昨日、「日本書紀」には「古事記」よりは現実的なことが書かれていると書いたのですが、それは誤りでした。よく読んでみますと、このどちらにも架空の、到底、現実には起りもしそうにない記事で歴史が書かれております。その書紀には、
神功皇后は、十二月三日、いよいよ九州の鰐浦から、西方にあるの豊かな国をめざして船出します。
「風の神は風を起こし、波の神は波を上げて、海中の大魚はすべて浮かんで船を助け、風は順風に吹き、帆船は波に送られ舵や櫂を使わないで新羅に着いた。その時、船を載せた浪は国の中まで及んだ」
と書かれております。全く古事記と同じです。
「東に神の国があり日本と言う。聖王があり天皇という。きっとその国の神兵だろう。とても兵を挙げて戦うことはできない」
と、恐れおののいて降参したと書かれております。しかし、古事記には書かれていない
「毎年、朝貢して、また、馬の梳や鞭も、必ず、納めます。」
という文書が見られませう。
これについて、少々の私見を。
当時(250年ごろ??)、倭の国では、鉄と同様、馬も、日本には存在しない大変貴重な動物であったようです。それを象徴するのが、各地の古墳などから、沢山出土する青銅製や鉄製の馬具です。これらは、この時期を前後して、盛んに、朝鮮半島の新羅などの国を経由して入って来たものだと思われます。このような古墳の副葬品から見ても、日本書紀等にあるように,当時、倭の国(日本)が最新の技術を持っていた新羅の国などを、そのように簡単に攻め入ることはできるはずがありません。でも、この時期に、資源としての鉄や馬などの新しい文明が、盛んに、我が国に入ってきていたことは間違いありません。そのような最新の文物が沢山我が国に入ってきたということを誇張して、象徴的に、奈良朝時代の国策(より強固な中央集権国家の確立)として、さも、我が国が天皇中心の「神の国」であるかのように書くためのでっち上げた文章であったのではないでしょうか????。