【遺物など「もの」の中に生きる“人の営み”を活写】
入江泰吉記念奈良市写真美術館(奈良市高畑町)で、奈良県出身の写真家太田順一氏の個展が開かれている。題して「ものがたり ものの語りに目をそばだてる」。1950年生まれの太田氏は早稲田大学を中退後、写真家を目指すため大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ大阪)で学ぶ。卒業後は長く「人」ばかり撮っていたが、50歳手前から対象を「もの」「風景」に絞り込んだ。今回の展示作品の中にも人物を撮ったものはない。だが遺されたものから人の息づかいが聞こえてくる作品が多く、風景写真も様々な痕跡から生命や自然の永遠の営みなどが伝わってきた。
太田氏はこれまで多くの写真集を発表してきた。『女たちの猪飼野』『ハンセン病療養所 隔離の90年』『大阪ウチナーンチュ』『佐渡の鼓童』『無常の菅原商店街』『化外(けがい)の花』など。このほかに『ぼくは写真家になる!』『写真家 井上青龍の時代』などの著書も。今回の個展は①菅原通 聖遺物②化外の花③父の日記④遺された家⑤ひがた記の5章構成で、それぞれ二十数点ずつ、合わせて約130点を展示している。
①の作品群は阪神大震災の直後に菅原商店街(神戸市長田区)の焼け跡を3日間歩き回って撮った遺物の数々。瓦礫の中に散乱した茶碗や印鑑、焼け焦げた手紙の束、裁縫の道具箱などが、つい先日まで続いた日常の暮らしを物語る。②では荒涼とした大阪湾岸の工業地帯でひっそり咲く草花を集めた。「よくぞまあ、こんなところに――私にとっては可憐で、崇高でさえありました」との説明が添えられていた。④はまだ家具や生活用品などがそっくり残ったままの空き家の内部を、⑤は貝が這い回った跡や波がつくる砂浜の紋様など干潟で繰り返される風景を撮ったもの。
来館者の多くが最も時間をかけ覗き込んでいたのが③の父の日記。太田氏の父親が妻に先立たれ独り暮らしとなった68歳の時から約20年間書き続けていたという。その中にこんなくだりがあった。「今朝の新聞の読売歌壇を読む…いつも感じるが老人の歌が多い…どの歌も寂しく年をとれば皆寂しいんだなと思う 自分だけではないのだ」。「嫌な事が有っても我慢する 情け無いが仕方無い 我慢」の文章では「我慢」の文字が丸で囲まれていた。「物より言葉と言うが其の通り…物より優しい言葉の方が有難い」という言葉も綴られていた。
「何の趣味もない昔の人間でしたから内容はいたって凡庸なものです」。太田さんは説明書きにこう記していたが、日記には含蓄のある言葉も多く含まれていた。ただ、小さな文字で丁寧に綴られていた日記も、時を経つにつれ文字は次第に大きく少々雑に。後半の日記には認知症を患ったとまどいや苦しさが赤裸々に綴られていた。「物わすれがきつく成って来てつらい」「自分の字がよめない…カン字が書け無く成った」「日毎にボケがキツクなって来る感じでつらい」――。太田さんによると、亡くなる2年前に施設に入った日を境に、日記は「錯乱したものに変わった」という。その日記は写真集『父の日記』(2010年)として出版されている。会期は11月6日まで。「没後30年入江泰吉 大和路1945―1970」展も同時開催中。