【現役で重文指定はこの駅舎と東京駅丸の内の2つだけ】
明治~昭和時代の重厚な建築物群が多く残る門司港レトロ地区。その玄関口JR門司港駅の現駅舎は約110年前の1914年(大正3年)門司駅として開業した。1988年には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に。現役の駅舎で重文指定はこの門司港駅と東京駅丸の内駅舎(2003年指定)だけだ。日本経済新聞の「絵になる駅舎12選」ではこの2つの駅舎が東西の1位に選ばれている(2017年5月20日付NIKKEIプラス)。
門司港駅は6年余りにわたる復元工事が完了し、4年前の2019年春、創建時の大正時代の姿を取り戻した。駅舎を見るのは工事用フェンス越しに架設の階段上から見学した18年秋以来。今回久しぶりの帰省でようやく復元後の晴れ姿に対面できた。駅舎は左右対称のネオルネサンス様式と呼ばれる造りで、2階建ての中央棟と平屋の東西棟からなる。ドイツ人の鉄道技師へルマン・ルムシュッテル(1844~1918)の監修で、イタリア・ローマのテルミニ駅を模したといわれる。復元工事に併せて耐震化工事も行われた。
工事前と比べ大きな違いは駅舎正面の1階庇(ひさし)部分が取り払われ、すっきりした外観になっていること。重厚な門構えのような姿が印象的だ。ただこの復元に対し複雑な思いを吐露する人も。門司出身の知人は「庇は人力車などの車寄せ用として設けられた。あれがあったからよかったのに」と惜しむ。(下の写真は復元工事前の駅舎=2012年8月6日)
屋根部分の柵状の飾りや突起は古写真などを基に復元された。外壁は石貼り風の目地を設けたモルタル塗りに。内装も残っていた資料を基にシャンデリアを設置したり、当時の壁紙を再現したりして大正調に復元した。駅舎のシンボルが正面の大時計。開業後まもなく九州で初めて設置されたという電気時計だ。調査で文字盤は過去2回ほど取り替えられていたことが判明した。このため文字盤も最初の設置時のものを復元した。
1階の「旧三等待合室」や2階にあった「旧食堂」「旧貴賓室」(上の写真)、貴賓の従者が控える「旧次室」などの内装も開業当時の姿に復元された。「旧三等待合室」にはスターバックスコーヒーが入店。2階はこの4月1日「マリーゴールド門司港迎賓館」がオープンした。カフェや披露宴会場として活用されている。
駅舎構内には大正~昭和時代を偲ばせる遺構が多く残る。「関門連絡船通路跡」は門司―下関を結ぶ連絡船就航当時に駅から桟橋まで伸びていた長さ約100mの通路。引揚者や復員兵が喉を潤したという水飲み場「帰り水」、戦時中の金属供出を免れた「幸運の手水鉢(ちょうずばち)」(下の写真)なども健在。駅舎には改装後も以前と変わらないノスタルジックな雰囲気が満ち溢れていた。