光源氏の三歳時の美しさを紫式部の文章で書いたのですが、その解釈は、又、次にと書いたところ、久しぶりに例のお人からお小言を頂戴仕りました。
「ありゃのう、源氏でも、誰が読んでもよく分かる処何じゃ。おめえが しったかぶりゅうして、どげえに やくすんか みたっても ええんじゃが。そげえなこたあ せんでもえんんじゃ。みんなようしっとんじゃ」
と、お叱りです。どうして そげえな出しゃばり事をしたのかと大いに反省しております。
まあ、源氏のその美しさはいくら書いても書きつくすことが出来ないほどあるのですが、もうこのへんでと思っていたのですが、お詫びのしるしに、最後に、もう一回だけ、紫式部がその美しさ表現した部分を、やはり、霧壺の巻から、選びだして書いておきますのでお読みください。
“いと清らかなる御髪をそぐ程、心ぐるしげなるを、上は、「御息所の見ましかば」と思い出づるに、堪えがたきを、心づよく念じかへさせ給う。”
”いときびはにておはしたるを、「ゆゆしう美し」と思ひ聞え給へり