私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

兄妹二人の禁断の恋の行方は??

2016-04-28 08:57:09 | 日記

 古代日本の国では結婚について、異母であるなら、例え兄妹、姉弟であっても、二人は夫婦となることは許されていたらしいのですが、同母ならその結婚は禁忌、絶対にあってはならない風習であったのです。それをあえて冒してまでのこの二人の行為に対して、当然、宮中の百官を始め人々からも非難の声が上がります。それも、允恭天皇の喪に服している最中の出来事なのです。
 この軽王は天皇の第一子ですから、当然、次の天皇になられるはずだったのですが、
 「このような禁忌の行為を、それも喪に服している最中に行うなんて言語道断だ。次期の天皇になるべきでない。弟君穴穂御子を天皇に」
 と、多くの役人や人々の間から声が上がります。そのような周りの人達からの批判から逃れるためでしょうか、軽王は大臣である「大前小前宿禰<オホマエオマエノスクネ>」の家に逃げ込みます。そして、

 “備作兵器”

 と書かれています。此の時、軽王が備えた矢の箭先は「銅<アカガネ>」だたのです。一方、穴穂御子の方でも

 “亦作兵器”

 と書かれております。この穴穂御子も、亦、兵器を新たに作ります。しかも、その矢の箭先は“今時<イマドキ>”です。「今時」とは「最新の」という意味で、鉄製のものだったのです。この物語のあった時代は4世紀の終わりごろです。当時の武器は、まだ、銅製の物が主流で、新しい鉄製の物も使われだした時代です。その今時、「鉄製」の矢を穴穂命の軍は用意したのです。銅と鉄、戦力の違いは明白です。
 なお、かって、吉備津彦命と温羅が戦った時の武器は、吉備津彦は銅製で、温羅は石器だったのです。その戦いの結果は明白だったように、この場合も2つの戦力が衝突すれば、結果は同じになることは明らかです。さて、どうする。軽太子!!!そして、二人の恋の結末は