これに付いて、竹取物語には、次のように記されております。
まず、竹の中から取り出して、
“・・・・手にうち入て家に持ちてきぬ。め乃女<オウナ>にあづけてやしなはす。うつくしきことかぎりなし・・・”
さらに、
“・・・・此ちごのかたちのけそうなる事世になく、屋の内はくらきところなくひかりみちたり、おきなここちあしく苦しき時も此子をみればくるしき事もやみぬ。はらただし事もなくなぐさみけり。”
「けそう」とは、その姿・形だけでなくその心まで、きわだっている様子を云います。また、
“世界のをのこ あてなるも いやしきも いかて このかぐやひめを得てしがな見てしがなと おとにききめでてまどう。その辺りの垣にも家の戸にもをる人だに たはやすくみるまじきものを。夜はやすきいもねず。闇の夜にも ここかしこより 覗きかひま見まどひあへり・・・”
人々は かぐや姫の美しさを一目でも見ようとしてもなかなか見ることが出来ないのに、それでも見ようと 昼夜を問わず、例え闇夜であろうと、寝ないで、その家の周りを取りか囲むようにしてぞき見をしたと書いてあります、それくらい美しかったのです。
さて、その美しさは我が吉備上道の稚姫と比べてどうだったのかは不明ですが、日本歴史上でも1・2を争うほどの美しさではなかったのでしょうか。