く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良市埋蔵文化財センター> 平成25年度春季発掘調査速報展

2014年03月14日 | 考古・歴史

【奈良町遺跡から出土した平安~江戸時代の遺物を展示】

 奈良市埋蔵文化財調査センターで「平成25年度春季発掘調査速報展」(28日まで)が開かれている。平安~江戸時代の陶磁器や犬形土製品などが出土した奈良町遺跡(今小路町)の出土品に加え、24年度に実施した東大寺旧境内食堂院地区の出土品も併せて展示している。

 

 奈良町遺跡の場所は転害門の南西約70m。平安時代の緑釉陶器や灰釉陶器をはじめ、鎌倉時代の井戸から鹿の角、室町時代の井戸からは小さな犬形の土製品や石製のサイコロなどが見つかった。このほか15世紀前半の地層からは瀬戸産のおろし皿や体を温かめる温石(おんじゃく)なども出土しており、都が平安京に移って以降の土地利用の変遷や人々の暮らしぶりが垣間見える。

 江戸時代終わり頃の土坑からは信楽や瀬戸、肥前などの陶磁器や木製品が大量に出土した。この地は江戸時代の絵図などから4大茶会記の1つ「松屋会記」(1534~1650年)で有名な漆問屋松屋・土門家の邸宅があったことが分かっており、同センターではこれらの出土品も土門家に関わるものではないかと推測している。

 

 東大寺食堂院地区は僧侶の食事をつくる「大炊殿(おおいどの)」と呼ばれる建物があったとみられる所。現在駐車場になっている場所を発掘したところ、大量の奈良時代の瓦や奈良三彩、須恵器横瓶などの土器類が見つかった(上の写真)。瓦の中には「真依」「六人」「長」「東」「東大」という文字が刻印されたものが合計10点あった。

 「真依」は「まより」、「六人」は「むと」という瓦工人の名前とみられる。こうした人名を刻印した瓦はこれまでに東大寺の法華堂(三月堂)や恭仁宮跡、平城宮跡などからも出土している。「東」と「東大」は東大寺を意味し東大寺造営時の瓦とみられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<BOOK> 「2020年 新聞は生き残れるか」

2014年03月13日 | BOOK

【長谷川幸洋著、講談社発行】

 新聞の長期低落傾向が続いている。国内発行部数は2000年の5370万部が2012年には4778万部に。10年ちょっとで10%以上も減少した。インターネットの存在感が高まる中、紙媒体の新聞は将来どうなるのだろうか。著者の長谷川氏は現在、東京新聞・中日新聞論説副主幹。本書は新聞を愛するが故の自戒の書といえよう。

    

 「ジャーナリズムのデフレ敗戦」「新聞を出し抜くネット・ジャーナリズム」「ジャーナリストが生き残るためにすべきこと」など8つの章と「特別収録 大鹿靖明インタビュー」で構成する。大鹿氏は朝日新聞記者で、著書に「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」(講談社ノンフィクション賞受賞)などがある。

 タイトルの「2020年」は2回目の東京五輪開催の年。東京開催は昨年9月8日に決定し、テレビは発表の瞬間や「お・も・て・な・し」の場面を繰り返し放映した。ところが翌日、新聞は休刊日で朝刊がなかった(読売新聞は特別号外を宅配)。感動をもう一度と新聞受けをのぞいて肩透かしを食った読者も多いことだろう。休刊日は販売店の慰労が目的で、読者とは無関係のいわば内輪の事情による。

 著者は「東京五輪が決まっても、新聞を発行しないで平気でいられる新聞は『読者のことを考えている』と本気で言えるのか」と問題提議。さらに、読者が休刊日で「新聞がなくても困らない」と実感したとすれば、「この体験はこれから2020年の東京五輪に向けて、じわじわと深い影響を与えるのではないか」と危惧し、「新聞大激動」の幕開けを告げるものとまで言い切る。

 著者は各章の中で、官僚に取り入ってネタという餌をもらう〝ポチ記者〟を生む経済ジャーナリズムの構造的な問題や、記者クラブでの発表に頼り生データに当たらない記者の体質、情報の二次加工が不得意なマスメディアなどの問題点も指摘する。

 2012年「週刊ポスト」が復興予算の流用問題を報じた。女性のフリーランス記者が霞が関の省庁が公表している予算の「各目明細書」をネットで読み込むことが特報のきっかけになった。著者が取材中、その記者から逆に問い返されたという言葉が印象的だ。「私が不思議に思っているのは、記者クラブにいる記者さんたちはみんな、私よりももっと多くの情報を持って……復興予算の流用だって知っていたかもしれない。それなのに、どうして報じられなかったのでしょうか」。

 そう言えば、この復興予算流用問題以外にも佐村河内守氏の作曲者別人問題など、最近は週刊誌や月刊誌が書いた特ダネを新聞やテレビが後追いするケースが増えている。理化学研究所の「STAP細胞」論文不正疑惑も、最初に指摘したのは論文検証サイトで、それがブログやツイッターで広がって表面化した。長く再販制度や記者クラブなどで守られてきたオールドメディアの新聞にとって、低落傾向に歯止めを掛けるのはなかなか容易ではない。      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ミツマタ(三椏)> 3つに分かれた枝先に多くの黄色い小花

2014年03月12日 | 花の四季

【樹皮は紙幣や証券類など高級和紙の原料に】

 初春、葉に先立って多数の黄色い筒状の小花が数十個集まって、うつむき加減に花をつける。ミツマタの名は枝が3つに分かれて伸びることによる。漢字では「三椏」のほか「三叉」や「三股」が当てられることも。中国中南部~ヒマラヤ地方の原産で、中国では「黄瑞香」や「結香」と呼ばれる。

 コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)と並ぶ和紙の3大原料の1つ。樹皮の靭皮(じんぴ)繊維が丈夫で光沢に富み、ミツマタで作った和紙はしわになりにくい、虫がつきにくい、透かしを入れやすいという特徴を持つ。このため1万円札や証券類、地図、箔合紙など上質和紙原料として、古くから駿河や中四国地方などで栽培されてきた。ただ近年は中国やネパールなど外国産に押され、国内の栽培面積は減少の一途を辿っている。

 万葉集に「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば 後にも逢はむな恋ひそ吾妹(わぎも)」(柿本人麻呂)。この「三枝」がミツマタではないかといわれるが、他にササユリやジンチョウゲ、フクジュソウ、ヒノキなど諸説ある。仮にこれがミツマタなら奈良時代初めには渡来していたことになるのだが……。磯野直秀氏の「明治前園芸植物渡来年表」では慶長19年(1614年)になっており、遅くとも江戸時代初めまでには渡来していたようだ。

 ミツマタを使った駿河半紙は天明年間(1781~89年)に量産されるようになった。静岡県富士宮市の白糸の滝のそばには「三椏栽培記念碑」が立つ。富士地区の製糸業は18世紀後半のミツマタの本格栽培に端を発したのだろう。ミツマタの園芸品種に花が赤いアカバナミツマタ(ベニバナミツマタとも)がある。

 ミツマタは高知県中央部にある「いの町」の町の木になっている。いの町は土佐和紙の産地。各地のミツマタ群生地では開花に合わせイベントが計画されている。福岡県添田町の英彦山では15~23日、スロープカー花駅前でミツマタまつりを開く。三重県亀山市野登地区のみつまた祭りは29日。広島県安芸高田市の虫居谷でも4月5~6日に「カタクリ・ミツマタまつり」が開かれる。「三椏が咲き山中に笑ひごゑ」(宮岡計次)、「三椏のはなやぎ咲けるうららかな」(芝不器男)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<吹奏楽団A-Winds> 客演指揮と協奏曲ソロにトロンボーン奏者松下氏

2014年03月10日 | 音楽

【やまと郡山城ホールで42回目の定期演奏会】

 奈良アマチュアウィンドオーケストラ(A-Winds)の「2014年春の演奏会」が9日、やまと郡山城ホールで開かれた。この吹奏楽団が発足したのは15年前の1999年。42回目となる今回の定演では新しい試みとして、トロンボーン奏者で指揮者や作編曲者としても活躍中の松下浩之氏(写真=前列左から3人目)を客演指揮者とともにトロンボーン協奏曲のソリストとして迎えた。

 松下氏は1964年神戸市生まれ。大阪音楽大学(トロンボーン専攻)卒業後、同大非常勤教育助手を経て88年大阪市音楽団に入団、昨年退団するまで約25年間、トロンボーン奏者として活躍した。現在は神戸山手女子高校音楽科講師、福祉の管弦楽団「まごころ」音楽監督兼常任指揮者、関西トロンボーン協会理事などを務める。

 コンサートは2部構成で、第1部の2曲を松下氏が指揮した。1曲目はオープニングにふさわしい華やかで躍動的な祝典序曲「オリンピカ」。ベルギーのヤン・ヴァン・デル・ローストが長野市民吹奏楽団から創立20周年記念作品として委嘱を受けて作曲した。2曲目は米国生まれのロバート・ラッセル・ベネットが1957年に作曲した「吹奏楽のためのシンフォニックソング」。物静かな曲調が最終章に入ると陽気でにぎやかな演奏に一転した。

 第2部1曲目はやや短めの「ブラボー・ブラス!」(星出尚志作曲)。次いで2曲目に松下氏がソリストとして登場し協奏曲「トロンボーンのための『カラーズ』」を演奏した。作曲者ベルト・アッペルモントは「オリンピカ」の作曲者デル・ローストの教え子。4楽章の構成で、題名の通り黄・赤・青・緑の4色のイメージをもとに作曲したという。改めてトロンボーンの音域の広さや多様な音色などを再発見させてくれる名演だった。アンコール曲は「76本のトロンボーン」など。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<帝塚山大学市民講座> 「インド哲学と食―浄・不浄の概念と食文化」

2014年03月09日 | メモ

【講師の小磯千尋さん「根底にあるのは不殺生の教え」】

 帝塚山大学(奈良市)考古学研究所主催の市民大学講座が8日開かれ、大阪大学外国語学部非常勤講師の小磯千尋さんが「インド哲学と食―浄・不浄の概念と食文化」と題して講演した。約10年間のインド滞在歴がある小磯さんはインドの食文化について「風土や宗教の違いで差があるものの、根底には不殺生の教えがある」と話した。

   

 小磯さんは1957年長野県出身。早稲田大学を卒業後、インド・プーマ大学哲学科博士課程修了。著書に「世界の食文化⑧インド」(共著)など。インドは多民族・多言語・多宗教で知られるが、全国民のほぼ8割をヒンドゥー教徒が占める。ただヒンドゥー教は①開祖なし②聖典なし③偶像崇拝④輪廻転生への信仰――という特徴を持ち「宗教というより生き方や社会習慣的なもの」という。

 ヒンドゥー教徒の食に対する考えは日本の「いただきます」に当たるマントラ(言葉)「食は単に空腹を満たすにあらず/神への供犠と思っていただきたまえ」に象徴されるという。インドでは浄・不浄の観念が根強い。とりわけ「死」「血」と体からの「分泌物」(唾液・汗・涙・耳あか・鼻くそ・排泄物)が不浄視される。

 中でも唾液は不浄性が移りやすいため親子でも同じ食器を使わない。スプーンやフォークは誰が使ったか分らない。だから「一番信用できる浄なる自分の右手で食事する」。料理では「パッカ」(煮えた・熟したもの)が浄で、「カッチャ」(生や未熟なもの)は不浄といわれる。このため結婚式などではバナナの葉を食器代わりにし、料理は油を使った揚げ物や炒め物が中心になるそうだ。

 不殺生の教えからインドでは肉や魚、卵を食べない人が多い。その分、ベジタリアン(菜食主義者)が多い。小磯さんによると「全体の3割ほどに上るのではないか」という。2001年にはインド食品安全・標準制機構の主導で、緑色のベジタリアンマークと茶色のノン・ベジタリアンマークが導入された。レストランのメニューでもマークの表示を推奨している。不殺生を最も大切な戒律とするジャイナ教徒の場合は地中の虫に配慮して根菜類さえ食べないという。

 ヒンドゥー教徒は牛肉を食べない。ただ、これは不浄だからではなく逆に神聖な動物のため。特に雌牛は全ての願いをかなえてくれる母性の象徴と崇められている。牛が提供してくれる乳・ヨーグルト・ギー(バター)・尿・糞は聖なる5品と位置付けられている。牛糞は燃料のほか床材としても活用される。

 インドの食文化は浄・不浄の概念に加え不殺生の教えも絡まる。浄・不浄は我々日本人のいう清潔や不衛生などという概念とは別次元のようだ。ヒンドゥー教やイスラム教には断食もある。「断食も神により近づく手段の1つ」。アルコールもタブー視されてきた。ただ最近は食生活の変化やワインの飲酒などで飽食気味になっているともいう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<一事尼古神社・おんだ祭>乱れ飛ぶ餅・餅・餅…その量なんと300キロ!

2014年03月07日 | 祭り

【小餅や大きな笠餅、やぐらを囲んで激しい争奪戦】

 奈良県葛城市の調田坐一事尼古(つくだにいますひとことねこ)神社で6日、御田植祭(おんだ祭)が行われた。このおんだ祭は神事の後の豪快な御供まき(餅まき)で有名。境内中央のやぐらの上から紅白のお餅が宙に舞うたびに、大きな歓声とともに激しい〝争奪戦〟が繰り広げられた。この日まかれた餅の総量はなんと約300キロにも達した。

 

 午後3時からの神事に先立ち、まずやぐらの前で宮司や氏子ら関係者が整列して記念撮影。葛城市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」も加わっていた。神事では祝詞奏上に続いて女の子4人による舞の奉納などが行われた。続いて拝殿前で五穀豊穣を祈る御田植えの儀式。若者2人が扮した牛は最初のうちはおとなしく田を耕すが、そのうち突然観客の中に突進し境内を足早に2周した。

 

  

 呼び物の餅まきは午後4時半に始まった。やぐらの上から法被姿の氏子7~8人が四方八方に餅を数十個ずつ放り投げる。それを待ち構える大人も子どもも必死の形相。拾っては持参したポリ袋に入れていた。小餅のほか直径が20センチほどもある円盤のような餅も飛んできた。この大きな餅、「笠餅」と呼ぶそうだ。

 

 餅まきは小休止を挟んで約20分間続いた。ポリ袋を広げて催促する子どもたち、前掛けや風呂敷で落ちてくる餅を受け止める大人たち、後ろの方でたまに飛んでくるのを待ち受ける若い母親と女の子……。以前、興福寺の豆まきだったか、大きな傘を逆さに広げた大人がいた。だが、この日はそんな顰蹙(ひんしゅく)を買うような人はいなかった。終わってみれば、ほとんどの人が数十個の餅が入ったポリ袋を大事そうに抱え、笑顔で神社を後にしていた。

〔調田坐一事尼古神社〕創立時期は不詳だが、延喜式神名帳に記された式内大社。祭神は一事尼古大神と事代主大神。「尼古(ねこ)」は高貴な男神を指し、一事尼古大神は1つの願い事なら必ずかなえてくれるとして古くから篤い信仰を集めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<大和文華館> 特別企画展「竹の美」

2014年03月06日 | 美術

【泉屋博古館の「梅」、黒川古文化研の「松」と連携】

 大和文華館(奈良市)で特別企画展「竹の美」(30日まで)が開かれている。泉屋博古館(京都市)の「梅の美術」展(8日~5月6日まで)、黒川古文化研究所(兵庫県西宮市)の「松―美と徳の造形」展(4月19日~5月18日)との連携企画。3館が松竹梅からテーマを1つずつ選び、各館が収蔵する絵画や陶磁器、工芸品などの東洋美術品を相互に融通して紹介する。

 

 大和文華館の本館中央には年中青々とした竹が空高く伸びる吹き抜けの空間がある。「竹」のテーマは同館にとってもふさわしい。竹は力強い生命力や高潔なイメージから、古くから美術品のモチーフとして取り上げられてきた。中国では「竹」と「祝」の発音(zhu)が同じこともあって吉祥を表すものとしても重視された。会場には竹が描かれた花鳥図や墨竹図、陶磁器、竹の工芸品など69点が並ぶ。

 「楊柳観音像」(上の写真㊧=一部)は朝鮮・高麗時代の作品。竹は清浄な場所の象徴として、中国では古く唐時代から観音菩薩の背後や脇に描かれ始めたという。「四季花鳥図押絵貼屏風」は江戸中期に京都で活躍した渡辺始興の作品。花鳥画12面のうち1面に成竹1本と筍2本、水辺の亀を描く。静謐な中に春の息吹と旺盛な生命力がほとばしる。「竹燕図」(馬遠款、上の写真㊨=一部)は中国・南宋~元時代の作品。

  

 「檀鴨・竹狸図」の筆者、森徹山は森狙仙の養子で、円山応挙の下で修業を積んだ。左幅の竹狸図は竹林の中で冬毛のタヌキが鼻先のオケラと戯れる構図。繊細な筆致は動物画を得意とした徹山らしい。「胎笑大方(いしょうだいほう)竹石図扇面」と「胎笑大方竹梅図扇面」は富岡鉄斎筆。鉄斎は知人への贈答用として多くの扇面を描いたという。狩野探幽筆の「古画縮図(花鳥)」や司馬江漢筆の「竹図」も出品されている。

 陶磁では中国・景徳鎮や日本、ベトナムの皿や水指など、工芸品では刀のつばや笛、筆、腕枕などが並ぶ。「竹林猛虎図鐔(つば)」(上の写真㊧)は江戸後期の小田直堅の作。中国・明時代の「白磁洞簫(どうしょう)」(写真㊨)は竹製を模した縦笛。洞簫は日本の尺八の祖といわれる。竹の描き方を詳しく説明した江戸時代の指南書「賞奇軒墨竹譜」や「墨竹指南」も展示中。「墨竹指南」は墨竹画を得意とした画僧玉潾(1751~1814)が初心者向けに著した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<BOOK> 「日本人はなぜ特攻を選んだのか」

2014年03月04日 | BOOK

【黄文雄著、徳間書店発行】

 著者は1938年台湾生まれ。64年に来日し早稲田大学卒業、明治大学大学院修士課程修了。著書に「中国の没落」「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」「世界から絶賛される日本人」など。〝台湾独立派〟を自任する黄氏は戒厳令が敷かれた台湾に長年帰国できず、90年代初めに29年ぶりに帰国を許されたという。

    

 その台湾生まれの著者が今回、日本の〝特攻〟をテーマに選んだのはなぜ? 著者は死をもって国に殉じた特攻隊員の精神を「数百年にわたり西欧列強の植民地として屈従していたアジア各国の民族意識を高め、終戦後にアジア各国が独立する道を切り拓いた」と評価する。なのに当の日本では「戦前の日本をすべて否定する自虐史観が猖獗(しょうけつ)を極めてきた」(いずれも「はじめに」から)。そんな忸怩たる思いが執筆に駆り立てたようだ。

 4章構成。第1章「世界から尊敬される特攻隊」では特攻の歴史を振り返りながら戦後の内外の評価を紹介する。特攻は日本軍が劣勢に立たされていた1944年10月のフィリピン・レイテ沖海戦が始まり。敷島・大和・朝日・山桜の4隊から成る神風特攻隊が編成された。各隊の名称は本居宣長の「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」から取られた。

 以来、飛行機による特攻のほか潜水艇や人間魚雷による水中特攻、戦車による陸上特攻などが終戦まで敢行され、多くの若者が国のために散っていった。特攻による戦死者は一説に海軍、陸軍合わせて5800人余。一方、特攻によって撃破・撃沈した連合軍の艦艇は278隻(322隻説も)で、米軍の死者は1万2000人以上に及んだという。

 日本が降伏文書に調印した米戦艦ミズーリ号も終戦4カ月前、喜界島沖で特攻によって艦尾に突入された。だが特攻機の爆弾が炸裂せず一部火災だけで済んだ。艦長は甲板に焼け焦げて横たわるゼロ戦操縦士を水葬に付すことを指示する。海兵の間に不満の声が沸き起こるや、艦長は「このパイロットも諸君と同じく国のために命を投げ出して戦ったのだ。敵兵も死んだら敵ではない」と艦内放送で呼び掛けた。特攻隊員は翌日、弔砲と全員敬礼の中で手厚く水葬に付された。

 第2章「特攻隊の真実」では隊員の遺書や辞世の句、特攻隊の創設を提案した大西瀧治郎中将の苦悩、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさん、最後の特攻などを紹介する。最後の特攻は1945年8月19日。日本の降伏後、満州に進駐してきたソ連の戦車隊に特攻11機が体当たり攻撃を行った。そのうち2機には女性(隊員の妻と旅館の女中)が同乗していた。『妻と飛んだ特攻兵』の著者豊田正義氏は「残されて辱めを受けるくらいなら、敵軍に特攻して果てたいという彼女たちの切実な訴えが、隊員たちの心を動かしたのだろう」と記す。

 第3章「それでも日本人は特攻を選んだ」では、生きて帰れない〝十死零生〟の特攻には「日本人の死生観、武士道などの伝統が大きくかかわっている」と分析。第4章「アジアを解放した特攻精神」では戦後〝共生同死〟を誓ってインドネシア独立運動に参加した数千人の日本兵、インドやビルマの反英独立運動を支援した日本軍などを紹介する。

 著者は「おわりに」をこう結んでいる。「戦後の『人命至上主義』から特攻を『犬死』『馬鹿げた行為』と批判することはたやすい。だがそれは、命を捨てて国のために戦った戦士を貶める行為であるばかりではなく、大和魂や武士道までも否定し、ひいては日本人の否定にもつながる愚かな行為なのである」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<林美智子> 表情豊かに「平城山」やカルメン「ハバネラ」など

2014年03月03日 | 音楽

【秋篠音楽堂でメゾソプラノ・リサイタル】

 豊かな歌唱力で人気の高いメゾソプラノ、林美智子のリサイタル(「秋篠うたくらぶ」10周年記念)が2日、奈良市の秋篠音楽堂で開かれた。ピアノ伴奏は指揮者としても注目を集める河原忠之(国立音楽大学・大学院准教授)。林は艶のある伸びやかな歌唱で「早春賦」や「平城山」、歌劇「カルメン」の「ハバネラ」など和洋の唱歌や歌曲など23曲(アンコール2曲を含め)を歌い上げた。

   

 林はこれまでにチョン・ミュンフン、故若杉弘など著名指揮者やオーケストラと共演を重ね、2005年からは「NHKニューイヤーオペラコンサート」に連続出演し幅広い人気を集める。家庭に戻れば双子の男の子(4歳?)の母親。心身ともに充実し、今最も脂の乗ったオペラ歌手の1人だろう。林が純白のドレスで登場すると舞台がぱっと華やいだ。

 プログラムは1部前半が「早春賦」「赤とんぼ」「お菓子と娘」「平城山」などおなじみの日本の歌6曲。時に目を真ん丸に見開いて明るく、時に遠くを見つめて悲しげに切々と歌う。いずれも感動的な熱唱。とりわけ「平城山」の朗々とした深みのある〝ベルベットトーン〟にはうっとりさせられた。

 1部後半は武満徹作詞・作曲の「小さな空」に始まり、その後に谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の歌曲を中心に置く構成。その1曲「死んだ男の残したものは」は繊細かつ力強い歌唱が印象的だった。林が「敬愛してやまない」というピアノの河原との呼吸もぴったり。1部の最後は武満作詞・作曲の「翼」で締めくくった。「風よ雲よ陽光(ひかり)よ 夢をはこぶ翼……」

 2部はがらりと趣向を変え歌劇のアリアやフランスの歌曲が中心。まず今や林の当たり役といわれるオペラ「カルメン」より「ハバネラ」を披露した。林が客席後部から緑色のドレスで登場し、男性客を見つめて歌うたびに会場が沸いた。この後、プーランクの「パリへの旅」や「ホテル」、マスネの「エレジー」、サティの「ジュ・トゥ・ヴ」、サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」より「あなたの声に心は開く」と続いた。

 アンコールは「市の花屋」と「この道」。消え入るように「この道」を歌い終えた林が両指でそっと涙をぬぐい、舞台から下がる時にもまた指を目に当てる姿が印象に残った。林が奈良を訪れたのは中学時代以来という。奈良入りした前日には小雨の中、「伎芸天立像」で有名な秋篠寺を訪ねたそうだ。これを機にまた奈良に来て、第一級の歌声を披露してくれることを期待したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<七福神の梅> 1本の木に7種類の色とりどりの梅の花!

2014年03月01日 | アンビリバボー

【奈良・大和文華館でちょうど見頃に】

 奈良市学園南にある美術館「大和文華館」で、1本の木に7種類の花が咲く名物の梅が今ちょうど見頃を迎えている。名付けて「七福神の梅」。花色は赤、白、ピンクとまさに色とりどり、咲き方も一重あり、八重あり。28日も来館者の多くがカメラのシャッターを押していた。

 大和文華館では質の高い作品展示とともに、自然景観を生かした四季折々の花が楽しめる〝文華苑〟も見どころ。中でも有名なのが「三春の瀧桜」や「ササユリ」、そしてこの「七福神の梅」。七福神は本館ほぼ真正面に位置し、太い幹を大きく左右に広げる。

 

 7種の梅は「紅冬至」「思いの儘(まま)」「道知辺(みちしるべ)」「白加賀」「大輪一重緋梅」「大輪八重緋梅」「野梅」。接木された1本の木といっても開花も同時というわけにはいかない。「大輪一重緋梅」は咲き始め。「思いの儘」はまだつぼみだが、その開花も間近のようだ。苑内では「寒アヤメ」も今が盛りと咲き誇っていた。(上の写真は㊧大輪一重緋梅、㊨白加賀、下は㊧道知辺、㊨思いの儘)

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする