【春日若宮の造替と創立90周年を記念し】
春日大社の万葉植物園(奈良市)で文化の日の11月3日、春日若宮の式年造替を祝う「奉納演奏会」が開かれた。主催は古典芸能の保存に取り組む春日古楽保存会で、会の創立90周年記念を兼ねた催し。植物園の中央にある池に設けられた浮舞台で、約1時間半にわたり春日大社に古くから伝わる田楽と細男(せいのお)、舞楽が演じられた。
春日古楽保存会は1932年に春日大社を中心として雅楽、田楽、細男などの保存・伝承を目的に発足。その後、雅楽部門が「南都楽所(なんとがくそ)」として独立した。奉納演奏会は午後1時にスタートした。最初に演じた田楽座は「春日若宮おん祭」(毎年12月開催)で行われる芸能のうち最も興福寺と深い関係のある芸能集団といわれる。
田楽の起源については神に五穀豊穣を祈る舞、農耕を慰労するための所作など諸説ある。この日は笛や太鼓、小鼓の音に合わせ『中門口』『刀玉』『高足』『もどき開口』『立合舞』などの演目が次々に演じられた。演者は紅色の華やかな装束に平べったい朱色の綾藺笠(あやいがさ)。その中でひときわ目を引くのが、高い下駄を履いて赤い鳥居や花や人形で飾られた大きな花笠を頭上に載せた笛役の男性。人形は伝統工芸「奈良一刀彫」の起源といわれている。
続いて舞台に上がったのは細男座(せいのおざ)の舞人6人。全身、浄衣という白い装束姿で、目の下にも白くて長い布を垂らす。演じる細男舞は神功皇后の故事に因む。伝説によると、筑紫の浜である老人が「細男を舞えば磯良(いそら)と申す者が海中より出て、千珠・満珠の玉を献上す」と言ったのでこれを舞わせたところ、磯良が出てきたが顔に貝殻を付いていたので覆面をしていたという。
舞人6人は小鼓、笛、袖役がそれぞれ2人ずつ。まず袖役2人が小鼓と笛の音に合わせ、袖で顔を隠しながら前屈みの姿勢で歩を進める。続いて小鼓の2人が鼓を打ちながら同じようにゆっくり進む。その後も袖・小鼓・袖・小鼓……と続く。その間、右手の笛役2人が笛を吹き続けるのだが、その音には音階がほとんどなく、なんとも心もとない単調な音色。実に神秘的というか、あるいは不思議で滑稽というか。ちらしの曲目解説には「わが国芸能史のうえでも他に遺例のない貴重なもの」とあった。
舞楽の演目は左舞(唐楽)の「萬歳楽」と右舞(高麗楽)の「延喜楽」。「萬歳楽」は隋の皇帝煬帝が楽工の白明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞に表したといわれる。舞人4人は赤い襲(かさね)装束に鳥甲の冠姿。「延喜楽」は908年(延喜8年)に藤原忠房が作曲し、敦実親王が舞を作ったという。舞人は緑色の襲装束。最後に「長慶子(ちょうげいし)」の演奏で、この日の奉納演奏会を締めくくった。
春日大社の摂社若宮(下の写真)は「大和国の総鎮守」「芸能の神」として信仰を集めてきた。1年半がかりの本殿修理が終わり、10月28日に本殿遷座祭が執り行われた。これを記念し拝舎に至る神楽殿の石段を初公開する特別参拝「八日間初まいり」を11月6日まで行っており、春日大社では11月中の毎土曜日「奉祝万燈籠」として境内の燈籠3000基に浄火を灯す。また11月中、さだまさしやバイオリニスト古澤巌ら、ゆかりの深いアーティストや市民団体による奉納コンサートや芸能奉納が予定されている。奉納コンサートは25日まで続きボサノバの小野リサがトリを飾る(これに申し込んでいたが、先日「落選」の通知が届いた。残念!)。