古事記では、誠に、ありもしないような摩訶不思議なと言いましょうか、神秘的な出来事が書き綴られておりますが、書紀では、それよりは少々現実味のある船出が描かれております。
仲哀天皇が九州熊襲<クマソ>征伐に行かれた時ですが、橿日宮(香稚宮)で、ここでもやはり、琴も場所もありませんが、やはり、神が神功皇后に神託されたと書いてあります。
「如何して、至って貧しい熊襲を討たねばならないのか??、海の向こうには金銀などいっぱいにある豊かな国がある。その国を天皇に服従させてはどうですか」
と。しかし、天皇はそこから西の海を見られたのですが
「そんな国など海の西には見えない」
と、その神託を聞きませんでした。これが九月五日です。その翌年二月五日に、突然に、神託を聞かなかったため神の罰を受け、天皇が崩御されます。その時、皇后は子を孕っておられました。それを隠して武内宿爾と共に、九月十日に、神託にあった『西の国』、新羅征伐に出発します。これが名高い「三韓征伐」の始まりです。その臨月の皇后が
「この戦が終わるまで腹の子が生まれないように」
と石を腰にはさみお祈りして出発します。古事記にあるように海の魚の事は書いては有りませんが、それに変って、「和魂<ニキミタマ>と荒魂<アラミタマ>」が船を守るであろうと言う、これ又ご神託があり、船出します。それから、どうなりましょうか????また明日にでも。