倭王「武」と新羅王「訥祇」との対立ですが、これがまさしく「衝突」であって、決して「戦闘」ではありません。新羅王が倭を無視したのですから。又、横道へ入りますが・・・・
この「戦闘と衝突」について、先日も書いたのですが、今朝の「朝日歌壇」で、再び、この文字を見つけました。奥田氏の
“戦闘と衝突と言うは易き事敗退を転進と言いしこの国”
の歌です。この歌を読んで、次に、「山陽時評」の片山善博氏の
“トップ選びは慎重に”
という記事も読みました。どうして自分の都合のいいように言い訳ではない、ごまかしと言った方がいいような語句を用いて、各界のリーダーたちは、何事についても説明する事が出来るのでしょうかね。何と薄っぺらな「やからども」の集まりの世の中でしょうか、今日は????と言う思いが湧きあがってきます。
この“慎重に”は、東京都の豊洲問題での片山氏の発言ですが、安倍氏が言うように「戦闘と衝突]ほどの相違はないにしても、この頃の世界情勢はと目を転じますと、それに似通ったようなことが各国の内外で起きているのではないでしょうか。この中で氏は最後に
「有権者一人一人が真面目に向き合わなければならないとつくづく思う」
と言う言葉で結論していますが、将に、それが将来の日本を決定づける最も大きな課題ではないでしょうか。
「おい、おめえらあ もうちいたあ しゃんとせやにゃあ おえんでー」
と声高々と言っておられるのじゃあないかと思っています。