの映画です。

いや、もっと年老いた、長生きし過ぎた老人には理解出来ないかも知れない。
コメント
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