この「神功皇后」について初めにちょっと触れてみます。14代仲哀天皇の皇后です。この仲哀天皇は吉備の国と大変深い関係にあるのある天皇です。そこら辺りを先ず説明します。
孝霊天皇の時です。吉備国の反乱(桃太郎伝説の元)を平定するために派遣されたのが、その皇子「大吉備津彦命」と、その弟「若日子建吉備津彦命」」です。この「若日子建吉備津彦命」はこの戦いの後、この地に敷衍して、吉備の国を治めます。この人の娘に「播磨稲目大郎媛<ハリマノイナメオオイラツメ>」がいます。この人が「景行天皇」の皇后になり、その皇子があの蝦夷征伐の「日本武尊」なのです。なお、その時の副官が「吉備武彦」です。この「吉備武彦」と言うのは
話が、大変に複雑になってきて私も全部が覚えきらないのですが、一応、本を見ながら書いてみます。
景行天皇の皇后となった「播磨稲目大郎媛」の弟に「御鋤友耳建日子命」がいますが、その人の子が「吉備武彦」です。そうすると、日本武尊とは従兄弟関係です。此の日本武尊の皇子が「仲哀天皇」なのです。それを図式化しますと次のようになります
先ずは歴代の天皇名です
{①神武天皇-・・・・・・-⑦孝霊天皇ー孝元天皇―開化天皇―⑩崇神天皇―垂仁天皇-⑫景行天皇―成務天皇ー⑭仲哀天皇ー⑮神功皇后ー・・}
孝霊天皇ー|大吉備津彦命 ・(景行天皇)
|若日子建吉備津彦命ー「播磨稲目大郎媛―日本武尊
|御鋤友耳建日子命ー吉備武彦