私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

神功皇后は、何故??新羅を討伐しようと計画したのでしょうか

2016-11-17 11:20:38 | 日記

 神功皇后と言えば、先ず、「三韓征伐」ですが、此の歴史についてどうのあやふやな所があって、果たして、実際にこの戦いがあったのかどうか疑わしいと言う学者もおりますが、記紀等、我が国古来からの本に詳しく歴史が書書かれております。(まあ、とても真実とは思えないような数々の出来事がこの時に起きたとしております)。きょうは

 まず、古事記から

 神功皇后の夫「仲哀天皇」が熊(襲)曾の国を征伐するために筑紫の訶志比の宮にいる時です。その戦の戦果を占なうために琴を掻きならしたのだそうです。その時、お側にいた神功皇后に神が乗り移って(神懸り)、神からのお告げを天皇に伝えます。

    「西の方に一つ国がある。金や銀がいっぱいある国だ。その国を私が天皇に従うようにさせてあげます」

 と。すると、天皇は

    「高い所に登って西を見ても、ただ大海原の波のきらめくのしか見えまない」

   「嘘ばかり云う神様だ」と言って、再び、占いの琴を鳴らそうとはしませんでした。それを怒った神は

   「私が教えた国だけでなく、此の国からお前は出て行って、遠い国へ行け」

 その神からの言葉を聞いていた「武内宿禰」が、天皇に

  「そんな事を云わずに、どうぞもう一度琴を弾いてください」

 と天皇に頼みます。そこで、天皇はしぶしぶと、再び、琴の傍に行ったのですが、幾ら経っても琴の音がしません。どうしたかと、見ると天皇は、既に、死んでおったのだそうです。それから、天皇の死体を仮の殯宮に移したありして、一応のお祭を済ませて、再び、武内宿禰が庭で神懸りをします。すると、神は

    「此の国は、今後、今、神功皇后のお胎の中にいる子のものだ」

 と、言われたのだそうです。そして

    「私が教えた西国に行くがいい。その航海の安全を守ってあげるから」
 
 と、お告げがあったのです。そのお告げに従って神功皇后はお腹に子を入ることを隠して、神の教えてくれた西の国を目指します。