【史料保存館で企画展示、模型・絵図・執務日誌など】
奈良市史料保存館で「奈良奉行所」をテーマにした平成30年度企画展示が開かれている。奈良奉行所は現在国立大学法人の奈良女子大学がある場所に置かれ、江戸時代約250年間にわたって奈良の町を治めていた。この奉行所の景観や機能、歴史を、模型や絵図、古文書などをもとに詳しく紹介している。7月22日まで。
奈良奉行は江戸幕府が地方の主要都市に設置した遠国(おんごく)奉行の一つで、奈良町御奉行や南都町奉行、南京奉行とも呼ばれた。1613年に任命された中坊秀政(飛騨守)が最初の奉行といわれ、以来、江戸末期まで42代の奉行が奈良町と周辺の奈良廻り八カ村、社寺領の行政と治安を担当した。有名な奉行には付属学問所を設立した梶野良材(1831~36)、町民に慕われ後に幕府の勘定奉行や外国奉行としても活躍した川路聖謨(1846~51)などがいる。
奈良奉行所の敷地は東西・南北ともほぼ93間(約165m)の正方形で、周りに堀と土塁を巡らせていた。総面積は8700坪(約2万8000㎡)と広大で、近隣の奉行所と比べると、大坂町奉行所のほぼ3倍、京都町奉行所の約1.6倍の広さを誇った。堀や土塁が巡る正方形の造りは、徳川家康が上方と江戸間の往来や鷹狩りの際に旅宿に充てるため築いた御殿とよく似る。奈良奉行所は同時に有事の際には軍事的拠点の役割を担う〝繋ぎの城〟としての機能も想定されていたといわれる。実際に家康は1614年の大坂冬の陣に際し、ここに宿泊した後、大坂・住吉に向かったそうだ。
奈良奉行所の復元模型は奈良女子大学所蔵の「南都御役所絵」(1803年)や同大学内での近年の遺構発掘調査などを基に制作されたもの。展示中の「御役所絵図」(1767年)によると、奉行所内は東南側に奉行が政務を行う書院公事場(くじば)、白洲、吟味所、与力詰所など役所向きの建物、その北側に奉行と家来の住居や台所、武具蔵などの建物が配置され、西南側は庭園になっていた。絵図の建物は青、茶、黄の3色に色分けされているが、これはそれぞれ瓦葺き、桧皮葺き、板葺きの別を示していると考えられている。
「南都御役録」(1860年)は奉行所内での職務分担表で、奉行以下、与力、同心、町代などの氏名と職務内容が記されている。「奈良奉行所町代日記」は町政事務を担当した町代の執務日記で、奉行所内の出来事や町人からの訴訟の届け、家屋敷の売買届けなどが細かく記録されている。「奈良奉行所御番所日記」は与力の執務日誌。「井上町町中年代記」は井上町の記録で、1822年7月29日の欄には奉行所から鹿の保護について通達があったことが記されている。町代日記、御番所日記、井上町の年代記はいずれも奈良市指定文化財。