もうこれでと思っていたのですが、この「衣通姫」について、「記・紀」には、それぞれに面白い話が出ていますので、ついでながら、吉備の稚媛はもう少し置いといて、又、筆敬さんからのお叱りが覚悟して、例により横道にそれますので、よろしければお目をお通し願えればと思います。
まず、「古事記」に見える衣通姫です。允恭天皇の第一子は“木梨之軽王<キナシノカルノミコ>”です。その第四子として生まれたのが皇女“軽大郎女<カルノオホイラツメ>です。当然、第一子である「木梨之軽王」が次の天皇になるのが普通でしたが、実際に、次の天皇になったの、その第三子(安康天皇)です。どうして、木梨之軽王が次の天皇になれなかったというと、妹である衣通姫がこの話の中に関わってくるからです。そんなことってあるのかと思うのですが、まことしやかに「古事記」の中には記されておるのです。
その事件は、その光り輝くような美しさが衣を通り抜けて出していたといわれる美貌の実妹に、次の天皇になるはずの実兄である木梨之軽王が虜になます。それについて、周りにいた人々から大いに非難された事に始まります。