く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<クリ(栗)> 雌雄同株 雄花が密に付いた長い穂の基部に数個の雌花

2016年06月01日 | 花の四季

【縄文時代の貴重な食料、縁起物の「勝ち栗」は土俵の中にも!】

 ブナ科クリ属の落葉果樹。日本原産のニホングリ(シバグリ=芝栗)は北海道から九州の屋久島まで全国の山野に広く自生する。雌雄同株で、6月頃、黄白色の小さな雄花が15cmほどもある長い花穂に密に咲いて、その基部に数個の雌花が付く。雌花は花後、総苞が発達して棘に覆われた殻斗(かくと=イガ)になり、9~10月頃、大きくなったイガが裂けて1~3個の実がこぼれ落ちる。

 クリの語源には様々な説がある。果皮の黒い色から「くろ」の転嫁や「くろみ(黒実)」の縮約、実の硬さから古語で石を意味する「くり」から、丸くてクルクル転がる果実を表す「くるみ」「くりみ」のうち「くりみ」から……。クリは縄文時代の主要な食料だった。三内丸山遺跡(青森県)をはじめ東日本の縄文遺跡からは廃棄された大量のクリの果皮が見つかっている。

 大きな栗の本格的な栽培は丹波地方で始まったともいわれるが、三内丸山遺跡周辺ではクリの林も確認されており、既に当時から栽培されていたことを示す。ある研究によると、縄文時代後期には現在の栽培品種に匹敵するほどの大きな実を付けるものもあったそうだ。堅くて腐りにくいクリの木は古くから建材や線路の枕木などに使われてきた。山内丸山遺跡からは直径1m余のクリの巨木を利用した6本の柱も出土している。

 クリは万葉集にも登場する。山上憶良は「子等を思ふ歌」(巻五)の中で「瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲(しぬ)はゆ……」と詠んだ。戦国時代には実を干した後、臼でついて殻と渋皮を取り除いた「搗(か)ち栗」(「搗つ」は「搗=つ=く」の古語)は大切な兵糧(ひょうろう)で、「搗ち栗」は「勝ち栗」に通じるとして出陣式にも不可欠なものだった。

 勝ち栗は大相撲にとっても欠かせない。本場所の無事を祈って初日の前の日、古式に則って〝土俵祭り〟が行われるが、勝ち栗は洗米・塩・昆布・スルメ・カヤの実とともに土俵中央の縦横15cmほどの穴の中に納められる。栗きんとんは正月の縁起物としても、おせち料理を飾る。クリ属にはマロングラッセに使われるヨーロッパグリ、渋皮が離れやすく天津甘栗で知られるチュウゴクグリなどもある。「よすがらや花栗匂う山の宿」(正岡子規)。

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