【菅原東遺跡の埴輪窯跡から出土の馬形埴輪や円筒埴輪など】
奈良市埋蔵文化財調査センター(大安寺西)で「奈良を掘る」と題した巡回展示の第一弾「土師氏と埴輪」が始まった。古墳の造営や埴輪の製作を担ったといわれる土師氏に焦点を当て、ゆかりの地でもある菅原東遺跡の出土遺物を中心に展示。同センターでの展示は6月30日までで、7月には奈良大学博物館、8月には奈良市役所ロビーで展示する。
土師氏の祖は大相撲の祖といわれる野見宿禰。垂仁天皇7年の展覧相撲で当麻蹴速を破った宿禰は天皇の后、日葉酢媛命(ひばすひめ)が亡くなったとき、陵墓に殉死の代わりに埴輪を立てることを進言した。その功績が認められて「土師(はじ)」の姓が与えられた。堺市土師町、藤井寺市の土師ノ里など、大古墳群の近くに今も土師の地名が残る。その地に土師氏一族が住まいして、埴輪づくりなどに取り組んだのだろう。奈良市内には土師の地名はない。だが、土師氏一族が8世紀後半に居住地を基に姓を改めた「菅原」や「秋篠」の地名は今に続く。
奈良市菅原町は近鉄西大寺駅の南西に位置し、宿禰の子孫である菅原道真の生誕地ともいわれる。その東側、垂仁天皇陵の北側に広がる菅原東遺跡からは古墳時代後期(6世紀)の埴輪の窯跡が見つかっている。そこで作られた埴輪は奈良県内の後期古墳に広く供給されたとみられる。今展ではその窯跡から出土した馬形埴輪や円筒埴輪(上の写真)、人物・蓋形(きぬがさがた)の形象埴輪の破片などが展示されている。
窯跡近くの溝からは素焼きの「陶棺(とうかん)」の破片も出土した(上の写真㊧)。埴輪と同じ土で作られていることから、陶棺も埴輪とともにここで焼かれていた可能性が浮上している。菅原町の北西、西大寺赤田町にはこの陶棺が多数埋葬された赤田横穴墓群がある。これまでに16基の横穴墓が確認されており、発掘調査した9基のうち7基から陶棺と副葬品が見つかった(写真㊨は7号墓陶棺)。それらの陶棺は作りも埴輪とよく似ているという。奈良市北西部に多い陶棺は土師氏一族が用いた特殊な棺とみる説もあるそうだ。